≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫自己治癒力で心身が整っていく - 2012/10

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。




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2012年10月31日(Wed)▲ページの先頭へ
299)引きこもりと自己奪還
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「引きこもりと自己奪還」 について書きたいと思います。

「母性剥奪」という言葉がありますが、
「自己剥奪」され、人間でないものにされてしまった人が、
自分というものを取り戻すことを『自己奪還』と呼んでみました。
ここでいう「自己剥奪」とは
自らの意志と考えによって言動することを根こそぎ奪われている状態のことをいいます。
「自己奪還」とは、自らの意志と考えに基づいた言動を取り戻すことです。
それは≪私は人間だとの自己規定≫でもあると思います。

自己奪還のためには、まず「引きこもること」が必要であることを書きたいと思います。
「奪還」という言葉は「剥奪」に対して用います。
つまり、根こそぎ奪われているから奪い返すという意味です。
奪還という言葉を使うに至ったのは
日々の精神分析という面談の中で、クライアントの叫びとして聞こえてくるからです。
非行や引きこもり、不登校、いじめ、うつなど子どもから大人に至るまで
≪私は人間だ≫との切実な叫びを痛感しています。

ある引きこもりになった男性(以下Sさんと呼ぶ)の言葉を紹介したいと思います(本人の了解済)。

自分は今まで、親をはじめとする周りの人たちの姿や言葉に従ってきた。
そして、それに対して何の疑問も抱いていなかった。
ところが、あるきっかけから引きこもり、気付いたことがある。
今まで自分の考えや意志がなく、周りに用意されていたことに従っていただけだった。
引きこもりと言われるようになって初めて、
自分というものが無かったことに気が付いた。
何も語れない自分を知った。
そして、今、自分が何を考え、何を求めているのか、いないのかを見つめている。
そんな暇さえ持っていなかったことに驚いている。
初めて迷っている。初めて真剣に悩んでいる。考えている。

このようにSさんは語りました。
Sさんは引きこもったことにより、周りに用意されている事柄に対して受身であったことに気付いたというのです。
例えば、学校や習い事、就職、仕事などに対しても
自らの意志で積極的に関わってこなかったことに気づいたのです。

Sさんは、引きこもることによって、その機会を得ることができた。
否、このままでいいのか、との無意識からの強いメッセージにより
引きこもりという状態になった、とも考えられるのではないでしょうか。
こうして考えてみると
引きこもることは、知らないうちに自らの意志と思考を剥奪された自己を奪還するための一つの方法ではないかと思うのです。

ここではSさんの言葉を中心に書きましたが、
引きこもることは、自己剥奪された人が自己奪還への叫びの行動化の一つだと思えてくるのです。
つまり
人間でないものにされてしまった人が、≪私は人間だ≫と叫んでいる姿のように感じるのです。
人間であるとは、言語で語れることの意味で使っています。
分析家はその語らいを聴いています。
受身から能動への転換、
それが自分らしく生きていくことでもあるのではないでしょうか。

シニフィアン研究所のHPはこちらです。http://signifiant-lab.com/
「不登校の子どもの母より」サイトhttp://signifiant-lab.com/escape/
「思春期の悩み」サイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/も参照ください。


2012年10月27日(Sat)▲ページの先頭へ
298)ハングリー精神と欲望
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「ハングリーと欲望」 について書きたいと思います。

かの有名なスティーブ・ジョブスもスタンフォード大学の卒業式で、
「ホール・アース・カタログ」から引用して言いました。
≪ハングリーであれ。愚か者であれ。≫と。(http://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4参照)
この「ハングリー」な精神が欲望を生み出すことを書きたいと思います。

「ハングリー精神」の言葉を耳にしたことがあると思います。
特に、物質的に満たされた時代に生きていると、失われがちだと言われます。
ハングリーな精神はどのような時に湧き上がってくるのでしょうか。
例えば、
満たされていない、足りないと思った時でしょう。
ということは、
満たされている、足りている状態を知っていることになります。
過去の自分と比べたり、他者と比べたりしていることになります。
つまり、
「ハングリー」であることを意識するためには
満たされた状態を知っていることが必要です。
それと比較して、自分はハングリーであると自覚できるのです。

