≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫自己治癒力で心身が整っていく - 2012/05

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。




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2012年05月31日(Thu)▲ページの先頭へ
210)関心をもつ
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。

すべての子どもにとって、必須といえるものが4つあります。
1)関心 2)まなざし 3)声 4)スキンシップです。
今日は1)関心について書きます。

207)子どものまなざし でも書きましたが
子どもさんは、お母さんにいつも関心を向けていて欲しいと思っています。
関心を向けるとは、常に心の中に存在していること
常に、子どもさんがお母さんの心の中に居ることです

時折、子どもはお母さんの関心を試します
例えば、いたずらや悪さやちょっとした怪我や病気です
どれくらいの関心をもってくれているのか?
抜き打ちテストのようなものです
時には
「お母さん、わたしのこと好き?」
とダイレクトに聞いたりもします
そんな時は、間髪入れずに答えてあげてください
「もちろん、大好きよ」と
これで、子どもは安心します

関心を持ってもらえていないと感じている子どもは
どうすれば関心を持ってもらえるかを、必死で考えます
それが、病気やけが、問題行動です
年齢によって、状況によって、それぞれ違います
お金に関心があるお母さんなら、「お金」を無駄遣いしたり、盗むことで
健康に関心が高いお母さんなら、病気やけがで
勉強に関心が高ければ、学校や塾を休むことで、表現するでしょう

すべては、
「お母さん、もっと関心をもって」
と、訴えているのです

最後に
「関心を持つ」ことと「過干渉」とは違います
関心を持つとは
子どもに常にまなざしを向けて、子どもが求めたときにだけ応えることです
過干渉は
子どもが求めてもいないのに、勝手な思い込みで与えることです

関心をもってもらえた子どもさんは
自分はお母さんに受け入れられている、必要とされている、大切にされている、愛されている
このように連鎖していくのです

次回は、2)まなざしについて書きます
関心をもたれた方は シニフィアン研究所のhphttp://signifiant-lab.com/
オールOK子育て法「母への叫び」http://signifiant-lab.com/raise/を参照ください


2012年05月29日(Tue)▲ページの先頭へ
209)離乳、卒乳、断乳―基本的信頼感
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。

今日は、特に乳幼児をお持ちのお母さんへ、お伝えしたいことを書きます。
是非参考にしてもらいたいと思います。

それは「断乳」についてです。
赤ちゃんをおっぱいから離乳食へと移行させる時期です。
離乳食から一般食へとゆるやかに移行することは、
赤ちゃんにとってもお母さんにとっても、一大行事です。
「授乳」は赤ちゃんが自ら求めなくなるまで与えるのが基本です。

「断乳」とは、赤ちゃんの求めに関係なく、一方的におっぱいを取り上げられることです。
このように言うと
いつまでもおっぱいを吸い続けて離さないのではないか?
歯がはえてくることに影響があるのではないか?
離乳食を食べなくなって、栄養が足りなくなるのではないか?
など、不安に感じることでしょう
でも、そんな心配はいりません
それよりも、もっと大切なことが損なわれる可能性の方が心配です

0歳から18ヶ月くらいの赤ちゃんが「授乳」を通して肌で記憶することがあります。
それは≪基本的信頼感≫だと言われています。
適切な授乳は「基本的信頼感」を学び、
不適切な授乳は「不信」を刻印すると言えるでしょう。
ある大人の女性を分析して解ってきたことがありました。
どんなに覚えても、必要なときに出てこない
真面目に、一所懸命に学んでも、肝心なときに出てこないのです。
本人も、ほとほと困惑していました。
実は、根底にこの「不信」があったのです。
そう、ある理由で「断乳」されていたのです。
それだけではありませんでした。
過干渉という過剰な関心と、監視の目、否定と命令の声も重なっていました。
このような状態を「母性剥奪」と呼びます。
(「母性剥奪」とは、与えられるべき母性が根こそぎ剥がされ、奪われていること。)

幼少期に必須なものは4つあります。
「関心」「まなざし」「声」「スキンシップ」
彼女の場合は、すべてにおいて非常に問題が多かったのです。

ここから、赤ちゃんに対するお母さんの行動(態度)が浮かび上がってきます。
母が、赤ちゃんに愛情(関心)を持って抱っこし、温かいまなざしと声で話しかけ、
赤ちゃんが離すまで授乳する。
この繰り返しが≪基本的信頼感≫を身体に刻印し、
大人になっても「信頼」を基本に生きていくことでしょう。

詳しくは、精神分析的子育て法を参照くださいhttp://signifiant-lab.com/raise/



2012年05月27日(Sun)▲ページの先頭へ
208)竹内洋岳さんが日本人初の8千メートル峰14座完全登頂を達成
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
今日はニュースで知った以下の話題について書いてみます。

日本人初のヒマラヤ8000メートル峰14座完全制覇を目指していた登山家の竹内洋岳さん(41)が26日、最後の一座、ネパール北西部のダウラギリ(8167メートル)の登頂に成功した。竹内さんの健康状態は良好。1995年のマカルー(8463メートル)登頂から17年かけて、14座すべての頂上に足跡を残した。 14座完登。日本人で初めて竹内さんが達成した。26日午前0時45分(現地時間)に最終キャンプのC3(7400メートル付近)を出発。例年よりも雪が深い中、無酸素単独での約17時間ぶっ続けの登山で、午後5時45分、頂上に立った。強風が吹く頂上は、視界がきかない厳しい状況だったという。(中略)
竹内さんは、14座成功を区切りとしてスポーツとしての登山再興に尽くしていきたいと言う。「ここまでやって来られたのは登山が楽しいから。それを知ってもらうために私はまだ登り続けると思います」。14座を制覇し、竹内さんの挑戦はまだまだ続いていく。(2012年5月27日06時03分 スポーツ報知)

