≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫自己治癒力で心身が整っていく - 2012/06

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。




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2012年06月30日(Sat)▲ページの先頭へ
233)飽きっぽい、長続きしないのはなぜ?
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は「飽きっぽい・長続きしない」について書きたいと思います。

6月29日付のヤフーニュースで見つけた記事です。
タイトルは「なぜ、日本の研究者は人型ロボットを作るのか」
その中で、早稲田大学の高西淳夫教授が答えていた。
「人型ロボット研究の最大の問題、あるいは宿命というのは、『人という明確な目標がある』ということです。(中略)ロボットに人のまねをさせようとすればするほど、永遠にゴールに行きつけないと痛感します。そのために、やめられなくなってしまいます。」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120629-00000302-nipponcom-pol (より引用)

「永遠にゴールに行きつけない」「そのために、やめられなくなってしまいます」
これらの言葉を中心に、考えてみたいと思います。
少し変形して、
「永遠に手に入らないから、やめられない(興味を持ち続ける)」としてみましょう。
とすると、逆にいうと
「すぐに手に入れば、やめてしまう(興味を持たなくなる)」となります。
つまり
人は、簡単に手に入るものは、すぐにやめてしまいますが、
永遠に手に入らないものは、やめられない(興味を持ち続ける)
と言えることになります。

少し古い表現になりますが、
「高嶺の花」という言葉があります。
ご存知でしょうか?
≪遠くから見るだけで、手に入れることのできないもの、あこがれるだけで、自分にはほど遠いもののたとえ≫ 
のことです。
今風に言うと「追っかけ」が近いでしょうか。
「大好き」と言いますが、
「永遠に手に入らない理想の姿」と思っているのではないでしょうか?

ここから
すぐにやめてしまう人、飽きっぽい人は
「永遠に手に入らないものを持っていない」ということになるのではないでしょうか?
長続きしないのは、性格ではなくて
「やめられない」と思えるものがないからではないでしょうか?
言葉を変えると
「興味をもつものがない」→「手に入らないものがない」→「手に入れたいものがない」

では、なぜ手に入れたいものがないのでしょうか?
次回は、このことについて考えてみたいと思います。

シニフィアン研究所では、このような方の相談もしています。
こちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/


2012年06月29日(Fri)▲ページの先頭へ
232)橋下市長「大阪独自の脱法ハーブ規制始める」
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は「酩酊と夢中」について書きたいと思います。

最近、メディアで「脱法ハーブ」の報道が目立つようになりました。
いくつか検索してみました。
運転中「脱法ハーブ吸った」 2人はねた容疑、男逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120603-00000087-san-soci
脱法ハーブ影響と判断 伏見の人身事故で地検
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120629-00000004-kyt-l26
脱法ハーブ吸引:医師戒告、看護師は訓戒 県立病院機構処分、病院長ら3人厳重注意 /山梨
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120627-00000009-mailo-l19
<大阪知事>脱法ハーブ規制、9月議会に提案へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120625-00000110-mai-pol
橋下市長「大阪独自の脱法ハーブ規制始める」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120624-00000241-yom-soci
枚挙に暇がないくらいです。
特に、運転中の事故が増え、街中で誰もが簡単に手に入ることもあり、
東京都初め、大阪市の橋下市長も動き始めたようです。
「脱法ハーブ」に関する是非はともあれ、
今日はこの「酩酊と夢中」について書いてみたいと思います。

酩酊は、「ひどく酒に酔うこと」
夢中は、「夢の中・自覚を失うこと・物事に熱中して我を忘れること」
と辞書にあります。
意識がなくなったり、飛んだり、覚えていないという状態になるということでは
アルコールで酩酊することも、
何かに夢中になって我を忘れるのも、
失神するのも同じではないかと思います。

では、どうしてこのようなことをするのでしょう?
それは
心の緊張が高まったとき、
人は何らかの方法で、その緊張を緩和(開放・放出)することが必要だからです。
でないと、心が悲鳴をあげてしまうでしょう。

そこで、
スポーツや応援やライブ、アルコールでの盛り上がりなど様々な方法が用意されています。
(少々、後にその余韻を残すかもしれませんが)
状況に合わせて切り替えができる限り、有効な方法でしょう。
この時期だと大人は「ビアガーデンや居酒屋で盛り上がろう」
と、発散するのではないでしょうか?
酩酊・夢中になっている間だけは、そのことを忘れていられる、考えなくてもよい
自分では制御できない何かから逃れられる。
アルコールなどの力を借りて、騒いだり、泣いたり、大声をあげたり、歌ったり、
その勢いで眠ったりする。
このようにして、心の緊張を緩和しようとするのです。

ところが、過度の飲酒や薬物や脱法ハーブなどは
本人はもちろん、
他者をも巻き込んだ迷惑行為となる可能性が高いのは言うまでもないことです。
このような方法をとってしまうのは
「これしか知らない」からではないでしょうか?

スポーツやお祭りなどで発散する方法もありますが、
それらは、ある制約(ルール)が必ずあります。
その制約の中で許される事柄です。
そこで
・「制約を守る」のがめんどうくさい
・勝手気ままに発散したい
となり、手っ取り早くできる方法として「酩酊」を選んでしまうのではないでしょうか?
これらは、幼児性を表現する言語でもあります。
ここから、
「めんどうくさい」「勝手気ままにしたい」との行動が過剰な場合
その時、幼児の心の状態にあるといえるのではないでしょうか?
このように考えていくと
「酩酊」や「夢中」になっている時は幼児の状態に戻っている
そのように思えるのです。

時には、人は幼児の状態に戻って、開放することによって
自分を取り戻す必要があると思います。
その方法の一つが、「何かに夢中になる」ことだと思うのです。
「酩酊」はその手段を選ぶ必要があることは当然でしょう。
「夢中」を選ぶか「酩酊」を選ぶかは
幼少期の緊張の緩和の方向付け(ルールがあることの自覚)が
少なからず影響していると思われます。
このことについては、次回にしたいと思います。

シニフィアン研究所のサブサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/も参照ください。


2012年06月28日(Thu)▲ページの先頭へ
231)怒りのゆくえ−解消法
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は「怒りのゆくえ―解消法」について書きたいと思います。

前回、「怒りの基は求めても得られない母の愛」だと書きました。
もう少し、説明が必要だと思いますので、
補足をしてから本題に入りましょう。

「求めても得られない母の愛」とは、具体的に
子どもがお母さんに「〜して欲しい」と言った時に、
すぐに、して欲しいことをしてもらえない、ということです。
「ダメ」はもちろんのこと、
「後でね」「もうちょっと待ってね」「それよりもこれにしようね」も同じことです。
このように考えていくと
まず、殆どの子どもはしてもらっていません。
つまり
ほとんどすべての子どもは、何らかの怒りを持っていることになります。

では、この「怒り」はどうなるのでしょうか?
「怒りのゆくえ―解消法」です。
怒りが溜まれば、いつかどこかで吐き出さなければならなくなります。
はけ口が必要となります。
怒りは「攻撃心」にも置き換えられます。
怒りの解消法は色々ありますが、いくつか挙げてみましょう。

まず、合法的(健全)な解消法から紹介します。

遊びやスポーツや仕事で解消する
1)公園や広場で体を思いっきり動かして遊ぶ
2)水泳、武道、サッカー・野球などスポーツをする
3)大声を出す仕事、肉体を使った仕事、重機を使った解体業などに就く
4)おみこしを担いだり、お祭り騒ぎをする

