≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫自己治癒力で心身が整っていく - 2012/03

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。




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2012年03月28日(Wed)▲ページの先頭へ
180)難行苦行が私の生きる道
「人には真似のできないことをすること」
これが自分固有の道だと勘違いしてきた
【難行苦行では誰にも負けない】
そのように語った人がいた
その人がある日
【自分の苦労など大したことはないと思った】と語った
何があったのだろう?

艱難辛苦を望んだのではないけど
その環境しかなかったから
その道を歩いてきた
そのことがいつしか心の中に
【難行苦行が私の生きる道】
という生き様(=言語)を創り上げていたのだった

精神分析と言う語らいの場で
自分の無意識の語らいに気付いたとき
難行苦行の道を、自ら好んで選択してきたことの意味を知った
その時から、その人は自分の生きる道を書き換えた
『難行苦行の道』から『喜びの道』へと
楽しいと思えること、喜びを感じることを選択する
このように書き換えたのだ

それからその人は変わった
楽しいと思えることだけをする
そしたら、
毎日が楽しくなり、
どんな苦難や障害に出合っても、突破できると思えるようになり
事実、乗り越えられるようになった
その先に「喜び」を見出せ、手にすることができた
半世紀を難行苦行の道で生きてきた
気付き、喜びの道と書き換えるのは瞬時
その時から、その人の人生は大きく進路変更した

まず知ることからスタート
そして、必要なら書き換えること
ただそれだけ
それがすべて

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2012年03月26日(Mon)▲ページの先頭へ
179)信じる心が子どもを育てる
「子どもさんを信じていますか?」
このように聞かれたら、
即座に「はい 信じています。」
と答えられるでしょうか?

では
「子どもさんの何を信じていますか?」
さあ、どうでしょう?

ある人は
「子どもの言う事は全て信じられません」
と言いました
この人は、子どもさんの言う事を信じると考えたようです
また、ある人は
「信じていますよ、わが子が悪いことなんか絶対しません」
と言いました
この人は、子どもさんが悪いことをしないと考えたようです
また、ある人は
「人間は嘘をつくから、信じられるときと信じられないときがあるわ」
と言いました
他にもたくさん考えられることでしょう

「お母さんは私のことを信じてくれている」
と思う時
自分の何を信じてくれていると思っているのでしょう?

子どもの何を信じることが、子どもの心を育てるのでしょう?
子どもは何を信じて欲しいと思っているのでしょうか?
子どもは親の何を信じているのでしょう?
信じるってどういうこと?

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「精神分析的子育て法」も参照ください
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2012年03月23日(Fri)▲ページの先頭へ
178)不平不満は受身の気持ちから
不平不満の気持ちはどこからやってくるのか?
それは
相手に求める気持ちがあるから
相手に「こうして欲しい」「ああして欲しい」
と求める気持ちがあるから
それに反して
自分の思っているようには返ってこない場合
心の底からムクムクと顔を持ち上げてくる
そして
怒りや不平不満となってこみ上げてくるのだ

「私がこんなにしているのに、何であなたは○○してくれないの!」
「私がどんなにアナタのことを思っているか分からないの!」などなど

自分が相手のことを思っているのに
相手はソレに対して何も答えてくれない、してくれない
分かってくれない、動いてくれない、与えてくくれない・・・・・

これらの根底には
「〜ねばならない」
「〜すべき」
が潜んでいる

私はしたいからしている。言いたいから言っている。
それに対して、
あなたがどのように思うか、するかはあなたが決めることだ。
私は私、あなたはあなた。
違っていて当たり前

このような観点を持っていれば
「あなたと私の考えが違う」
ということになり、不平不満や怒りは湧いてこないだろう

人は言葉を発するとき
相手に対して
「このようにしてもらいたい」
「このように思ってもらいたい」と期待している
もらうのが当たり前になってしまっているのではないだろうか?
【してもらうのが当たり前】
そのような受身の気持ちがある
だから
その通りにしてもらえなかった時
自分の期待が裏切られたように感じて
自己愛が傷ついたかのように感じてしまう
だから
怒り、恨み、妬みなどへと広がってゆく

自分勝手な受身の気持ちが
自分の心をいらだたせ
自分の心を傷つけ
相手のせいにしてしまう

実は
不平不満は自分の受身の心から出たものだ
と言えるだろう

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2012年03月21日(Wed)▲ページの先頭へ
177)無気力からの脱出
「無気力」
これは気力がないこと。
積極的に物事をしようとする意欲に欠けること。
辞書にはこのように書いてある

怠けているわけじゃない
やる気が出ないのだ
『可もなく、不可もなく、とり立てて大きな不満もないが、
 すごく楽しくてたまらないという満足もない』
なぜ、やる気が出ないのだろう?