日本人としての偉業達成!
これまで挑戦した人もたくさんいた中、なかなか達成できなかったとのこと。
素晴らしいの一言に尽きますよね。

このニュースに刺激され、
「なぜ、人はこれほどまでに山に魅せられるのだろう?」
と、少し精神分析的観点から考えてみました。

母親に支配された人は、征服欲求を強くもつと言われます。
つまり、支配されたから今度は自分が支配したいとの欲求を持つことになるのです。
その行動化の一つが、山を征服するとなると考えられます。
征服したくても征服できなかった代償行為として、山の征服を目指し、登山が好きになる。
頂上に立った時、山を征服した満足と自然(=母)と一体になった恍惚感に浸ることができます。
その表現が「やっと達成した」「自然の懐に抱かれる」などです。
ところが、それは所詮「山」であって「母」ではないことに気付き、母への幻想としての征服であったと知ります。
そこで、さらなる征服を目指して次の山へと挑戦することになります。
これが飽くなき探究心といわれるものでしょう。

かつて、
「あなたはどうしてそこまでして山に登るのですか?」との質問に
ある有名な登山家(名前を忘れました)が「そこに山があるから」
と答えたのを思い出しました。
このように
冒険家は、そうした母への想いを意識に上らないように抑え込み(抑圧)、
その反対の行動をする方法(反動形成)を過剰に使う人といえるのではないでしょうか。
このような視点から見た時、
竹内洋岳さんはどうだったのだろう?知りたいと思えてきました。

なお、竹内洋岳さんの偉業に対して敬意を表すると共に、決してそれを誹謗中傷する意図は一切ないことを書き添えたいと思います。

シニフィアン研究所では精神発達論などの講座も開催しています。
興味をもたれた方はこちらのサイトを参照ください。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/#11




2012年05月23日(Wed)▲ページの先頭へ
207)子どものまなざし
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛です

金環日食に続いて「東京スカイツリー」オープン
天上を見上げることが続きました

今日は、同じように見上げている「子どものまなざし」について書きたいと思います

子どもは胎内に居るときから、ずーっと母その人を見つめています
側にいるときはもちろん、居ないときでも
常に、心の中に「母」を抱いて見つめています
それほど子どもにとっては「母」が誰よりも関心の対象です
幼少の時から、「母」を見上げている
大きくなっても同じように眼差しは「母」の方を向いている

こんなエピソードを聞きました

成人した娘さんとお母さんの話です
あるお母さんが
シニフィアン研究所の「インテグレーター養成講座」で学んだ
0歳〜1歳半までの子どもが学ぶ「基本的信頼感」に必要な母の基本姿勢4つを学びました
1.関心 2.まなざし 3.声 4.スキンシップ
その話をしたところ、娘さんがお母さんに
「関心を持つってどういうこと?」と質問しました
その時、そのお母さんはすぐには答えられなかった
すると、その娘さんはすぐに
「お母さん、それはいつも心の中に居るということよ」と言ったそうです
そのお母さんは凄い!と感心したといいます

きっとその娘さんはお母さんにいつも関心を持ってきた
そして、
「いつも私の心の中にお母さんが居るよ!」
「お母さんはどうなの?お母さんの心の中には私は居る?」
と、問いかけているのです
成人しても「母」を見ている
ましてや幼少であればあるほど、真っ直ぐに母だけを見つめている
そして、
母から関心を持たれたい、眼差しを向けて欲しい、
声をかけて欲しい、抱っこして(触れて)欲しいと叫んでいる

日々の面談を通して
年齢関係なく「母だけ」を見つめていると言える
そのように痛感するのです

シニフィアン研究所のHPはこちらですhttp://signifiant-lab.com/
子育て法も参照くださいhttp://signifiant-lab.com/raise/



2012年05月22日(Tue)▲ページの先頭へ
206)「子育て相談」「非行・虐待・暴力を考える」開催
昨日の世紀の天体ショー「金環日食」はバッチリ見られましたでしょうか?
太平洋側を中心に広い範囲で観測できたようですね。
本日のスカイツリーのオープンを前にして墨田区界隈はすごい盛り上がりのようです。
こちらも「待ちに待った」サプライズです。

さて、本日「子育て相談」と「非行・虐待・暴力を考える」を開催します。

「子育て相談」は10:00〜12:00まで
おもに不登校や引きこもりを中心にしたいと考えています。
どんどん質問をしてくださいね。
「オールOK子育て法」を中心にした具体的な話をする予定です。

「非行・虐待・暴力を考える」は13:00〜15:00まで
参加者からの質問に答える形にしたいと思います。

なお、これらの相談会では個人的な相談はしておりませんのでご了承ください。
個人的な内容の相談は、体験教室か通常の面談をご利用ください。

いずれも電話で予約をお願いします。

詳しくはシニフィアン研究所(埼玉県上尾市)のHPをご覧下さい。
http://signifiant-lab.com/


2012年05月16日(Wed)▲ページの先頭へ
204)『非行・虐待・暴力を考える』開催します
明日17日、午後1時〜3時まで

『非行・虐待・暴力を考える』相談会をします。

場所:埼玉県上尾市のシニフィアン研究所にて(地図はこちらです)
    JR北上尾駅徒歩3分 車の方は前もって連絡ください

参加費:大人一人1.000円

こどもさんや夫婦など家族の悩みを吐き出しましょう。

語ることで少しは楽になることもあります。

まずは電話かメールでお問い合わせ、予約してくださいね。

シニフィアン研究所

048-877-7567  090-1951-1978

signifiant-eros@ezweb.ne.jp までどうぞ


118)自分が求めているもの
人は皆、自分が求めているものを知っている
ただ、
それが何なのかを知らない
だからそれを求めている

具体的な何かではない
お金や家、土地、名誉などのことではない
それらを通して求めているもの
それらの向こう側にあるもの

ひょっとしたら、
永遠に気付かないままなのかもしれない
だけど「知っている」
そうとしか表現できないもの
それを知っているからこそ
自分の身体を使って表現している