もし、何らかの事情で
合法的な解消法が取れなかった場合
1)大声で叫ぶ、泣く、暴れる―衝動的・発作的方法
 小さい子どもが一番取りやすい方法です。
 これが大きくなると、いじめ・非行・暴力・暴走・殺人などの犯罪へと繋がる可能性があります。

2)病気やけがをする―疾病利得・転換
 一見、理解しにくいかもしれませんが、 怒りを相手から自分へと向け換える方法です。
 「お母さんが愛を与えてくれないのは、自分が悪いからだ」と自分を責める方向です。
 これは、抑うつやうつへと向かいやすい方向です。

3)引きこもり、寝る、食べる、アルコールなどで意識低下をする
 この場合の引きこもりは、外に出ると誰かを傷つけるかもしれないから人に会わないための方法です。
 ストレスが溜まると、寝たり、ヤケ食いしたり、お酒で紛らわせるのは、
 一般的によく使われる方法ですが、過剰となる場合は依存症にまで発展する可能性があります。
 (最近は、若い女性のアルコール依存症が増えているとのことです)

代表的は方法を書きましたが、
怒りを持つことが問題ではなく(すべての人が持っているもの)、
その怒りを発散する方法が問題なのだということになります。
一番手っ取り早い方法は、スポーツなどで体を使って発散する方法でしょう。
その時々の、自分(子ども)に合った方法で大いに発散しましょう。
このように考えると
日本の伝統行事であるお祭りでの神輿担ぎなどは
若者の溜まった怒り(攻撃心)を、一年に一度、
思いっきり発散する一つの機会として継承されてきたものかもしれませんね。

ともあれ、
年齢と環境に応じた「怒り」の発散方法を持っていることが
精神的にも、社会に適応する意味においても
大切なことではないでしょうか?

次回は、今回と関連があると思われる「脱法ハーブ」を考えたいと思います。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
サブサイト「摂食障害・リストカット」もあります。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/


2012年06月27日(Wed)▲ページの先頭へ
230)怒りの基は母の愛
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は「怒りの基は母の愛」について書きたいと思います。

前回、お母さんが好きなものは子どもも好きになる、と書きました。
ところが、時には
「母が好きなものは、私は嫌いです」と言う人がいます。
なぜなのかを考えてみたいと思います。

具体的には、、本人に聞いてみないと分かりません。
でも、少なくとも、その人はお母さんが好きだとういうことは分かります。
ひょっとしたら、大好きかもしれません。
「好き」と「嫌い」は反対語です。
ということは、
好きと嫌いは、同じものの裏と表だと言えるでしょう。
なぜなら、その人に関心を持っていることに変わりはないからです。
関心があるから「好き」「嫌い」と感じるのです。
その証拠に、
関心のないものに対しては「好き」「嫌い」の判断はしないのではないでしょうか?
もし、言うとしたら
「どっちでもない」「どうでもいい」ではないでしょうか。
つまり
「好き」もしくは「嫌い」とはっきり言えるということは
そのものに対して「関心がある」と言っていることと同じだと言えるでしょう。
何となく分かっていただけましたでしょうか?

では、なぜ関心があるのに、「嫌い」と言うのでしょうか?
(やっと最初の問いかけに戻ってきました)
ある1つの例で考えてみましょう。

お母さんが、自分の好きなことをしていると仮定します。
当然、子どもよりもその事柄に関心が向き、集中しています。
そのことが、お母さんにとってNO.1の関心事になります。
子どもの視点から考えると、子どもはNO.2になります。
そうすると、子どもは、
「お母さんは、自分よりもその事の方が大切なんだ」と感じるのではないでしょうか。
そんな時、大抵の子どもは邪魔をします。
「ねえ、お母さん、遊ぼう」とか
「ぼく(わたし)もする」とか
それでも相手にしてくれなかったら
怒ったり、泣いたり、暴れたり、
時には、お母さんが関心をもっているものをメチャメチャにしたりするでしょう。
それでも聞いてくれなかったらどうするでしょう。
諦めます。
すると、お母さんはホッとします。
そして、安心してまた夢中になります。

このようなことが、あちこちで毎日のように繰り返されます。
お母さんが気付かなかったら永遠に続くことになります。
子どもの怒りはどうなるでしょうか?
子どもの悲しみや寂しさはどこへ?
考えてみてください。
このようにして、すべての子どもは
「怒り」を基にして「悲しさ」「寂しさ」も小さな胸に抱えるのです。
母の関心(愛)を与えられなかったことが、怒りの原点にあると思えるのです。
ここから
「怒り」の基は求めても得られなかった「母の愛」だと言いたいのです。

それらの蓄積が、例えば
「お母さんの好きなものは嫌い」となるのではないでしょうか。
蓄積された「怒り」「悲しさ」「寂しさ」は、一体どこへ行くのでしょうか?
これは、次回のテーマです。

関心を持たれた方は、シニフィアン研究所の
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
女たちよ賢明であれ!http://signifiant-lab.com/woman/
を参照ください。


2012年06月26日(Tue)▲ページの先頭へ
229)子どもはお母さんが好きなものが好き
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「子どもはお母さんが好きなものが好き」について書きたいと思います。

まず質問です。
あなたが好きなもの(こと)は、何ですか?
好きになったきっかけは何ですか?
誰かの姿や様子を見たのがきっかけではありませんか?
例えば
食べ物なら「美味しそうだったから」「いい匂いがしたから」
スポーツなら「楽しそうだったから」
仕事なら「やりがいがあると思ったから」「活き活きしていたから」
遊びなら「面白そうだったから」
洋服や装飾品なら「かっこよかったから」「キレイだったから」などなど

この基本は「真似る」だと思います。
たいていの人は、好きな人、興味がある人の「真似」をしたいと思うでしょう。
大人でもそうですから、子どもなら当然です。
大好きな人(=お母さん)の真似をしたいと思うでしょう。

「どうして音楽をしようと思ったのですか?」との質問に
あるアーティストは
「小さいときからいつも側にあったんです」
「親がやっていて、自然と覚えたんですよ」と答えていました。
常に側に真似る対象があった=環境があった
と言えるのではないでしょうか?
親が楽しそうにしている姿を見て、自分もやってみたいと思う。
これが、最初のきっかけではないでしょうか?

こどもの年齢が小さければ小さいほど、この傾向が大きいのは言うまでもないでしょう。
子どもは「真似る」のが得意です。
お母さんがしていることを真似ます。
お母さんが楽しそうだったら、子どもにも楽しいと伝わるでしょう。
このことから
子どもに何かを教えたいと思ったなら
まず、お母さんがそれを楽しみましょう。
そうすれば、必ず子どもさんも真似るでしょう。
「ママ、これ好き?」と聞きます。
「そうよ、ママこれ大好き」と答えましょう。
そうすればきっと「ぼく(わたし)もこれ大好き」と言うことでしょう。
子どもはお母さんが好きなものが大好きになるのです。
なぜなら、子どもはお母さんが世界で一番好きだから。

ところが、もし
「私は、母が好きだったことは嫌いです。」
という人がいたら、どうして?と思うでしょう。
次回、書いてみたいと思います。

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お知らせ
シニフィアン研究所では「すぐに役立つオールOK子育て教室」をしています。
2人以上集まれば、ご希望の場所まで出かけます。
詳しくはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/#10