自分がハングリーであるからこそ、満たされたいとの欲望が湧いてくる。
空腹だからこそ、満腹感を味わいたいと欲望するのです。
ハングリー精神は欲望を湧き上がらせる原動力だと考えられます。
欲望は人を行動へと駆り立てることでしょう。
そして、模索や興味、好奇心や探究心を呼び起こすことでしょう。

このように考えてくると
人が行動するには、好奇心や探究心が必要であり、
好奇心や探究心は欲望が動因となり、
欲望はハングリー精神から湧き上がり、
ハングリー精神は、満足の状態を必要とする、
と考えられます。

ちょっと先まで進んでしまいましたが、
ここでは、ハングリー精神は欲望を生み出すことを書きたかったのです。
ハングリーであることは、人を何らかの行動へと繋いでゆくために必須だと言える。
だからこそ、決して満足しないこと。
それは逆に、常に比較参照項として満足を必要とすることだとも言えるでしょう。

満足を知っていますか?
ハングリーですか?
欲望を知っていますか?
あきらめていませんか?

これらの問いかけを持ったなら
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
勉強会、講座もあります。http://signifiant-lab.com/#10
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2012年10月26日(Fri)▲ページの先頭へ
297)あやつり人形=マリオネット
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「あやつり人形=マリオネット」 について書きたいと思います。

親は子どもを「あやつり人形=マリオネット」にしてしまっている。
親自身が無意識のうちに。
この可能性があることを考えてみたいと思います。

なぜ「あやつり人形」にしてしまうのでしょう。
それは、育児は親と、親自身の親との関係が再現される場だから。
つまり、
自らが子ども時代に、親からされた(してもらった)こと、されなかった(いてもらえなかった)ことを
わが子との間で再現しまう可能性が大きいということです。
ここから
虐待された親は、わが子を虐待する。
放任された親は、わが子を放任する。
逆になると
わが子を過保護にしたり、過干渉になったりする。

どちらにしても
親は自分の子ども時代を基本にして、
わが子に自分の想いを託そうとする可能性が大きいと考えられます。
それが「あなたのためを思って・・・・・」の言葉になるのでしょう。
子どもが自分の思い通りになったなら、「自慢の子」となり、
思い通りにならなかったなら、虐待や放任、放置の対象となりやすい。

このようにして、親の思う通りになる子が、『親のあやつり人形』となるのです。
そのような子どもは
親の期待を一身に受け、親が描く理想の姿になるように急き立てられます。
子どもも、親の喜ぶ顔が見たいと思い、必死で頑張ります。
応え続けている限り、親はすべてを犠牲にします。
もし、あやつり人形であることを止めようとしたなら、
それは一気に見捨てられるか、虐待が待っています。

こうして『あやつり人形=マリオネット』が創り上げられてゆくのです。
親は、愛情だと考えています。
なぜなら、親は自分を犠牲にしてまで尽くしているからです。
では、子どもはどうでしょうか?
あるクライアント(あやつり人形だった)が言いました。
『それは暴力だった』と。

この関係には、子どもの主体性は育ちません。
主体性は親によって、根こそぎ奪われている(=母性剥奪)からです。
まさしく『あやつり人形』にされ、人間でないものにされていると言っても過言ではないでしょう。
あやつり人形に主体性も意志もありません。
ただ、あやつられるだけです。
その結果、賞賛や拍手喝采を浴びることもあるでしょう。
それは誰の喜びでしょう?
はたして、人形の喜びだと言えるでしょか?
あやつる人の喜びではないでしょうか。

知らない間に、子どもを『あやつり人形=マリオネット』にしていませんか?
子どもの主体性を奪っていませんか?
それを知る方法があります。

興味を持たれた方は、シニフィアン研究所まで
http://signifiant-lab.com/お問い合わせください。
オールOK子育て相談もしています。http://signifiant-lab.com/raise/