例えば
行動や病気、怪我などで
あるいは作品と呼ばれるものを創ることで

すべての人は知っている

ただ二種類の人がいるようだ
知りたいと探求し続ける人
そんなものは無いと否認、あるいは諦めている人

そんな観点から自分を見つめてみるのはどうだろう?
きっと、違った世界が観えてくるだろう
先人はこのことを
『難あって有難し』と言ったのではないだろうか?
自分に気付くチャンスだと
それを掴め!
そのように聴こえる

自分の求めているものに関心のある方、知りたい方

ご意見・ご質問・お問い合わせはシニフィアン研究所 むかい あいまで
http://signifiant-lab.com/


119)忙しくしているだけ
何かすることがあるor何かをしている=一所懸命にしている=時間を有効に使っている
何もすることがないor何もしていない=暇=時間を無駄にしている

何かすることがあって、一所懸命していて、忙しくしていると
一所懸命生きているような気がする
仕事をして、誰かのために何かをして、喜んだり喜ばれたりする
一日、一年、一生という時間を
何かをすることで埋めていると
自分なりに一所懸命生きてきた実感を持てる
そんな気がする

もし
それは「ただ忙しくしているでは?」
「時間を埋めているだけでは?」
と問いかけたらどうだろう?
それまでの時間が、人生が空洞化するかもしれない
「今までの私の人生は一体なんだったのだろう?」

何かをしていること=時間を有効に使っている=充実している=一緒懸命に生きている
これだけ忙しくしているのだから
こんなにも誰かのためにしているのだから
自分も楽しく、うれしく感じているのだから
だから有意義な、人生を生きている

そんな風に思い込んでいませんか?

「ただ忙しくしていただけ」
そう思ったら
すべてがリセットできた
すべてを捨てられた
すべてを手放せた
すべてから距離を持てた
すべてから空間が観えた

そう語った人がいた

『「忙しい」と言う字は「心を亡くす」と書く』
昔、誰かが言った声が聴こえた

毎日が忙しいですか?
毎日が暇ですか?
それはあなたがしたいことですか?

シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/


120)捨てること
全てを捨てることは、全てを手にすること
そして、全てを手にしていないことでもある

「捨てる」には、その前提として
「手にしている(持っている)」自覚が必要
言葉を換えて言うと
こだわりを持っていることに気付くこと

何らかの形あるものを持っているだけではない
これだけは譲れない、こだわっていること
これらに気付くこと

これが案外大変なエネルギーがいる
こだわりを持っていないつもりでも
実はたくさんのこだわりを持っている

それらに気付く一つの方法

すべてに「いいよ」「はい」と言えるだろうか?
言えないとするなら、それはこだわりをもっていると言える
こだわりとは
自分なりの意味づけを持っているということでもある
その意味付けが、他者と違っているとき
「いいよ」「はい」と言えなくなる

それらを一度、すべて捨ててみる
こだわりを持つことの是非をいっているのではない
自分がどのようなこだわりをもっているのかに気付く
その一つの方法をいっている
そして
気付いたなら
一度手放してみる
つまり、相手の意味づけに沿ってみる

そうした時
何を感じるだろうか?
何が見えてくるだろうか?
自分なりの意味づけが見えてこないだろうか?

捨てるとは、そのものと自分との間に距離(時空)を持つこと
すべてに距離を持つことは
すべてを選択できることでもある
全てを捨てられたなら、全てを手にすることができる
つまり
何ものをも選択できる自由を持つことでもある

一度捨ててみませんか?


シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/


121)「分かって欲しい」と「伝えたい」
誰かに、自分の想いや考えを分かって欲しい
誰かに、自分の想いや考えを伝えたい
ある人に、理解して欲しいと願う
これらは、誰しも経験があることだろう

では
「自分の想いを分かって欲しい」

「自分の想いを伝えたい」
とは同じだろうか?違うだろうか?

もし、違うとしたら
どこがどのように違うのだろうか?

「分かって欲しい」
これは、相手に分かってもらうことを意図している
つまり
相手の良い反応を期待している度合いが高い
とすると
相手の反応の如何によって
自分の反応が左右される可能性が高い

「伝えたい」の場合は
伝える事がその目的であって
その結果、
相手がどのような反応するかは二の次となるだろう

つまり
「分かって欲しい」は相手に理解を求める気持ちを含み
「伝えたい」は相手に理解を求める気持ちを含まない
と言える

「分かって欲しい」
この意識が強い場合、
相手の反応に一喜一憂する、あるいは怒りを覚えるかもしれない
相手が主導権を握っているとも言える
「伝えたい」
この意識でいる場合、
相手の反応に自分の感情が左右される可能性は低いと言える
主導権は自分の側にあるとも言える

どちらの想いで相手に話しかけているだろうか?
これらの言葉を使い分けているだろうか?

ご意見・ご質問は
シニフィアン研究所の迎意 愛(むかいあい)までどうぞ

http://signifiant-lab.com/


2012年05月15日(Tue)▲ページの先頭へ
122)男の子らしく育てる方法
ジェンダー、「らしさ」
男の子は男らしく
女の子は女の子らしく
「肉体的性」と「精神的性」とは必ずしも一致する訳ではない

そう、精神的性は獲得するもの
肉体的に「男」もしくは「女」に生まれても
精神的には「男」「女」は自ら選択できる

肉体的性と精神的性が違う場合
たいていは
何となく違和感があって
あるきっかけで気付いた
そんな場合が多いようだ

先日
ある会話を耳にした
「うちの息子、女っぽくて、、、将来女になったらどうしよう」
「そうよねえ、、、困るよねえ」

子育て講座でも時々質問が出る
そんな時
一つの提案をしている
「性別がはっきり分かるものを与えること」

例えば
・<洋服は性別のハッキリしたものを着せる>
 お姉ちゃんのお下がりは弟には着せない
 可愛いから、もったいないからと言って、性別の違う兄弟姉妹の服を着せない事
 
あるお母さんが、息子に
「顔立ちが優しくて可愛いから、お化粧して着物を着せたい」といって
女の子の着物を着せて、記念写真を撮った幼稚園児(男の子)がいた
周りの大人たちも「可愛いね」「よく似合っている」とはやし立てた
後に、女装する仕事を選択した 