2012年06月25日(Mon)▲ページの先頭へ
228)子育ては「待つこと」から
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「子育ては待つことから」について書きたいと思います。
子育てには、時間が必要です。
それは、子どもが成長するために必須のものです。
言葉を変えて言うと、「待つこと」だと思います。
待ってもらえなかったらどうなるでしょう?
ここで、ある女性のエピソードを紹介しましょう。(ご本人の了解済みです)
その女性は、「対人恐怖」でした。
人前に立つと緊張し、赤面し、手足が振るえ、汗が出て、
時には言葉が詰まってしまうこともあります。
そして、
早く答えなければいけない、
結果を出さないといけない、
と焦ってしまい、それが余計に緊張する。
このような繰り返しで困っていました。
幼少の頃は、
とてもゆっくりおしゃべりする子どもだったそうです。
彼女のお母さんは、とても勝気で負けず嫌いでした。
そこで、彼女がゆっくりおしゃべりしていると
「もっと早くしゃべりなさい、そんなにゆっくりだと人に負ける」
とにかく
「早く」「もっと早く」が口癖だったということです。
「待ってもらえなかった」と彼女は語りました。
精神分析を通して、
様々な母との葛藤に気付くことで解消していきました。

このように
急かされず、じっくり待ってもらえる体験がいかに大切であるか、
教えてくれていると思います。
待ってもらえず、急かされることが
対人恐怖や引きこもりの一因となるかもしれません。
子どもを育てることは、待つこと。
ただ待てばよいというのではありません。
考えたり、やってみたりすることを、口を出さずに見守ることだと思います。
あなたは口を出さずに待てますか?
あなたは口を出さずに待ってもらったことがありますか?
もし、待てないなら、
口を出す前に、ちょっと待ってみませんか?
何かがちょっと変わるかも知れませんよ。

シニフィアン研究所のHPhttp://signifiant-lab.com/
サブサイト「オールOK子育て法」http://signifiant-lab.com/raise/
も参照ください。


2012年06月22日(Fri)▲ページの先頭へ
227)子育てママの叫び
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「子育てママの叫び」について書きたいと思います。
とにかく、子育てママは大変!
この一言に尽きます。

乳幼児子育て真っ最中のママ、小学生の子どものママ、思春期の子どものママ
成人した息子娘のママ、おばあちゃんと呼ばれるようになったママ
みーんなそれぞれ大変だと言います。
「子育てママ」というと、
小学生くらいまでの子どもさんのママをイメージするかもしれませんが、
極端な話、おばあちゃんと呼ばれるようになっても
それぞれ心配の種は尽きないようです。
そこで、ここでは子どもさんの年齢関係なく
子どもをもった女性を対象に考えてみたいと思います。

前回、「子どもって本当に可愛い?」のタイトルで書きました。
可愛いと思えるのは、頑張っている自分へのご褒美だと書きました。
実は
可愛いと思える時もあるけど、
「可愛くない」、「嫌いだ」と思う時の方が多いかもしれませんね。
あるママに言った事があります。
「子どもなんか大嫌いだ!って叫んでみましょう」と。
だって、嫌いなんだから、嫌いでいいでしょう?
好きな時は「好き」だし、
嫌いな時は、やっぱり「嫌い」なんですから。

子育てに終わりはあるようで、ない。
そう思いませんか?
成人したら子育ては終わりでしょうか?
親を必要としなくなったら終わりでしょうか?
生きている限り、心の中にある限り、終わったとは思えないのではないでしょうか?
だからこそ
好きなときは「好き」
嫌いなときは「嫌い」でいいと思うのです。
子どもは知っています。
ママの心の動きを肌で感じとっているのですから。
「まやかし」や「フリ」は通用しません。

ただ一つ気をつけて欲しいことがあります。
「嫌いだ!」と叫ぶのは子どもさんの前では決して言わないこと。
ママの気持ちを知っていても、
面と向かって言われたら、それが確定してしまいますから。
ショックだし、心の傷となるかもしれませんから!
先ほどのママにも言いました。
「ここは、嫌いだ!と叫んでも良い場所ですよ。思いっ切り叫んで帰りましょう」と。
子育てママは大変です。育児は待ったなしの連続です。
それに、他にも仕事はいっぱいあります。
太古の昔から、
いつも子育ては大変で、とても重要な仕事だったと思います。
そんな凄い仕事(あえてこう呼びます)なんだと声を大にして言いたいと思っています。

女性のみなさん、子育ての大変さを叫んでみませんか?
興味をもたれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください。
子育て教室・出張もしています。http://signifiant-lab.com/raise/


2012年06月21日(Thu)▲ページの先頭へ
226)子どもって本当に可愛い?
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「子どもの可愛さ」について書きたいと思います。
子どもを可愛い」と思いますか?
子どものどこが可愛いですか?
すべてが可愛いと思えますか?
このように書くとお叱りを受けるかもしれませんね。
それを承知で、あえて問いかけてみました。

あるお母さんが言いました。
「私、本当は子どもが嫌いなんです。でも生んでしまったんですよねえ・・・」
「寝ている顔を見ている時だけしか可愛いと思えないんです」
「こんなに大変だって知っていたら、生まなかったかもしれません」
「でも、育てなければいけないんですよね。。。」etc

多くのお母さんたちの話を聞いていて
子どもを可愛いと思うことは、ご褒美なんだと感じることがあります。
子育ては大変です。
子どもは「わがまま」で「気まま」で「自分勝手」で「自己中心的」で「人の言うことは聞かない」し、
なのに、「自分のことは聞いてほしい」と思っている。
本当に、手がかかる、やっかいな生き物だと思う。
その子どもに、いつも寄り添って、要求を満たすべく、答えてあげなければならない。
そして、それが親として当たり前のことだとされる。
これって不公平だし、理不尽だとさえ言えるかもしれない。

「子どもって得だよね」
「子どもって勝手だよね」
「子どもに戻れるものなら、戻りたいわ」
そう思いませんか?
自分の思い描くとおりにしてくれた時は「可愛い」と思える。
それもせいぜい2歳くらいまで。
言葉を話すようになった最初は、たいてい「いや!」だ。
ここから葛藤が始まる。
「言うことが聞けないのなら、勝手にしなさい!」
と叫びたくなる。
それが本音。
でも、外に向かっては言えない。
だったら、せめて「子どもって可愛い」と自分に言おう。
毎日頑張っている自分へのご褒美をあげよう!

このような声をたくさん聞きます。
でも、
それが子どもなんですよねえ。
すべての人に子ども時代がありました。
あなたにも、わたしにも。
その時代はどうだったでしょうか?
覚えているでしょうか?
ひょっとしたら、叱られたことばかりかもしれませんよね。
辛かったこと、寂しかったこと、悲しかったことしか思い出せないかもしれません。
楽しかったこと、嬉しかった想い出ばかりが蘇ってくるでしょうか?