2012年10月24日(Wed)▲ページの先頭へ
296)バラバラになる不安と恐怖
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「バラバラになる不安と恐怖」 について書きたいと思います。

何かが一つにまとまらない状態を「バラバラ」と言います。
辞書の中にも
『一体であるべきものが離れ離れになったり、統一されていなかったりするさま』
とあります。
この中の『一体であるべきもの』というフレーズに注目したいと思います。
何を言いたいかというと
『一体』の前提として『バラバラ』があるということです。

これを『私』に置き換えて考えてみましょう。
ここで、ラカンの『鏡像段階論』を思い浮かべてください。
私というまとまりを持った存在は、
「他者」という鏡(像&語り)によって構成されることを思い出していただけたでしょうか。

ここから考えると逆に
『私』という存在は『バラバラ』を前提としているという視点です。
つまり
『私』というまとまりは、常に『バラバラ』になるかもしれない不安や恐れを持っている、
そのように考えられるということです。
『私』は間違いなく、一人の存在であることを確認せずにはいられない。
それがなくなると『バラバラ』になるかもしれない。
そんな不安や恐れから
人は鏡に自分の姿を映さずにはいられない。

それが、例えば
常に鏡を携帯し、取り出して眺める
歩きながらショーウィンドーに映った自分の姿をチェックする
誰かに自分のことを注目してもらいたがる
自分のことを聞きたがる
人の目が気になるetc
このような行為へと人を駆り立てるのではないでしょうか。

この観点から、バラバラ殺人なども
自分がバラバラであることの行為化では?
とも考えられると思うのです。

長くなりましたが、
人は自分がバラバラになるかもしれない不安と恐れを抱いている、
だからこそ、自分を確認せずにはいられない、
その不安と恐怖から逃れるために鏡を必要とする、
『バラバラ』は『一体』とまさしく表裏一体であるとの観点から考えてみました。

ご意見、ご質問はシニフィアン研究所までどうぞ
http://signifiant-lab.com/
精神世界を「精神分析理論」で知る講座もあります。
要請があればどこへでも出張しています。


2012年10月22日(Mon)▲ページの先頭へ
295)オールOKは自他共に生かす(活かす)
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「オールOKは自他共に生かす(活かす)」 について書きたいと思います。

自分という存在は他者の基で(鏡像体験を通して)構成されると書いてきました。
つまり「鏡像=自分自身」とも言えます。
これを、母子関係で考えてみましょう。
母の姿=自分の姿=理想の自画像=好き
となるのは、
いつも母がオールOKしてくれたからではないでしょうか。

違う表現をすると
母がいつもオールOKしてくれる=母に受け入れられている(受容)=母に認めてもらえている(承認)
=必要とされている=愛されている=存在して良い自分=自己肯定=自分が好き
このような等式が成り立つのではないでしょうか。
自分が好きと思えるのは、オールOKしてくれる他者(鏡)が常に側に居たから、
自分を受容し、承認してもらう体験があったから、
このように考えられます。

これをどんどん広げていくと
オールOKすることは、自己肯定し、生きる意味を見出すことに繋がることでしょう。
そして『他者=自分自身』という鏡像関係から言うと
自己肯定=他者肯定
自己受容=他者受容
自己承認=他者承認
自己も他者も共に生きるに値する存在である。
このようになることでしょう。

以上から、
「オールOKすることは、自己も他者も共に生かす(活かす)ことに繋がる」
と言えるのではないでしょうか。

ここでは母子関係として考えてみましたが、
あらゆる関係に広げられることは言うまでもないことでしょう。
オールOKは年齢、性別などに関係なく、すべてを生かす(活かす)方法なのです。

具体的な方法についてはこちらまでどうぞhttp://signifiant-lab.com/
子育て法はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/
思春期はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
異性、夫婦関係はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/woman/を参照ください。





2012年10月21日(Sun)▲ページの先頭へ
294)否定・拒絶・無視=自分がなくなる
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「否定・拒絶・無視=自分がなくなる」 について書きたいと思います。