・<親がこどもの性別をしっかり認識し、欲望を持つこと>
あるお父さんが
「どうしても息子が欲しかったが、女の子しかできなかった」と言って
娘の一人に男の子のように接したら
中学生になるとき
「セーラー服は絶対嫌!学生服を着る」と言って大変困ったそうだ
ちなみに、彼女が通う中学校では制服は
男子学生は学生服
女子学生はセーラー服と決まっていたそうだ

このような話はけっこう耳にする

必ずこのようになるとまでは断言できないが
少なくとも
自分の肉体的性に疑問を持つ傾向が高まるだろう

男の子を男らしく育てたいと思うなら
どのような男の子になって欲しいかを思い描き
そのように語り、接することが必須であるだろう

詳しくは
「子育て相談」「子育て講座」にて答えています。
シニフィアン研究所のHPまでhttp://signifiant-lab.com/#146
http://signifiant-lab.com/raise/


123)女の数だけ女がいる
遠い昔から
「男は浮気なもの」
と聞いてきた記憶がある

「そんなこと、男の勝手な言い分」

そのように思ってきた
ところが
ある時から、どちらも納得できるようになってきた

男は単純だとも言われる
男は「1」=「付いている」=「持っている」
女は「1以外のすべて」=「付いてない」=「持っていない」
一人の男を知れば「1」だと分かる
しかし
女は1以外の全てだから無数にいろ
だから知りたくなる
そして、永遠に知り尽くすことは無い

その女を知りたいと思うのは、男だけではない
女も自分以外の女はワカラナイ
だから女にとっても「女」は謎であり
興味の対象となる

女の数だけ女がいる
だとした
男が浮気だと言われるのも納得がゆくではないか
しかし
一人の女からすれば
男の浮気なのは許せない
男の勝手な言い分だと言いたくなるのも頷ける

とかく
女にとっても女は謎である
男がよく言うではないか
「女は解らん」と
その通り
女は永遠に謎を秘めているのです

男と女について語りませんか?
シニフィアン研究所はこちら http://signifiant-lab.com/
http://signifiant-lab.com/woman/


124)生んでくれと頼んだ覚えはない
一度はこの言葉を親に向かって吐き出したことがあるだろうか?
大抵は、思春期と呼ばれる時期に
親と意見の衝突や食い違いがあった時
たまりかねて
「生んでくれと頼んだ覚えはない!」
と、叫んだことがあるだろう
あるいは、心の中で叫んだ事もあるだろう

この言葉を子どもから吐き出されて
親としては一人前

子どもが親に向かってこのような暴言を吐き出せるのは
「親だから良いだろう」
大きな甘えの気持ちでもある

親からすれば
「口ばっかり偉そうな事を言って、誰のお陰でここまで大きくなれたと思ってるんだ」
「一人前な口きいて、やってることは何だ」
「世の中それじゃ 渡っていけやしない」
などなど
言いたいことは沢山あるだろう

逆に
最近は、こんな会話さえも無いに等しいくらい
家族間の対話は無い傾向にあるようだ
伝達はあっても、
じっくり腰を据えて
目を見詰め合って(にらみ合うこともある)
真剣に対話することもない

もし
子どもが、こんな言葉を吐き出したなら
しっかり受け止め、否定してやればいい
「偉そうな口きくんじゃない」
「親のお陰でここまで来れたんだ」
「そこまで言うなら、やってみるがいい」

親にしっかり否定され、
歯軋りして、悔し涙を抑えて
それを踏み台にして
その親を乗り越えてゆくのだから

子どもをしっかり叱り飛ばせるくらいの親であれ
それくらいに真剣にぶつかり合える親子であれ
父はしっかり語ること
母は口出ししないこと
もう母は馬鹿にされているのだから

子育て・夫婦・非行・虐待の相談はこちらまで
シニフィアン研究所 むかい あい
http://signifiant-lab.com/
http://signifiant-lab.com/raise/
http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/


125)叫びを聴いて!
「気になんかしてないさ」
「どうなってもいいんだ」
「どうせ誰も解らないんだから」
「人なんか信用できない」
このような言葉をいつも口にする
何度も言う
あるいは、強調して言う

それは
気付いて欲しい
解って欲しい
と、叫んでいることと等価

「気にして欲しい」
「信用して欲しい」
「解って欲しい」
と、必死の想いで叫んでいる
だけど
誰も気付いてくれない
解ろうとしてくれない

だから
反対の事を叫ぶ

その叫びを解ってくれるのは
同じく叫んでいる人だけだと感じる
それは
同調するから
共振するから
「お前も俺と同じことを叫んでいる」
だから集う
だからたむろする

そこは居心地がいいと感じる
解ってくれると感じ合える

同じ何か一つがあれば良い
それだけで通じ合うと幻想できる
それだけで
仲間意識を持てる
ゆえに
誰よりも一人を怖れる
その輪から離れることを怖れる

逆に
敢えて一人を選ぶ場合もある
その人は
心を開くことはない
なぜなら
閉じていれば傷つきは表面だけで済むから

どちらも
解って欲しい
信用して欲しい
と叫んでいることでは等価

叫びを知りたい方
聞いて欲しい方はこちらまでどうぞ

シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/
子育てのサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/もあります


126)消えてしまいたい
「失踪したい」
「消えてしまいたい」

このように語る人達がいる

人はどのような時に、このように思うのだろう?
その場に居たら、恥ずかしい想いをする
相手に否定される
居ても居なくても同じと感じるetc

どうして、そのように思うのだろう?
共通しているのは
「居ても居なくても同じ」
と語る言葉を聞く

消えてしまいたい
失踪する
のは
自分という存在が
その場に居ても居なくても同じ
つまり
「その場に居る意味がない」
と思うから

自分がその場に居ることの意味を見出せないから
「居ても居なくても同じ」
「消えたくなる」
「失踪する」
となってしまう

客観的に意味があるとか、ないとかは関係ない
自分が、その場に居る事の意味を見出せるかどうか
それが重要となる

人は、意味付けることで生きている
何らかの意味づけができなくなった時
「消えたくなる」
「失踪したくなる」

あなたは消えてしまいたいと思ったことはありませんか?
存在する意味を見出せていますか?
意味づけをもっていますか?