「子どもって本当に可愛い」と思いますか?
もし、可愛いと思えない場合はどうしたらいいのか?
次回に書きたいと思います。

シニフィアン研究所では要望に応じ「子育て教室」などを開催しています。
興味をもたれた方はこちらを参照ください。
http://signifiant-lab.com/#10



2012年06月20日(Wed)▲ページの先頭へ
225)育児放棄(ネグレクト)
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「育児放棄(ネグレクト)」について書きたいと思います。
昨日のヤフーニュースで以下の記事を見つけました。
一部引用します。

「母から隔離は脳に影響、横浜市大がラット実験 育児放棄解明へ/神奈川」
育児放棄(ネグレクト)が脳にどのような影響を与えるかを調べている横浜市立大学の高橋琢哉教授(生理学)のグループが、ラットを使って行った実験で、発育初期に母親から隔離されたラットは、環境に対する脳の適応力が低下することを発見、19日付の米医学誌に発表した。(詳しくはhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120619-00000008-kana-l14)

乳幼児期における養育者との分離の問題性は、
フロイトの時代から心理学、精神分析の分野では叫ばれていることです。
「今頃?!」と言いたいですが、生理学の分野でもやっと研究がされてきたようです。
この記事に触発されて、以前にも書きましたが(158、育児放棄参照)
再度、
なぜ「育児放棄(ネグレクト)」をしてしまうのか?
母親の側から考えてみたいと思います。

@母親の無知・無理解が、育児の失敗を招く
 ・セックスと妊娠・避妊についての無知
 ・育児に対する無知(育てるために必要な知識)
 ・養育することへの責任の自覚の無さ

A母親自身が乳幼児期に母不在だった
 ・自分もそうだったから、当たり前だと思っている
 ・愛情欠損体験をしている
 
B母親自身が、自らの母との「母―娘葛藤」をもったまま
 ・母親としての役割をすることに抵抗がある
 ・そのために、育児を疎ましく感じる=育児拒否

C産後うつの状態にある
 ・赤ちゃんの泣き声などにいらだち、情緒不安定になっている
 ・育児を援助、協力者がいない

D未熟児出産・多胎出産
 ・育児を重荷に感じている
 ・育てたい気持ちと、できない環境との板ばさみ

考えられる幾つかを書いてみました。
いかがでしょうか?
太古の昔から、繋いできた命とその営みです。
その最先端に自分がいる、といっても過言ではないでしょう。
そして、次へと繋いでいく。
どの時代も、一所懸命だったことは間違いない。
なのに、育児放棄(ネグレクト)がどうして増えているのでしょうか?

様々な要因があるでしょうが、
少なくとも、母となる女性が妊娠・出産・育児についてもっと考え
必要な「知」をもつことが急務だと痛感しています。

シニフィアン研究所のサブサイト「女たちよ賢明であれ!」http://signifiant-lab.com/woman/
「オールOK子育て法」http://signifiant-lab.com/raise/を参照ください。



2012年06月19日(Tue)▲ページの先頭へ
224)交通事故多発者
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「交通事故多発者」について書きたいと思います。
交通事故は誰しも起こしたくて起こしているわけじゃないですよね。
でも、毎日あちこちで起きています。
日頃の注意や努力、啓発にも関わらず、悲惨な事故は後を絶ちません。
今日は、特に
交通事故を頻繁に起こしてしまう人たちの特性を
「精神分析的」な観点から書こうと思います。

まず、
「事故」=「自己」という図式を考えてみてください。
「生活するように運転する」というティルマンの言葉があります。
ティルマンは、その人の生き方の一つの表現に過ぎないと言っています。
では、どのような生き方、特性があるのでしょう?

1)共通しているのは、常に心的緊張が高いということ
例えば、
夫婦喧嘩や虐待などが日常的にある家庭環境の中に居ると、どうでしょうか?
常に緊張していなければなりません。
逆に、あまりにも厳格すぎる場合も同じです。
(「家庭」は緊張を緩和し、くつろぎと安らぎの場所のはずです。)
学校や職場が緊張の連続であった場合も然りでしょう。

2)極度に緊張に耐えられず、即座に緊張緩和をしようとする傾向がある
生きていると、何らかの緊張(不満・怒り・攻撃心など)があるのは否めないことです。
その緊張を、うまくコントロールできていれば、軽減、解消ができます。
ところが、その水路付けがうまくできない人の場合、
すぐに緊張を吐き出そうとする傾向があるようです。
(緊張の解消方法を知らないとも言えます)

3)極度に自己中心的で、他人の権利に無関心
感情爆発傾向が強く、愛情や支持の喪失を恐れる傾向が強いようです。

ひと言でいうと
≪常に緊張の中に居て、緊張をコントロールできずに一気に解消しようとする傾向がある≫
ということになるでしょうか。
また、
注意散漫、感情不安定、責任・権利・規制に対する態度、生活の乱などが
その根底にあると考えられています。

他にも、例えば
カン癖、ケンカ好き、ガキ大将だった幼児期があったり、
夜尿症、暗闇恐怖、水泳時の深みへの恐怖、極端な白昼夢のような
心理的不安症状があるとも言われています。

このように、交通事故多発者にはある共通の特性があるようです。
逆に、交通事故によく巻き込まれる人も同じような傾向があるかもしれません。
「事故」=「自己」と考えた場合
交通事故だけではなく、事故は自己を表現していると言えるのではないでしょうか?

(交通)事故を起こさない、合わないために
精神分析という方法で事故(自己)を紐解いてみませんか?

興味をもたれた方はシニフィアン研究所までどうぞ
http://signifiant-lab.com/


2012年06月18日(Mon)▲ページの先頭へ
223) 高橋容疑者「本来の自分が分からない」長すぎた偽名生活
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は、
先日の報道記事
『地下鉄サリン事件の殺人容疑などで15日に逮捕されたオウム真理教元信者高橋克也容疑者(54)』に関する
「逃走している時は本来の自分を変えて生活していた。(逮捕されて)本来の自分が分からなくなった」
について考えた事を書いてみたいと思います。
それは「名前を換えることの力」です。

『本来の自分』ってどういうことでしょうか?
「本来の自分」に対しては「偽りの自分」ということになるでしょうか。
「偽りの自分」とは、仮面の自分、演じている自分とも言えますよね。
これは、誰もが使っている姿でもあります。
例えば
「内面」と「外面」「家の中での自分」と「家の外(社会)での自分」
社会の中で生きるために、必要な仮面をつけて生きています。
それが適応することの一面でもあるとされています。
その仮面の代表が「名前」ではないでしょうか?
それに、
その時々の役職名(仕事、肩書きなど))や役割名(夫・妻、親・子・孫など)もあります。
それでも、「同じ一人の私」との認識をもっています。

ところが、高橋容疑者は、逃亡するために
自ら意識的に完全に他人になりすまし、別人になろうとしました。
その結果、17年という長い年月が
「本来の自分=高橋克也」と「偽りの自分=他人の名前」が
一体化してしまった、と考えられます。
それが
「逃走している時は本来の自分を変えて生活していた。(逮捕されて)本来の自分が分からなくなった」
という言葉ではないでしょうか?
(余談ですが、題名は忘れましたが、昔読んだ「仮面が張り付いて取れなくなった」というマンガを思い出しました)
高橋容疑者の場合は、完全に犯罪ですから、
名前を変えることの是非は議論にもなりません。

前置きがかなり長くなりましたが、
高橋容疑者のこれらの言葉から
「名前を換えることの力」を感じたのです。
「今までの自分を換えたい」
「新しい自分の生れ換わりたい」
と思ったなら
「名前を換える」ことで、新しい自分の生まれ換わることができるのではないでしょうか?
逆に言うと
「新しい自分に生まれ換わりたい」と思った時
人は少なからず「名前を換えたい」と考えるのではないでしょうか?