以前にも書いた気がするが
これは
【誰かから強く求められた体験がない】
「あなたが居ないとダメだ」
「あなたでないと他に誰も居ない」
「あなただけ!」
このように、誰かから切望されたことがない

切望され、欲望されたとき
人はやる気が湧いてくる

人から聞いたことがある
引きこもりになってゲーム三昧の日々だった人が
大震災の被害状況をテレビで見て、
ボランティアとして参加したという
最初は、
何らかの強い意志を持っていたわけじゃない
ただ、「何かできるかもしれない」
それくらいの気持ちだったらしい
引きこもっていたこともあり
体力的にも大きな何かをしたわけでもないのに
ある時
『こんな自分でも必要とされている』
そのように感じたという

それから自分の中で、何かが変わった
自分は必要とされている=存在する意味がある=生きる意味がある

それ以後、その人がどのようになったかは、想像に難くない
誰かに必要とされる事によって
そこに自分の生きる意味を見出したのだ
無気力で引きこもり
無意味しか見出せなかった日々が
一転して気力溢れ
気力は行動を生み出し
その人を根底から変えた

必要とされる=欲望されることによって
まさしくその人は
自分の人生を書き換えたのだ

無気力なのは、怠けているのではない
必要とされた、欲望された体験がないのだ
だから気力が湧いてこないのだ
強く欲望すること
強く必要とすること
それが
無気力から脱する方法である

生きる意味を見出したい方
やる気を出したい方
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摂食障害・リストカットのサイトはこちらですhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/


2012年03月19日(Mon)▲ページの先頭へ
176)テレポーテーションともう一人の私
努力して過去の自分から脱皮したつもりだった
しかし
ある「スイッチ」が入った瞬間
過去の自分にテレポーテーションしてしまった
そんなことはありませんか?

例えば
「子どもに対して、怒らずに、冷静に話をしよう」
と決めたとする
順調に冷静に話をしていたある時
子どもがポツリと
「うるさいなあ^^」
と言った
その瞬間、パチン!とどこかで音がした
それから後のことは覚えていない
気がついたら、子どもが倒れて泣いていた
無意識に、叩いていたのだった
冷静になって考えてみると
そこまでする必要などなかった
どうして、そんなことをしたのだろう?!と自責の念に駆られたと言う

そんな話を聞いた
頭では分かっているつもりだ
そして、努力して積み上げてきたのに
ある一言「うるさいなあ」が、
その人を激情に駆り立て、暴力へと導いたのだった
一瞬にして
過去のある時に「テレポーテーション」したのだ

たった一言
それが、その人をテレポーテーションさせる
言語はそのような力を持っている
それほどまでに
人は言語に隷属している
逆に言えば
言語一つで、人は変身するし、
テレポーテーションすると言えるだろう

あなたはどのような「言語」に反応しますか?
どのような言葉で変身してしまいますか?
その「言語」はあなたにとって
過去のある一点へと導いてくれるでしょう
そこであなたは
もう一人の自分に邂逅するのです

興味をもたれた方は
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2012年03月13日(Tue)▲ページの先頭へ
175)寄り添うとは?
「寄り添う」=ぴったりと側にいること

この言葉は決して難しい言葉ではないと思う
大好きな人の側に「寄り添っていたい」
あるいは「寄り添って欲しい」
人に「寄り添った考えをする」

では、具体的にどのようにすることだろうか?
『ぴったりと片時も離れずに側にいる』
確かに
いつも側にいてくれるだけで安心する
困ったときはすぐに助けてもらえる
これでOK?
側に居ても「寄り添っている」とは思えない場合もある
ただ側にいるだけでは満足しない
体だけではなく、心も「寄り添っていて欲しい」
人はこの両面(心身)が満たされて初めて
【寄り添ってくれている】
と感じるものらしい