共に考えてみませんか?
語り合ってみませんか?

興味のある方は
シニフィアン研究所 むかい あいまでどうぞ
http://signifiant-lab.com/


127)安全と安心
安全と安心
すべての人が求めているものと言ってよい

この世に誕生したときから
人は一人では命を存続させる事もままならない存在
そして
大人になっても
形を変えて、誰かを必要としている
広義での「世話してくれる対象」を

それが時には「愛」と呼ばれる
その愛に応えてくれる相手を求めて彷徨っている
そんな弱い存在でもある

その基本は幼少期にある
特に「乳幼児期」
その時期に
安心と安全を与えられなかったなら
体験できなかったなら
「PTSD」の基を作ると言っても過言ではない

日々のクライアントの叫びを聴いていて痛感する
すべての人の根底には
「PTSD」の芽が宿っている

だからこそ
人は「愛」と言う名の対象を求める
癒されたいと願う
癒されたいと願うのは
傷ついている証拠でもある

それこそ
PTSDの萌芽とも言える気がする

安心と安全
あなたはどんな時に
どんな相手と居る時に
それらを感じますか?

愛について考えている方
癒されたいと思っている方
何に傷つき
何を求めているのか
語ってみませんか?

質問・お問い合わせは
シニフィアン研究所の ≪むかい あい≫までどうぞ
http://signifiant-lab.com
トラウマのサイトはこちらです
http://signifiant-lab.com/trauma/


128)言語の刃
「言葉は人生かしもすれば、殺しもする」
「人を生かすも殺すも言葉一つだ」
「言霊」

このような言葉を聞いたことがあるだろう

人は言葉一つで
喜んだり、悲しんだり、怒ったりする
人間って本当に面白い(興味深い)生き物だ

まさしく、人は「言語の海」で翻弄される木の葉のようだ
ラカンは「言語に隷属している」と言った

人は人として人を殺せない
特に、相手の目を見てしまったら決心が鈍るという
だから
背後からだったり、相手の目に覆いをかぶせたり
目を見ないようにするのだろう

また
「あれは犬だ」
「腐った野菜だ」
「役に立たないものだ」
と、動物や植物にしてしまうのも
≪言語≫である

逆に
動物や植物を人間にもする

≪言語≫
それを使って自分の世界を創り上げている
その自分固有の世界を引っさげながら
社会と言う名の≪言語の海≫の中を流離っている

自分を生かすも殺すも言語
人は皆
言語という刃を持ち歩いているようなものだと言えないだろうか?
自分がどのような刃を持っているか
あなたは考えたことがあるだろうか?
それは「愛」と言う衣に包まった刃ではないだろうか?

そのような視点で考えてみませんか?
シニフィアン研究所では「語り亭」を開催しています
お問い合わせはこちらまでhttp://signifiant-lab.com/
子育てのサイトはこちらですhttp://signifiant-lab.com/raise/


2012年05月14日(Mon)▲ページの先頭へ
202)19年清掃続けコロンビア大学を卒業
アメリカの名門大学、コロンビア大学で、19年間構内の清掃員をしながら授業料の免除制度を利用して勉強を続けた男性(ガッツ・フィリーパイさん52歳)が、13日、学士号を取得して卒業し、全米で話題となっています。
旧ユーゴスラビアで生まれ、32歳のとき、戦渦を逃れてアメリカに渡りました。
当時、英語が全く話せなかったフィリーパイさんは、コロンビア大学で清掃員の仕事を得たあと、授業料免除制度を利用して英語を勉強し、午前中は授業に出席、午後は11時まで掃除やゴミ捨ての仕事という生活を19年間続けた結果、このたび古典学の学士号を取得し、13日、卒業しました。
自給22ドルの中から故郷の家族にも仕送りもしているとか。
インタビューの中で「当たり前の事を当たり前にしただけです」と語り、                                           モットーは【幸せはポケットの中ではなく、心の中に】。次は修士号を狙いたいとして、このまま清掃員として大学に残り、勉強を続けるということです。 

NHKでこのようなニュースが紹介されていました。
みなさんはどのように感じますか?
素晴らしい!の一言ですよね。
名前を聞いた時
「ガッツ」さんの名前そのものだと思ったのは、きっと私だけではないでしょうね!


日本に居ると、「内戦」や「紛争」などと聞いても、身近な事だとなかなか思えないのではないでしょうか?
大変な状況であるからこそ、なお一層その意欲が湧いてきたのかもしれないとも思いました。
そして、あの有名なスティーブ・ジョブズの名言を思い出しました。
『Stay Hungry.Stay foolish.(ハングリーであれ、愚か者であれ)』
ハングリーだからこそ、それをエネルゲンとして突き進む。
例えば「なにくそ、負けてたまるか!」
そのようにしてハングリー精神が推進力となって、前進するパワーを生み出すのでしょう。

満たされている時は、欲望も湧きにくいと言えるでしょう。
自分には「不足している」「ない」と思うからこそ、「欲しい」と思う。
これを「欲望」と呼ぶ。
つまり、「ハングリー」の度合いが大きければ大きいほど
その求める欲望は大きくなる。
もし、欲望が持てないなら
もし、欲望が湧かないのなら
自分の中にきっとあるであろう「ハングリー」を探し出せば良いのではないでしょうか?
誰しも、すべてに満足している人はいないでしょうから。

日々の面談の中で、
したいことが見つからない
何をしたいのか分からない
と語るクライアントと共に「ハングリー」な部分を探しています。

シニフィアン研究所のHPも参照ください
http://signifiant-lab.com/
摂食障害・リストカットのサイトもあります
http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
トラウマのサイトはこちらです
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2012年05月12日(Sat)▲ページの先頭へ
130)戦場の戦士
今や、子どもたちも戦場の戦士だ
そのように感じる
かつて
「男は一歩外に出れば、7人の敵がいる」
そのように言われた時代があった

それが今や
女性も子どもも社会と言う戦場で戦う戦士となった
大人はそれでも良いかもしれない

子どもはどうだろうか?
子ども時代から、大人世界に生きるのはどうだろう?
子どもは
わがままで、気ままで、大人の言う事は聞かない
自己中心的で、自分のことしか考えない
これが特徴ではないのか?