生まれ換わりたいと思っておられる方は
精神分析によって無意識のシナリオに気付き、書き換えてみませんか?
シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
「私と精神分析」もご覧ください。http://agency-inc.com/analysis6/


2012年06月16日(Sat)▲ページの先頭へ
222)父の日
研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

明日は「父の日」です。
そこで、「父」とはどのような存在か?
父の役割とは何か?
父とは言葉(言語)としての存在だということを書きたいと思います。

「父の日」を検索してみました。

1910年にアメリカ・ワシントン州の『J.B.ドット夫人』が教会の牧師にお願いして、亡き父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことが切っ掛け。 当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まったといわれています。
この「父に感謝する日」はアメリカ中に広がり、1916年に全国的に認知されるようになりました。1926年には「ナショナル ファーザーズ・デイ コミッテ ィ」がニューヨークで結成され、1972年にアメリカの国民の休日となりました。
日本では1950年頃から広まり始め、一般的な行事となったのは1980年代です。
(引用「きのとや」http://www.kinotoya.com/beans/beans_01.html)

初めて知りました。
なるほど、、、

父の存在を強く意識する機会は、母と比べて少ない人が多いのではないでしょうか?
それだけ、身近に感じる機会が少ないのでしょう。
自営業など、比較的共有する時間が多い場合は別として、
やはり身の回りの世話をしてくれる「母」の方が
圧倒的に接触する時間が多いのも、その一因でしょう。
ということは
父を知る機会は非常に少ないというのが、一般的でしょう。

ある人が言いました。
「父親の印象と云えば、休みの日にゴロゴロして、テレビを見て居眠りしてる姿しかない」
ある人は
「休みの日は、いつも一緒に遊んでくれたり、どこかへ連れて行ってくれた」
これらは、現実の父を通してのイメージです。
これも父を知る上で、大切なことでしょう。
では、
仕事の関係で、父とのかかわりの時間が少ない人は
「いつも居なかった」以外、
父親のイメージはないのでしょうか?
多分、そんなことはないでしょう。
ここが大切だと言いたいところなのです。
それは
「母が語る父」です。
子どもの年齢が低ければ低いほど、その影響は顕著なようです。
現実の父がどうであるか、よりも
大好きな母がどのように語ったか?
それが、子どもの心に「父のイメージ」を創り上げるようです。

いかがでしょうか?
お父さんのイメージを浮かべてみてください。
そのイメージは何が基になっていますか?

父の存在、父のイメージは
母や身近な人が父について語った言葉ではありませんか?
時には父自身が語った言葉ではないでしょうか?
父は母とは違うようです。
母は現実に何をしてくれたか?が印象深く
父は何を語ったか?どのように語られたか?が印象深いと言えないでしょうか?
ここから
父とは「語る父」ということがクローズアップされます。

現実に何をしたかよりも、何を語ったか?
父は子どもにとって、最初に出会う社会(=法・秩序)の代表だといわれます。
ここからは次回に書いていくことにしましょう。
興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のサブサイト「オールOK子育て法」を参照ください。
参考ブログもどうぞ
父の機能とは?http://blog.goo.ne.jp/kuutyann77/d/20110906
父の威厳―「父」のポストが父を作るhttp://blog.goo.ne.jp/kuutyann77/m/201110


2012年06月15日(Fri)▲ページの先頭へ
221)人見知り
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「人見知り」について書きます。
大人になっても「私、人見知りするのよ」との声も耳にします。
この「人見知り」を中心に、その大切さを考えたいと思います。
人生の最初の「人見知り」は生後8ヶ月前後だと言われています。
発達論的には「8ヶ月不安」と呼ばれます。
簡単に説明すると、
「母と母以外の人との区別がついた」ということです。

安心できる人(母)と、安心できるかどうか分からない人、
この区別ができるようになったということです。
つまり
この区別ができないと、誰にでも付いて行ってしまう可能性がある、
もっと言うと
安全と危険の違いが分からない
ということになります。

ここから「人見知り」することは大切なことだとなります。

人見知りすることは、
安全かどうかを察知し、判断しようとしている
ということです。
社会に出て行くということは、 ともすると危険な世界に参入することでもあります。
その中で、自分の力で危険を察知し、
向き合えるか?回避した方が良いのか?
その判断をすることは、大変重要なことです。
その基本が「人見知り」だと言えるのではないでしょうか?

逆に考えると
人見知りしない=誰にでもすぐに仲良くなる
(対人関係では必要なことではあります)
同時に、危険を察知できない可能性がある
そのようにも考えられるでしょう。
人見知りすることは、対人関係でマイナスだと考えられるかもしれませんが、
安全かどうかを見極めるということでは、必要なことだと言えるのではないでしょうか?

今回は「人見知り」を取り上げました。
詳しくはシニフィアン研究所のサブサイト「子育て法」
http://signifiant-lab.com/raise/を参照ください。
各種相談・講座http://signifiant-lab.com/#10もしています。


2012年06月14日(Thu)▲ページの先頭へ
220)誰でもよかった <大阪・ミナミ通り魔事件>
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。


「誰でもよかった」との殺人事件が増えています。
記憶に新しい事件は
<大阪・ミナミの路上で通行人の男女が刺殺された通り魔事件>でしょう。
「自殺できなくて、人を殺せば死刑になると思った」
など、理解不能の理由です。
事件を離れて、
今日は、『誰でもよかった』を考えてみたいと思います。

「誰でもよかった」に続く言葉を考えてみます。
*抱き締めて欲しかった
*聞いて欲しかった
*結婚したかった
*一緒に居て欲しかった
*寝て欲しかった
*セックスしたかった
*触れたかったetc

こうして考えてみると
ある共通点が見えてきます。
「〜欲しかった」「〜したかった」
自分には「ない」、だから「欲しい」
この背後には「寂しい」という想いが感じられます。
誰でもいい、与えて欲しい、満たして欲しい
このような叫びが聞こえてくる気がするのです。

本来なら、ある特定の人に求めるのではないでしょうか?
大好きな人、愛する人が居たなら
そして、その人が与えてくれるのなら
誰よりもその人に
抱き締めて欲しい、聞いて欲しい、一緒に居て欲しいと願うのではないでしょうか?
それが叶わないから
もう誰でもいい
そのように考えるのではないでしょうか?

「誰でもいい」ではなく「あなたでないとダメ」と言える人が居たなら
「誰でもいい」ではなく「あなたならOKしてくれる」と思える人が居たなら
きっと、その人に向かって「〜欲しい」と言える
例えば
「あなたの側にいたい」
「あなたの手料理が食べたい」
「あなたと結婚したい」
決して
「誰でもいい」なんて言わないのではないでしょうか?

「誰でもいい」という言葉は、
誰も受け止めてくれる人が居ないと思っている人が語る言葉ではないでしょうか?

「あなたでなければダメ」と言える人が居ますか?
「あなたでなければダメ」と言ってくれる人が居ますか?
もし居ないなら、欲しいと思ったなら
シニフィアン研究所までご相談ください。http://signifiant-lab.com/
勉強会・相談会・講座もしています。http://signifiant-lab.com/#10


2012年06月13日(Wed)▲ページの先頭へ
219)罪責感 その2
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「罪責感 その2」について書きます。
前回の「罪責感」は解らないとのご意見がありましたので、
今回はその2として書いてみたいと思います。

まず、罪責感とは何でしょうか?
「見る(監視する)自分」と「見られる(監視される)自分」との葛藤から生まれると言われます。
誰にも「良心」があるとされます。
これが「見る自分」=「監視する自分」です。
そして、その「見る自分」に「見られるもう一人の自分」がいますよね。
この二つの自分が葛藤したとき、緊張が生まれ
それが「罪責感」だというのです。

この「罪責感」は元々あったのでしょうか?
ないとされています。
では、いつ生まれるのでしょうか?
「親の禁止」がその最初だとされます。
日々の体験の中で、
親からの「ダメ」を子どもは自分の中に取り入れます。
「禁止」とそれを守ることで「誉められる」
その体験が、より一層子どもの心に「監視する自分」を発達させます。