体が「寄り添っている」ことは、目に見えるが
心が「寄り添っている」かどうかは目には見えない
非常に主観的なものだといえるだろう
外からは「寄り添っている」ように感じられても
その本人が「寄り添ってくれている」と感じなかったなら
その人にとっては
「寄り添ってくれていない」
となるだろう



1)≪この服、可愛いねえ〜≫と言ったら
  ≪ほんとねえ^^可愛いねえ≫と共有できたら
  「寄り添っている」と言えるのだろうか?

2)≪この服、可愛いねえ〜≫と言ったとき
  ≪じゃ、買う?≫と言う場合はどうだろう?
  「寄り添っていない?」

3)≪この服、可愛いねえ〜≫と言ったとき
  ≪そう?こっちの方がいいんじゃない?≫と言ったら
  「寄り添っていない」と言える?

4)≪この服、可愛いねえ〜≫と言ったとき
  ≪・・・(無言or無視)≫
  「寄り添ってない?」

言葉だけでは必ずしも「寄り添っている」とは感じられないかもしれない
声のトーンや身振り、手振り、表情など様々な情報を基に判断する
あるいは
長い付き合い(経験)の中では、
「あいつは、あんなやつだが、心は違う」
と、「寄り添ってくれている」と感じているかもしれない


人の心は、とかく難しくやっかいなものだ
言葉(言語)を使って伝えるのが会話の基本であるのに
言葉だけでは真意は伝わらないのも時として事実
だとしたら
言葉は自由に使えるようでも、不自由なものだ
「寄り添う」
この言葉一つでも、なかなか相手に伝えにくい

言葉(言語)に興味をもたれたなら
精神分析の世界も覗いてみませんか?
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2012年03月11日(Sun)▲ページの先頭へ
173)想いはいつか形となる
『大好きな人を独り占めしたい』
『自分だけのものにしたい』
この想いを言葉にできないでいたある日
自分よりも、その人の心を独占する人が現れることになった
こんな時、人はどのような行動に出るだろうか?

ある一つの例
その人は、自分の想いを言葉にできなかった
だから、「仕方ない、少し我慢すればいい」と思っていた


その人が来る前夜、次のようなことがあったらしい
1.歯ブラシを落とした
2.下着を落とした
3.バスタオルを落とした
これらの失敗は、まず考えられないことし
ましてや三度も続けて失敗するなんて不思議だと言う

この状況は何を語っているのだろうか?
精神分析的観点から考えてみよう
・1〜3に共通する言語=「落とす」
・「歯ブラシ」「下着」「バスタオル」=その人自身
・自分から大切な人の心を奪う人がやってくる前夜に起こした事
これらのことから
『大好きな人の心から落ちてしまった私』
寂しい、悲しい、悔しい気持ちを
『落とす』という行動で表現したと考えられる

その人に伝えると
【確かに、その人が来たら、私のことなど忘れてしまうに違いない、と、ふと思いました】
【自分では、そんなに嫌だと感じてはいないつもりだったのですが、、、】
と語った

このように、人は何らかの形で
自分の想いを表現するものだと言える
一見、偶然のように見えることでも
その人の【無意識】から観れば、必然となる
それを
「単なる偶然」と見過ごすか、「必然だ」と受け取るか?
それによって、それ以後がまったく違ってくることだろう

何気ない出来事が
あなたの無意識(もう一人の私)を表現しているかもしれません
興味を持たれた方は
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2012年03月09日(Fri)▲ページの先頭へ
172)白血病からの離脱ー運命を書き換える
まず始めに、
この記事は「白血病」と診断されたのではなく
精神分析によって
【自分の精神が「白血病」の方向に向いていたことに気付いた】
その紹介です。

以下はその人の語らいです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

幼少期より「母」との関係が【支配と服従】であった
それは、衣食住はもとより、将来に関してまで決められていた
それゆえ
その人のテーマは
『いかに母の支配を逃れるか』
と同時に
『どうすれば母が自分を諦めるか』でもあった
拒食、過食、不登校、引きこもり、留年、非行etc
それとPTSD
名前を聞くと体がフリーズして動けなくなる