それが幼少期から
相手の事を考えることを強要される大人世界に参入する
塾だけでなく、数限りなくある「習い事」然り
メディア世界への進出は、すさまじいものがある

子ども時代に、子どもを堪能すること
つまり
わがまま、気まま放題を楽しむ時を持つこと
満足を味わう事
好きなことに没頭する体験をすること
たとえそれがゲームであっても良い
自己中と冒険の時間を持つこと

大人から見て「くだらない」「つまらない」「何の役にもたたない」
そのように思えることでも良い
没頭する体験

子どもを戦士にしてはいけないと思う
戦場の戦士にしてはいけない
戦士に心の安らぎは許されないのだから
何より
「安全と安心」が必須事項
安全と安心はPTSDの人にとって最優先的に必須のもの
戦士にはそれがない

子どもを戦士にしてはいけない!!
子どもにPTSDの種を蒔いてはいけない
安心と安全の衣で包んでやらなければならない
それが大人たちの責務だ
親としての責任でもある

親として子どもに何をすれば良いか?
勉強会をしています
興味のある方は
シニフィアン研究所 むかいあい までどうぞ
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131)寄り添うこと
クリスマスイヴ&クリスマス&お正月などイベント
多くの家族や恋人たちが、肩を並べ
肩を寄り添わせながらながら歩く

そんな光景が浮かんでくる人も多いことだろう

体を寄り添わせると言えば
たいていの人は、どのようにすることか解るだろう
では
気持ちを、心を寄り添わせる、寄り添うとは
どうすることだろうか?

「心を寄り添わせる」

相手は
きっと、このように思っているに違いない
きっと、こうしてもらいたいに違いない
などと、自分の思いや考えで行動することは
心を寄り添わせることではない
「相手の立場に立って考える」のではない
それは
自分の思いや考えを、相手に押し付けていることになりかねない
たまたま、そうだったなら良いが
そうでなかった場合
一転して、相手に対する怒りや不満や憎しみに変わる可能性がある

寄り添わせるとは
自分の思いや考えを捨て去ること
自分の心を更地にすること
「空」にすること
どれだけ自分を捨て去る事ができるかに係っている

そうすれば
きっと、相手の心が観えてくるだろう
「寄り添うこと」がどういうことか観えてくるだろう

寄り添い方に興味をもたれた方は
シニフィアン研究所 むかいあいまでどうぞ
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132)感情の嵐に振り回される
相手の顔色が気になる
相手の態度や言動が気になって仕方がない
相手によって、自分の気分や行動が左右される
相手が感情的に向かってくる
それは嫌だ
だけど気になる
その人に気に入られたいと思う
どうしてこんなに気になるのだろう?
どうしてこんなにも振り回されるのか?

気にしなければいいじゃないか
相手に振り回されるなんて馬鹿らしい

だけど、
気になってしまう自分がいる
どうして?
なぜ?
何度自分に問いかけても、言い聞かせても
同じ、変わらない、、、

それは
相手からの情動的な関わり方に反応しているのだ
相手の感情に振り回されているのだ

どうして
それほどまでに相手の感情に振り回されるのか?

それは、、、
自らが情緒的な関わりを求めているからだ
情緒的な関わりを求めていながら
どこかで、そんな自分を諦めてしまっていたからだ
『こんなにも相手に対して情緒的な関わりを求めているのに、相手は答えてくれない。
 もう、これ以上求めても無理だ、諦めるしかない。』
このように
いつか、どこかで諦めてしまった自分がいるからだ

だから
こんなにもその人の感情に振り回されるのだ
嫌だったとしても
感情的に関わり、感情的に反応できる自分が居る
それは
かつて、求めながら得られなくて、断念した欲望だから
だから気になるのだ
だから振り回されてしまうのだ

あなたは
どうしても気になってしまう人がいませんか?
感情的の嵐に振り回される相手はいませんか?
そんな自分をコントロールできないことはないですか?

お問い合わせ・質問は
シニフィアン研究所 むかいあいまでどうぞ

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133)手作りパワー
『ご飯だったら食べないけど、おにぎりだったら食べる』
ある子どもが言った

この子どもは何を語っているのだろうか?
何を伝えようとしているのか?
語った子どももワカラナイ

「ご飯」と「おにぎり」

同じお米を炊いたものだ
何が違う?

「ご飯」は炊飯器が炊いたもの
「おにぎり」はそのご飯を母が握ったもの
母の手が加わっている

お母さんが手をかけたものだから
子どもは「おにぎり」なら食べると語ったのだ
つまり
『お母さんの手をかけて欲しい』
ということを語っている

「おにぎり」の向こうに大好きなお母さんを求めている
お母さんの姿を見ている
お母さんの愛を求めているのだ
だから
「ご飯」なら食べないけど
「おにぎり」なら食べると言うのだ

お母さんを求めている
お母さんの愛を求めている
だって
世界中で一番大好きなんだもの!!

美味しいとか綺麗な形だとか、そんなことはどうでもいい
自分のために
お母さんが握ってくれる「おにぎり」が欲しいのだ

そんな叫び声が聴こえてくる

もっと耳を傾けよう
もっと眼差しを向けよう
もっと手をかけよう
手作りパワーだ

『オカアサン』
何て素敵な響きなのでしょう!!