これらの上に、
「しつけ」や「決まり」「秩序」「法」などが幾重にも重なっていくとされます。
これが、基準となって「良心」「道徳心」あるいは「常識」などを持つことになるのです。
この観点から
周りの大人たちがいかに「しつける」かが大きく影響すると考えられます。
厳しく躾けすぎると「恥」「怯え」を学んで、
人の眼を気にしすぎるかもしれないし
躾がされないと、決まりや法を守らない可能性があります。
このように考えていくと
「罪責感」は人間の心の中の葛藤であり、
自分で自分を律するためにも、社会の中で生きていく上で必要なものだと言えるでしょう。
反面、あまりにも強すぎると
人の行動や性格に厳しく制限を与え、萎縮させてしまう可能性もあるでしょう。

罪意識の重圧に潰されてしまう恐怖から逃れる方法を、持っている必要があるのかもしれません。
時には、体を使って吐き出す必要があるでしょう。
スポーツをしたり、絶叫マシーンに乗って叫んだり、
お神輿を担いで暴れたりするのも、その一つでしょう。
そうすると
ゲームなどバーチャルの世界に没頭するのも
現実世界で吐き出す方法が見出せないからだと考えられないでしょうか?
また、大人になって
お酒やセックスに溺れると、依存症になる可能性がありますから
注意が必要です。
反対に、「罪責感」をうまくコントロールできない場合
前回にも書いたように
他者から「罰」を与えられることによって、自分を律する方法を選択する場合がある
それが、自ら苦難を選択したり
時には犯罪という方法で、法によって自らを処罰する可能性も考えられるのです。

また、難しくなりました。
「罪責感」は必須でありながら、
時には、
人を思ってもいない行動にまで追いやる可能性があることを書きたかったのです。
ご意見・ご感想はシニフィアン研究所までどうぞ
http://signifiant-lab.com/


2012年06月12日(Tue)▲ページの先頭へ
218)罪責感
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

今日は「罪責感」について書きます。
「罪責感」は罪意識を感じて自分を責めること。
精神分析的には、無意識的なことによるとされますが、
ここでは、「罪責感」から自分を処罰するに至ることがある、ということを書きたいと思います。
少し、難しいかもしれませんが、お付き合いください。

叱られると分かっていながら、悪いことをする
嫌われると分かっているはずなのに、言ったりしたりする
このような人(子ども)がいます。
まったく学習しないと思うかもしれません。
一方、
自ら苦難の道を選択する人も居るし、
次から次へと難題が湧いてくる人が居ます。
自分でも呆れるくらいだと言います。
どうしてでしょう?
これらのことを、「罪責感」ということから考えてみたいと思います。

自分でも理解できない、何らかの罪意識を持っていると仮定します。
もうそれは意識には上がってこないものとします。
その「罪意識」によって
「自分は罪を償わなくてはならない」と考えます。
自らどのように償えば良いのか解らない。
その結果、自分に苦痛を与えたり、誰かから罰せられることによって償おうとする。
強迫行為や観念、重篤な病気や苦難、犯罪まで犯すに至るとフロイトは考えました。
(フロイトは、精神分析の創始者です)

そのように考えたら、少し理解できることはないでしょうか?
意識の中では、だれも苦しいことや辛いことは嫌だと思うでしょう。
なのに、いつも背負い込んでしまう、選んでしまうとしたら
どこかに「罪責感」を持っている可能性があると考えてみてはいかがでしょう?
あるいは何らかの「罪意識」や「負い目」を持っているかもしれません。
自分は悪いことをした、
だから幸せになってはいけない、罰を受けなければいけない。
その無意識的な何らかの「罪責感」が
自らを不幸へと追いやるように、誰かに求めているのかもしれません。

いつも、同じパターンで叱られる子どもも
「かまって欲しい」だけではなく
「ボクは悪い子なんだ」と思ってしまっているのかもしれません。
自分や家族にそのように感じられることがあるなら
一度、このような観点から考えてみてはいかがでしょうか?
なるほどと合点がいくことがあるかもしれません。

なお、フロイトが言うように
それらが無意識的なものなら、「精神分析」という方法で明らかにできるでしょう。
なぜなら、精神分析は「無意識」を知る方法だからです。
興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/

次回は「人見知り」について書く予定です。


2012年06月11日(Mon)▲ページの先頭へ
217)共感
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の病・悩み相談をしています。

今日は「共感」について書きます。
共感は、子育てにおいてはもちろん、対人関係においても重要な事の一つです。
辞書によると
「他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張等を、自分も同じように感じたり理解したりすること。同感」(広辞苑)
と書かれています。
精神分析的には
「情緒的側面を言語化し言い返すこと。感情の反射という。」
つまり、
共感とは相手の感情を言葉で返すこととなります。

例えば
子どもが花を発見したとき、
「わあ、きれいな花」と言ったら「ほんと、きれいな花ねえ」と言う
誰かに意地悪されて泣いていたら
「意地悪されて悲しいのね」と返す
無視されて怒っていたら
「無視されたので、悔しくて怒っているのね」と言葉で反射する
そして、
たいていの場合、それに応じた行動が付いてきます。
きれいな花を見つけたら、匂いを嗅いだり、手で触ったりするでしょう。
泣いていたら、抱きしめるかもしれません。
怒っていたら、同じように拳をふりあげるでしょう。

そのように共感してもらえたら
その人は、自分のことが理解された、解ってもらえた
と感じることでしょう。
逆に、共感してもらえなかった場合
解ってくれない、と感じ、
解ってもらうために、
何度も同じことを言ったり、泣いたり、怒ったりし続けることでしょう。
それが、
「しつこい子ども(人)」「泣き虫」「怒りんぼ」なのかもしれません。

また、「共感」してもらうことは、自分の感情や想いが相手の中に映されたとも言えるでしょう。
つまり、私が相手の心にそのまま映されたということ
言葉を換えていうと
私のありのままの姿が、相手の心の鏡に映っている、その自分の姿を見ているということになります。
このように考えてみると
「共感」してもらうこと=自分の姿を見る=自分を知る
ということになります。

しつこいかもしれませんが、
「共感」することは、鏡のように相手の姿を映すことであり
「共感」してもらうことは、自分を知ることでもある。
このような体験のことだと言えるのではないでしょうか?
子ども(人)は、今の自分を知りたくて、お母さん(人)に語りかけるのかもしれませんね。
そして、
自分が想像している姿を映し返してもらえたら安心し、お母さんから離れていける。
違っていたら不安になり、いつまでもお母さんにしがみついて離れられない。
という姿が見えてきます。

余談ですが、
精神分析は、言葉で等身大の姿を映し返します。
その結果、不安が安心に書き換えられるのです。
精神分析に興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
子育て相談もしています。http://signifiant-lab.com/#10

次回は「罪責感」について書きます。



2012年06月10日(Sun)▲ページの先頭へ
216)愛―エロス的交流
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の病・悩み相談をしています。

今日のテーマは「愛―エロス的交流」です。
エロス的交流とは、
相手から愛されているという自信、自分が相手を愛することが相手からも喜ばれるという確信をもてる
そのような交流のことです。
精神分析では、このようなエロス的交流のことを「愛」と呼びます。
ちょっと堅苦しい表現ですが、
「相思相愛」というと、イメージし易いでしょうか

相思相愛の恋人同士の場合
赤ちゃんとお母さんの場合など
お互いの間で、どのような交流がなされているのでしょう?