しかし、
その母は決して諦めるどころか
以前にも増して、その支配は強烈なものとなってゆく
ついに抵抗を諦め、ある種の平凡な人生を送る

転機がやってきたのは
『精神分析との出会い』であった
自己と向き合うことで
ついに気付いたことがある
【母性剥奪】
与えられるべき人から、逆に、全てを剥がされ、奪われた人生であった
そこから描き続けたイメージは
≪骨の髄まで母の毒に侵されている。骨髄から入れ替えなければ自分の人生は始まらない≫
であった

この時
【私は白血病になって骨髄を移植して生まれ変わりたい】
それを目指していたことに気付いたのだった

私は因幡の白兎でした。
毛を奪われ、皮膚を剥がされ、海水に漬けられ血の涙をながしていました。
でも、今気付きました。
自分の骨髄で新しい血を創り出し、全身の血液をすべて入れ替えれば良いのだと!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人は、自らの命を賭けてまでも、自らの言語に従って着実に実現しようとするものである
その人は、精神分析と出会って言語化することで
身体を使って実現するのではなく、
自分が書き込んだ言語(運命)を書き換えたのだった
これからは
自らの人生を自分の意志で書き、実現してゆくことでしょう!!


精神分析に興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください
http://signifiant-lab.com/
トラウマのサイトもどうぞhttp://signifiant-lab.com/trauma/


2012年03月06日(Tue)▲ページの先頭へ
171)「真面目」は気ままにできなかったことの補償
真面目であることは、何事においても大切で必要なこと
言うまでもないことです
ただ、それも過ぎると支障が出ることがあるし
真面目だけでは、人としての幅や面白さに欠けるでしょう

もう少し「遊び心」があってもいいのに
面白くないよね
堅いよ
融通を利かせることも必要だ
真面目すぎて、一緒に居ると疲れる
などなど

真面目すぎる人は
かたくなに、その枠を守っている、
決してその枠を壊さない
そのように感じる時もあります
なぜ、それほどまでに守るのでしょう?
壊さないのでしょうか?
真面目の仮面の裏には、どのような素顔があるのでしょう?

真面目の反対は?と問いかけてみましょう
不真面目?
いいかげん?
誠実でないこと?
我がまま、気まま?

このように生きられなかった
そのような生き方を選択できなかった=何らかの事情でその機会を奪われた
それを表現しないための姿だと言えないでしょうか?
本来は、気ままに生きたい自分が居た
それができなかった自分にフタをしている姿だと考えられないでしょうか?

一度でも、気ままな自分が出てしまったら
コントルールできないとの恐れから
逆に「真面目」であることでフタをしている
ある種の償いの姿だと言えるかもしれません

「気ままに生きる自分」と「真面目な自分」
このバランスをとる方法を身に付ければ
きっと、もっと
楽しく生きられるでしょう

興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPをどうぞ
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2012年03月05日(Mon)▲ページの先頭へ
170)甘えるとは?−大人の会話とは?
「甘える」とは?

辞書には「慣れ親しんでこびる、人の親切・好意を遠慮なく受け入れる」
などと書かれている
ここでは
「相手の情に訴え、操作すること」と定義したい
なぜなら、日本の場合にはこの傾向が強いように見受けられるからだ

例えば
家族とか恋人とか、友達など親しい人に買い物を頼む場合

 A「買い物に行ってきてくれない?」
 B「今コレをしてるし、後で仕事もしないといけないし、
  頼まれた○○もしないといけないし、することがいっぱいで疲れてるのよ。
  だから、買い物に行ってくれない?」
 C「いつも私が買い物行ってるから、今日はあなたが行ってきてよ」
 D「買い物行ってきて!」

どの言い方に近いだろうか?

Aは、端的に言いたいことを伝えている
Bは、「自分がなぜ頼むのか」の事情を説明してから頼んでいる
Cは、押し付けているように感じる
Dは、命令口調で言っている

BとCの言い方を考えてみよう
これは「甘えている」(特に、Bの言い方の場合に顕著)と言えないだろうか?
まず、自分が買い物に行けない理由を並べ立てている
これは、
「このように説明すればきっと相手が納得してくれるだろう」
「それなら仕方ないなと思ってくれるだろう」
と、相手の同情など「情」に訴えようとしている
また
相手の「嫌だ、NO!」を封じ込めようとする意図が感じられないだろうか?