子育て相談をしています
シニフィアン研究所 「むかい あい」までどうぞ
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134)空虚感と充実感
「虚しい」
「何をしても虚しい」
このように語る人がいる

この虚しさは何だろうか?
どういうことなのだろうか?

虚しい=むなしい=空しい
つまり
カラッポ=中身がない
スカスカ=連続していない
詰まっていない

積み重なっていない
それは
底に穴が空いている
受け皿がないから流れてしまう
だから、怖くて
前に進めない
思いっきり走れないのだ

まさしく【精神の骨粗しょう症】である

穴が空いているのなら、それを塞ごう
受け皿が無いなら、作ろう
繋がっていないのなら、繋げよう
そうすれば
積み重なっている・繋がっている実感が持てるだろう

積み重なっている・繋がっている実感があるとは?
それは時間的・空間的存在であること
時間が連続して積み重なり
空間的にも存在している実感があること
つまり
歴史的存在であると思えることでもある

それを持てたら
虚しさは充実へと変わってゆくだろう
空虚間に気付き、充実感へと変えたいと望むなら
シニフィアン研究所 <むかいあい>まで

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135)鏡を気にする
電車に乗っていると
やたらと鏡を持ち出して顔や髪型をチェックしている
あるいは
化粧のフルメイクをしている女性もいる
こんな光景に出くわす

いつもバッグの中には手鏡が入っているらしい
女子高生やお勤めの女性などなど
最近は
男性も手鏡を持っているらしい
犯罪行為のためは別として
身だしなみのためらしい

これらは
鏡に映る身近らの姿を気にする行為
過剰に何度も見たり
手放せないというのは
なぜだろうか?

自分という「一つのまとまりイメージの確認」と言えないだろうか?
つまり
鏡を見て
間違いなく自分は一人のまとまりある存在である
との確認作業
鏡を見て確かめないと不安になってしまう

言い方を変えれば
自分の理想の姿であることの確認作業
それが崩れていないことの確認作業

それを何度も確かめないと不安になってしまう
それは
人の眼を気にするというよりも
自分の描く姿のまとまりで有り続けることの確認
それが壊れてしまうことへの不安がある

では、なぜそこまでして頻繁に確認作業をするのだろうか?

それは
自分の中に自分を肯定するイメージがないから
だから
外にある鏡で確認するしか
不安を払拭する方法を知らないのだ

何度も何度も確認しないと
不安で仕方ないのだ
化粧の崩れは、自己イメージの崩れだと思っている
だから
必死の想いで
何度も何度も
繰り返し、繰り返し
崩れていないことを確認するのだ

鏡を手放せない人
気になって仕方ない人
精神分析と言う鏡で自分の統一像を手に入れませんか?
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136)扇風機おばさん
先日TVで「扇風機おばさん」と呼ばれている
韓国の女性の紹介を見た

詳細は省略して
彼女曰く
「整形依存症」になった結果
「扇風機おばさん」と呼ばれることになった

【キレイになりたい】
ただその一念で
ひたすら「シリコン」を打ち続け
果ては「サラダ油」まで全身に注射した
それほどまでして
【キレイになりたい】と考え、実行したという

彼女の『欲望』とは一体なんだろうか?
整形依存、変身願望、
歌手になりたいとも語っていた

芸能界で生きる人の中には
スポットライトを浴びたい欲望
眼差しを一身に浴びたい欲望
それは
【注目されること】

「扇風機おばさん」も同じではないだろうか?
【キレイになりたい欲望】
は達成されなかったかもしれないけれど
【注目される】
という意味では、彼女はすでに手に入れている

つまり
彼女の無意識の欲望は
【注目されること】

だとしたら
人は、自らの身体を傷つけてまでも
自分の欲望は必ず達成するものだと言える
(彼女は数え切れないくらいの手術をしている)

そして
彼女はまた日本のメディアに登場して
【注目される】欲望を実現したのである

ご意見・ご質問は
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137)『死』が刻印するもの
誰もがいつかは必ず行き着く『死』

それぞれに原因・理由があることだろう
それらの原因や理由はさておき
『死』が他者に与えるものは何か?
と問いかけてみよう

一つの例として
永遠に消えることのない刻印を残す
特に突然に、あるいは若くして死す場合には
その『死』そのものの刻印としてだけでなく
永遠に止まった時の姿のままで保存される
永遠に年をとらず
残された他者の心の中に刻印される

他者がどんなに厚い抱擁をしてくれたとしても
どんなに愛していると囁いてくれたとしても
それが永遠である保障はどこにもない
しかし
『死』は永遠に消えない刻印を
ある特定の人の心の中に刻み込む
そして
その人の心の世界では永遠に年をとらずに生き続ける

深い悲しみと
永遠に生身に触れることのできない事実
時空を超えて
まるで刺青のように消えない
痛みが消えたとしても
イメージとして焼きついている

そして
いつか
そのイメージに新たな「名前」をつけよう
自分固有の名前を!
そして、歩み始めよう
その名前が
共に刻む新たな歴史の時となり
動き始めることだろう


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138)信じること
人を信じるとは?
文字通り、その人の言うことを信じること

行動を見て、言う事とすることが一致しているから信じる
一致していないから信じられない
というかもしれない

それは
人の言うことを信じたけれど、裏切られたことがあるからだろう
裏切られたことがなければ
その人の行動を見なくても、言ったことを信じるだろう
つまり
言行一致を見ないと信じられないという人は
かつて、誰かに裏切られたことがあったのではないだろうか?

人を信じることとは
その人の言うことを信じること
つまり
言葉(言語)を信じることでもある

言語を信じるからこそ
自分もその言語を使って、人と対峙する
そして
その人が語った言語を信じる
その人を信じるのだ

言語を信じられない人は
人に裏切られ、傷つき
『もう二度と人の言うことを信じない』
と心に決めた人だろう
それほど
裏切られ続けてきたのだろう

だから
人を信じない、言語を信じようとしない

「金は人を裏切らない」
「ペットは裏切らない」
と言うのだろう

人は言語を使って騙すこともある
言語一つのために「命」を賭けることもある
言語一つのために、人は死ねる
だけど
言語一つで、生き返ることもある
言語一つで、元気が湧いてくることがある
言語一つのために、立ち上がれる
言語一つで、どのような苦難をも乗り越えられるのだ

それほどの力を持っている
ならば
その言語の力を生かそう!
言語を疑うよりも、信じて生きよう!!人を信じよう!!