共通するのは
目と目で見つめあい、ニコッと微笑合う
もうそれだけで、心が通じ合っていると思える
私の喜びはあなたの喜びとなり、あなたの喜びは私の喜びとなる。
これを「共鳴」「共感」といいます。
これが、まさしく「愛―エロス的交流」です。
このような関係の二人の間には「愛」があり
お互いの自己愛が高まる関係ともいいます。

私は相手を必要としているし、相手も私を必要としている
私は相手を愛しているし、相手も私を愛してくれている
だから
私は存在する価値がある
私には生きる意味がある
存在していていいんだ、生きていていいんだ、と思える
このように考えていくと
人は「愛―エロス的交流」を通して
自分の生きる意味や存在価値を見出していると言えるのではないでしょうか?

それを確かめるために
時には、心とは裏腹な行動や言葉を言ったりするようです。
こんなことをしても、言っても
相手は自分を見捨てないだろうか?
自分は相手にとって存在価値があるのだろうか?
自分には生きる意味があるのだろうか?
このように問いかけたくなった時、
「不登校」「引きこもり」あるいは「非行」などの問題行動を、一つの手段として使うのではないでしょうか?
彼らは、「愛」を確かめたくなっている
エロス的交流を求めていると言えるのではないでしょうか?
このようなとき、
彼らに向き合い「愛―エロス的交流」をしてみてはいかがでしょう
目を見つめ、腰をすえて、話をじっくり聞く態度を見せる
「どうしたの?」と声をかける
ここから、スタートしてみては?
そうすれば、何かが変化するかもしれません

ブログ197)自己愛(ナルシシズム)ーエロス的交流
シニフィアン研究所HP http://signifiant-lab.com/
子育てサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/も参照ください。


2012年06月04日(Mon)▲ページの先頭へ
215)愛着
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の病・悩み相談をしています。

今日のテーマは「愛着」です。
「愛着」という言葉は、その人と環境をむすびつけるすべての力を指します。
没入する、関わる、必要とする、はまり込む、求める、根付くということです。
それを気にし、憎み、手に入れたいと思い、興味・当惑・恐怖を覚える程度まで愛着している。
また「愛着」は
依存心、性的関心、敵意、野心、愛情、嫉妬心などによって、より強まります。
一言でいえば、極度の関心を持っている(このブログの210 関心を持つを参照ください)ということです。

愛着できるのは、そのものに深く関わることができることです。
言葉を変えると、そのものに対して、ありのままの自分をさらけ出せることです。
素直な自分でいられることです。
心を許せることです。
そのものに対しては、時間もお金もエネルギーも惜しまない。
時には、自分の全生命をも賭けることもあるでしょう。
その対象は、人、動物、植物、ものなどさまざまです。

そもそも「愛着」はどのようにして持つのでしょうか?
ある人(仮名 田中さん)の話をしましょう。

田中さんはある日、一匹の野良犬に出会います。
その犬が、田中さんの家まで付いてきたので、飼うことにしました。
最初は、仕方なくでしたが、毎日餌をやったり、散歩に連れて行ったりするうちに
だんだん可愛いと思うようになったと言います。
そのうちに、その犬との時間が自分の生活の一部になり、
次第に、なくてはならない存在になったということです。

この田中さんのように、
最初は、どうってことのないものであっても、
そのものに関わる時間と情の交流が増えるにつれ
だんだん、無くてはならない存在になっていく。
このように、何らかの交流をすることで、歴史とでもいえるものが積み重なっていく。
それが、自分の一部を占めると思えるようになった時、
そのものに対して「愛着」を感じると言えるのではないでしょうか?
どれだけ、そのものと深く関わったか?
それは
どれだけ、時間を共有したか?
どれだけ、情の交流をじたか?
どれだけ、歴史を創り上げてきたか?
例えば、その代表物は「形見」でしょう。

愛着を感じる人はいますか?
愛着を感じるものがありますか?

次回は「愛―エロス的交流」について書きたいと思います。

今夜から7日夜まで「関西出張」します。
8日は、新宿、大宮に居ます。
関西、関東方面の方は、携帯に語連絡ください。
詳しくはこちらを参照ください。





2012年06月03日(Sun)▲ページの先頭へ
214)スキンシップ(肌の触れ合い)
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法により、心身の悩み相談をしています。

今日は、子育ての基本4)スキンシップ(触れ合い)について書きます。
誰かに触れてもらうことは気持ちいいですか?
触れられる⇒気持ち良い⇒癒される⇒愛されている⇒幸せ
触れられる⇒気持ち悪い⇒傷つけられる(痛い)⇒嫌われているor憎まれている⇒不幸
この図式をどう思いますか?
触れられて気持ち良いと感じる人は、優しく心地よく触れてもらった経験のある人でしょう
触れてほしいと思っている相手に触れてもらえたなら
きっと、愛されている、幸せだと感じるでしょう

1)触れてほしい時に、2)触れてほしい相手から、3)触れてもらえるなら
気持ちいいと感じ、心癒され、愛を感じ、幸せだと思えることができるのです
これら3つが揃っていることが必須です
どれ1つ欠けても、不足と言えるでしょう
子どもだけではありません、大人も同じです

これらの基本は、母から始まります
かつて、母の懐に抱かれて、おっぱいを吸った
その母の肌の温もりや感触が、自らの肌(皮膚)に刻印されています
記憶にはない時代ですが、誰もがあったはずのものです
ここから
肌(皮膚)には、母が刻まれていると言っても過言ではないでしょう
母の心地よさがたくさん刻まれていれば
その肌は滑らかで、柔らかく、みずみずしく、触れてみたくなるでしょう

人肌は本来心地よいもの
エステやマッサージ、温泉なども
心地よい肌(皮膚)の触れ合いを求めている姿でしょう
(お酒も人肌の燗がよいという人が多い)

では、
まったく、母の刻印がなされていなければ、どうなるでしょうか?
想像してみてください
肌(皮膚)は、何も感じず、鈍磨するでしょう
鈍磨するとは、心地よさも痛みも感じないことです
この観点から、無感覚、不感症など
感覚を取り戻すために、リストカット、入れ墨(タトゥー)、肉体の酷使など
触れてもらうために、アトピーや湿疹などの身体症状を使う可能性も考えられます

すべての人が心地よいスキンシップ(肌の触れ合い)を求めている
温かく、滑らかで、柔らかく、潤いのある肌(皮膚)で、優しく触れてもらいたい
それが癒しであり、愛であり、幸せの基本だと思います
女性のみなさん
すべての女性がこの肌を持っています
あなたに触れてほしいと求めている時に、求めている人に、触れてあげましょう
そうすれば、その人は癒され、愛されていると感じ、幸せになるでしょう
そして、あなたも共に、癒しと愛と幸せを感じることでしょう
これがスキンシップ(肌の触れ合い)です

次回は「愛着」について書きます

子育て相談、非行・暴力、夫婦相談などもしています。
詳しくはシニフィアン研究所のHPを参照ください
http://signifiant-lab.com/#10
オールOK子育て法はこちらです
http://signifiant-lab.com/raise/