可能な限り、相手を「良いよ、YES」と言わせる状況に追い詰めている
意識的に、あるいは無意識的に相手を操作している
これこそ【幼児期の甘えと依存】ではないだろうか?
このように追い詰められた場合
どれだけの人が「NO!」と言えるだろうか?
特に、上下の関係性がある場合には
なかなか難しいと思える
このような会話の根底にあるのは「甘える」であろう
情に訴えて、相手を自分の思うように操作する
「情と情の絡み合い」
これが日常の会話のあちこちに見られるのではないだろうか?

なぜ、このような会話になるのだろう?
情に訴えない(甘えのない)理性的な会話=大人の会話をするにはどうしたら良いだろうか?
それは
自他の区別をしっかり持つこと
『私はこのように考える。
 それに対してあなたが「YES」と答えようと
 「NO」と答えようとそれはアナタの自由だ』と認識すること
これは
フレデリック・S・パールズの「ゲシュタルトの祈り」に通じる
この観点をもって会話したなら
「情」に訴えるのではなく、
まずは一番に自分の考えを、端的に相手に伝えるだろう
これが「甘えと依存の無い理性的な会話=大人の会話」と言う

会話はここから始まる
それでない場合は「情の絡み合い」=幼児期の会話となる可能性が高くなるだろう
大人の会話をしたいものだ
そうすれば
情でがんじがらめになった、
恨み・ねたみ・憎しみと無縁になるに違いない

あなたは常に情に訴える会話をしていませんか?

興味をもたれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください
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2012年03月04日(Sun)▲ページの先頭へ
169)「生々しいもの」と「おぞましいもの」
「訳わかんな〜い」
という言葉をよく耳にする
ほとんどが、若い女性

表現の仕方はともかく
「訳がわからないもの」とは?
『なんと言ってよいかわからないもの』
つまり
『言葉で表現できないもの』
『理由付けできないもの』である

理由付けできないものは、言語で説明できないものでもある
これらは
どのように心の中に意味づけされているだろうか?
それは
【気持ち悪い】である
この【気持ち悪い】と感じるものは
その人の中では、まだ一度も言語化されていないものである

一度も言語化されていないものは、時空を超えて永遠に生き続ける
遠い過去のことであっても、まるで昨日のことのように思い出す
その代表が「トラウマ(心的外傷)」であろう
それらは
【生々しいもの】【おぞましいもの】として
その人の心の中で、永遠に生き続けている
そして、時にはフラッシュバックしてくる

そうすれば、過去のものとなるのだろうか?
それは
言語化すること=言語で説明すること
そうすれば
【生々しいもの】【おぞましいもの】は過去のものとなり
インデックスをつけられ、他の記憶の片鱗となるだろう
精神分析はその「言語化」する方法である

興味をもたれた方は
シニフィアン研究所 トラウマ(心的外傷)を参照ください
http://signifiant-lab.com/trauma/


   


「精神分析」は、薬物や催眠、暗示など一切使わず、相談者(クライアント)と分析家(インテグレーター)との1対1の対話や夢分析により、自分の無意識に気付き、コンプレックスを解消する信頼に基づいた方法です。
クライアントの自我は、様々な理由によって未成熟であったり、歪んでいたり、傷ついていたり、欠損していたり、不完全な状態で浮遊しています。それに確かな形と安定を与えることが精神分析(セラピー)です。その過程で、ありのままの自分でいい、自分は生きる価値があると自信を持ち、自己愛や自己決定力が高まっていくのです。
このように精神分析は、自己を知ることの喜びと成長をもたらします。インテグレーターはクライアントの援助者であり、伴走者です。また、クライアントの意志を大切にしますので、強制したり無理強いすることはありません。
自分の人生は、自分が書き換えてゆくんだ、との勇気と根気を持って歩むならば、必ず自己探求の喜びと幸せを自覚し、自らの意志で未来を切り開いていくことでしょう。




カレンダ
2012年3月
       

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