シニフィアン研究所はこちら http://signifiant-lab.com/
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2012年05月11日(Fri)▲ページの先頭へ
139)否定は全てを無化する
「ダメ!」
と否定することは
否定したそのものが無くなる(=無化する)

例えば
「悪いことする手はダメ!」
と言えば、その手は無いものとなる
「悪い足ね、そんな足はいらない」
と言えば、その足は無くなる
「ウルサイ口だな、黙れ!」
と言ったなら、しゃべれなくなる
「あんたなんか要らない」
と冗談にでも言ったなら、その人は存在しないことになる

ましてや、影響力の大きい人から言われたなら、なおさらである
あっても無いに等しい
居ても居ないに等しい
否定することは無化することと等価となる

冗談のつもりで否定していないだろうか?
しつけと言う名の下に、否定していないだろうか?

お金が無いから手にできないのではなく
掴む手が無化されているから、手に入れられないのである
語る口がないから、欲しいと言えないのだ

それらは
否定されたから、あっても機能しない

あっても機能しないのなら
肯定すれば良い
褒めれば良い
承認・賞賛すれば、必ず動き出す

無化されて機能していないものはありませんか?
再度機能するようにしませんか?
お問い合わせは
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140)暴れるのは言葉が通じないから
思春期の少年少女たちが暴れる
物を壊したり
暴言を吐いたり
時には人に暴力を加えたりする

いけない事だとは多分知っているはず
なのになぜ?

思春期は体の成長と、
精神的な成長のバランスが巧くコントロールできにくい時期
進路や将来への夢や
自分への問いかけを求められる時期でもある
肉体的にも大人へと激的な変貌を遂げる
そんな性衝動をも適切に処理することを求められる
疾風怒濤の時期だと言われる

暴れるのは、思春期の人達だけではない
3歳児だってそうだし
それ以外の年齢の人にもある

なぜ?
一つには
うまく言葉に表せない
この気持ちをどのように表現したら良いのかワカラナイ
突き上げてくる感情や衝動
それらに言葉が追いつかない場合
行動で表現してしまうことになる

また一つには
言葉で表現しているのに
相手がそれを理解してくれない
相手が理解しようとしてくれない
自分の意見を押し付けようとして、聞いてくれない
聞くふりをするだけ
何度も何度も言葉で伝えようとするのだけれど
届かない

それで、イライラして
ついには暴力という手段に訴えてしまう

それらが習慣化してしまって=諦めてしまって
暴力という手段に固定化してしまう

他にも
暴力行為には
「目立ちたい」という気持ちも潜んでいる場合がある

いずれにしても
その暴力には彼らなりの意味付けがある
つまり
言いたいこと、伝えたい事がある
一つのメッセージだと言えよう

そのメッセージをしっかり聴くこと
その暴力で何を言おうとしているのか?
それを聴く方法がある
それを知れば、きっと聴こえてくるだろう
そのメッセージが!
思春期やこどもの問題でお悩みの方
お問い合わせはシニフィアン研究所まで
http://signifiant-lab.com/


141)「認めること」と「責めること」とは違う
あなたが原因で不都合が起こったとき
あなたはどうするだろうか?

「それは私が悪いんだ」
「私は何て事をしたんだろう、私の責任だ」
「ごめんなさい、私が悪いんです」etc
たいていは謝るだろう

素直に「自分が原因であることを認めること」と
「自分で自分を責めること」とは違う

自分で自分を責めるのは
どこかに自己防衛が潜んではいないだろうか?
悪いのは自分だ
と、自分で自分を責めるのは
相手から責められて、傷つくのを避けるためではないだろか?

相手から指摘される前に
自ら「私が悪いんです」と自分を責める事で
相手が「いや そんなことないよ、あなたが悪いんじゃないよ」
と、言ってもらうためではないのだろうか?

相手から責められて傷つくくらいなら
先に、自分が自分を傷つける方が傷は浅い
そんな自己防衛の気持ちが潜んでいる場合がある

何か失敗や、問題が起こったら
まず先に謝る、自分が悪いと言う場合には
この自己防衛の気持ちが働いている可能性が高い

意識的にする場合と、無意識的にしてしまう場合がある

そちらにしても
現実を直視し、吟味することが必要
その結果、原因が自分にあるならば
素直にその非を認めよう
そうすれば
速やかに問題解決するだろうし
同じ失敗は繰り返す可能性は低くなるだろう

あなたは直ぐに謝っていませんか?
自分の責任だと自責の念に捕らわれていませんか?

シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/


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「精神分析」は、薬物や催眠、暗示など一切使わず、相談者(クライアント)と分析家(インテグレーター)との1対1の対話や夢分析により、自分の無意識に気付き、コンプレックスを解消する信頼に基づいた方法です。
クライアントの自我は、様々な理由によって未成熟であったり、歪んでいたり、傷ついていたり、欠損していたり、不完全な状態で浮遊しています。それに確かな形と安定を与えることが精神分析(セラピー)です。その過程で、ありのままの自分でいい、自分は生きる価値があると自信を持ち、自己愛や自己決定力が高まっていくのです。
このように精神分析は、自己を知ることの喜びと成長をもたらします。インテグレーターはクライアントの援助者であり、伴走者です。また、クライアントの意志を大切にしますので、強制したり無理強いすることはありません。
自分の人生は、自分が書き換えてゆくんだ、との勇気と根気を持って歩むならば、必ず自己探求の喜びと幸せを自覚し、自らの意志で未来を切り開いていくことでしょう。




カレンダ
2012年5月
   
   

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