2012年06月02日(Sat)▲ページの先頭へ
213)関西出張のお知らせ
Φ 6月出張のお知らせ

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。

6月の関西出張のお知らせです。

6月5日(火)から7日(木)まで、和歌山出張所におります。
7日夕方から22時までは、大阪難波周辺におりますので、近隣の方は是非ご連絡ください。

☆7日(木)フリートーク  10:00〜12:00  

場所:和歌山出張所(和歌山市久保丁)地図はこちらです。

今月のテーマ:「信頼」です。
 毎月テーマを決め、それを中心にフリートークします。
 オールOK子育て法に基づき、基本的信頼を学ぶことが、どうして重要なのか?
 もし、不十分だった場合、非行や性格の偏り、精神発達の遅れ、発育不全になる可能性が高い。
 それに気付いたらどうしたら良いか?などなど。
 飛び入りも歓迎です。お茶菓子を囲んで楽しく語り合いましょう。

参加費:一人 1.000円(小学生以下は無料)

☆ インテグレーター養成講座

場所:和歌山出張所
時間:6日(水)10:00〜12:00
料金:10.000円(別途 テキスト代が必要です)
今月のテーマ:「自己愛論T《自己愛人間の心理と生態》」「自己愛論U《自己愛の構造》」です。
 一部を紹介すると、
 健全な自己愛とは?自己愛は現実の自分(リアル・セルフ)、理想自我(アイデアル・セルフ)、自我理想(アイデアル・エゴ)、超自我(スーパー・エゴ)などから成り立っています。
自己≠中心に、生成、発展、分化などをしながら自我同一性(アイデンティティ)に向かいます。
少し、難しく感じるかもしれませんが、例題を使いながら、解りやすく説明します。
詳しくは、お電話、メールでお問い合わせください。
なお、出張中は携帯電話へお願いします。こちらです。


212)声をかける
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。

今日は子育ての基本3)声について書きます。
子どもさんに関心を持ち、温かいまなざしを向けました。
次に、優しい声をかけましょう。
簡単にできそうですよね。

声は、その人の想い(欲望)を現します。
子どもが可愛い、愛しいと感じているお母さんは
声を聞くだけで、それが伝わります。
嬉しい時は、弾んだ明るい声
悲しいときは、沈んだ生気のない声
怒りを感じたときは、吐き出すような大きな声
姿を見なくても、声だけで予測がつきます。
声は、その人のその時の顔だとも言えるでしょう。
ですから、
声だけで、お母さんの顔が浮かびます。
お母さんの心が、子どもには判るのです。

優しい声に包まれて育った子どもは
心に緊張が少なく、身体も柔らかく、何事にも柔軟な対応ができるでしょう。
逆に、
いつも緊張する声の中で育った子どもは
常に緊張しているから、身体も硬く、失敗し易く、
危険にも合いやすいと言えるかもしれません。
なぜなら、緊張しているということは、何かに心が捕らわれていることだからです。
つまり、他のことに注意を向けられないことに繋がります。
その結果、近づいてくる危険に気付くのが遅れることになります。

では、子どもさんに優しい声をかけるためにはどうしたら良いのでしょう?
1)子どもを可愛いと思っていること
2)お母さんの心にゆとりがあること(心配事がないこと)
3)時間的にゆとりがあること(忙しくないこと)

また、声はその人の想い(欲望)ですから
想い(欲望)が出せない状況では、声が出なくなることもあります。
(緘黙、失声など)
言うことで、非常に困った状況(時には命に関わると感じる)が予測できる場合などです。
(衝撃的な場面の目撃、恐怖体験、虐待など)

優しい声は、子どもだけでなく人を心地よく包み込みます。
それだけで、心身の緊張が和らぎ、幸せな気持ちになるのです。
ですから、人は音楽に癒され、好きなアーティストの音楽を耳にし、
音楽を愛して止まないのでしょう。
少し、余談になりましたが
お母さんの声は、子どもが一番先に聞く声であり、一番関心を持っている声です。
優しいお母さんの声は、どんな音楽にも勝ると言えるのではないでしょうか?

次回はスキンシップについてです。

子育て相談等にも出向いています。詳しくは
子育て法のサイトを参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/
女性のためのサイトもどうぞhttp://signifiant-lab.com/woman/


2012年06月01日(Fri)▲ページの先頭へ
211)まなざしを向ける
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛です。

今日は、子育ての基本4つの2)まなざしについて書きます。
(前回、タイトルと内容が違っていましたので、訂正しました)
さて、まなざしを向けるとは、文字通り目を相手に向けることです。
「まなざし」と「見る」との違いをはっきりさせましょう。

「まなざし」は、そこに想い(気持ち)が入っていることです。
目の表情、目つきのことです。
目が語っているとか、目は口ほどにものを言う、と言いますよね
「見る」は、網膜に映っているだけです。
見てても見えてない、と言ったりします。
このように、想い(気持ち)を込めて見ることを「まなざしを向ける」と言います。

お母さんが、子どもにどのようなまなざしを向けたら良いのか?
それは、もうおわかりでしょう。
「愛情のこもったまなざしを向ける」です。
関心を持っていれば、自然とまなざしを向けることになります。
好きだと思えば、好意のまなざし
嫌いだと思えば、敵意のまなざし
腹が立てば、怒りのまなざしになります。

子どもは、いつもお母さんに関心を向けています。
ですから、おかあさんのまなざしを通して、お母さんの想い(気持ち)を読み取ります。
好意のまなざしは、愛してくれている
敵意のまなざしは、嫌われている
怒りのまなざしは、怒っている
このように、瞬時に読み取るのです。
まるで、鏡のように写し撮るのです。

子どもさんに、温かい、好意の(愛の)まなざしを向けてあげましょう。
そうすれば、子どもさんの心はいつも愛でいっぱいになります。
幸せな気持ちでいっぱいです。
そのような子どもは、いつも元気で、安心し、情緒も安定していきいきしていることでしょう。
(ここから、情緒不安定な子どもさんが、何を求めているか理解でいるでしょう)
少しの細菌やウイルスなどがやってきても
きっと、身体の中から追い出すでしょう
だって、心の中には、お母さんの愛がいっぱい詰まっているのですから。
お母さんの愛が、悪者をやっつけてくれる
そんなイメージを持っています。

子どもさんに愛のまなざしを向けてあげましょう。
そうすれば、子どもさんもきっとお母さんに、愛のまなざしを返してくれるでしょう。
これを『まなざしの交換』と呼びます。
まさしく、鏡像関係です。
(鏡像関係については、こちらを参照ください)
非行・引きこもり・不登校など、子どもさんお問題は殆どがこのように叫んでいます。

次回は3)声について書きます。

二人以上集まれば、子育て相談に出向きます。詳しくは
オールOK子育て法のサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/
シニフィアン研究所のサイトhttp://signifiant-lab.com/ をご覧下さい


   


「精神分析」は、薬物や催眠、暗示など一切使わず、相談者(クライアント)と分析家(インテグレーター)との1対1の対話や夢分析により、自分の無意識に気付き、コンプレックスを解消する信頼に基づいた方法です。
クライアントの自我は、様々な理由によって未成熟であったり、歪んでいたり、傷ついていたり、欠損していたり、不完全な状態で浮遊しています。それに確かな形と安定を与えることが精神分析(セラピー)です。その過程で、ありのままの自分でいい、自分は生きる価値があると自信を持ち、自己愛や自己決定力が高まっていくのです。
このように精神分析は、自己を知ることの喜びと成長をもたらします。インテグレーターはクライアントの援助者であり、伴走者です。また、クライアントの意志を大切にしますので、強制したり無理強いすることはありません。
自分の人生は、自分が書き換えてゆくんだ、との勇気と根気を持って歩むならば、必ず自己探求の喜びと幸せを自覚し、自らの意志で未来を切り開いていくことでしょう。




カレンダ
2012年6月
         

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