《291)自分が壊れてしまう不安や恐怖ーまとまりを持った自分の解体》で、
自分という存在は他者によって構成されると書きました。
そのためには、鏡像体験が必須だとも書きました。
ここでは、
鏡像体験によって構成された「自分」という存在がなくなるのは、一体どういう時かを考えてみます。
結論から言うと
『否定・拒絶・無視』に出会った時だと言いたいと思います。

うつや不登校や引きこもりなどをはじめとして、
立ち止まってしまって動けなくなった時、
ほぼ共通して口にする言葉があります。
それは≪どうせ・・・≫です。
この言葉は、あきらめの気持ちや無力感から出る言葉です。
つまり、立ち止まり、そこから前へ進めない情態を表します。

このような情態はどうして起きたのでしょうか。
それは何らかの「否定」「拒絶」「無視」などに出会ったと感じているからではないでしょうか。
中でも、
自分が心を寄せている対象(人、場所、もの)からそのように扱われた場合、
一気に自分の存在が無化されたと感じることでしょう。
これらは、自分の存在価値を見出している対象=自分自身=鏡像体験
このように感じている証拠でもあります。
ここから
「対象にとって自分は存在価値がない」と思った瞬間、
この時、自分自身が消滅した瞬間だと言えるでしょう。

つまり、うつや不登校、引きこもりなどは、
心を寄せている対象からの『否定・拒絶・無視』に出会った、
あるいは、それらの蓄積があった可能性が考えられます。

社会の中で、これらに出会うことは避けられないことでもあります。
だとするならら、
家庭内では、これらの反対
つまり、『肯定(オールOK)』が満ち溢れている環境が非常に大切になってきます。
社会では『否定・拒絶・無視』が溢れていても
家庭内では『肯定(オールOK)』が溢れていたなら
人は安らぎと癒しに包まれ、エネルギーを回復する。
つまり
≪自分という存在の回復≫
このように言えると思うのです。

家庭内が安らぎと癒しの場所=安心と安全の場所
それが基本となるでしょう。
それがもし、なかったなら
家庭外に求めるしかありません。
だから徘徊し、たむろし、刹那の居場所を見出そうとするのでしょう。
人は自分の居場所なくして生きられない存在なのです。

セラピールームはその居場所(安心と安全の場)でもあります。
シニフィアン研究所にもあります。
居場所が欲しいと思った時はHPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/


2012年10月19日(Fri)▲ページの先頭へ
293)鏡像体験=一人の私
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「鏡像体験=一人の私」 について書きたいと思います。

鏡像体験をするには、まず核が必要であり、
その核は、ただ一人の人(以下母と呼びます)がつくると書きました。
もう少し、具体的に書きたいと思います。

母が常に側にいて、子どもに語りかける環境、
ただ母の想いで語るのではなく、
その場その場に合った、適切な言葉で語りかけることが大切です。
たとえば
・美味しいものを食べた時ー「おいしいね」
・嬉しいことがあった時ー「うれしいね」
・転んで痛かった時ー「痛かったね」
・悔しくて泣いていたらー「くやしいね」
いかがでしょうか。
難しいことではないですよね。

あるお母さんが次のような話をしてくれました。
10代の娘さんから
「お母さん、私の話をちゃんと聞いて。いつも私が答える前に、決めつけている。
勝手に先に進まないでよ」と言われたそうです。
そう言われて、ハッと気付いたそうです。
確かに、娘の言うように、きちんと話を聞いていなかったと。

このようなことは、案外多いのではないでしょうか。
なぜなら、お母さんは忙しいからです。
子どもの前に居て、話をしていても、次のことを考えているから。
体は子どもの前にありながら、
心はすでに違う所に居る。
それに一番気付いているのは、子どもであり、
一番気付いていないのは、お母さん。

体も心も共に向き合っていること。
これが会話(対話)の基本です。
このような会話になっていない時に、
子どもはしつこく言ったり、ぐずったり、駄々をこねたりして
向き合っていないことを教えてくれているのではないでしょうか。

子どもはいつも母を観ています。
母の心を五感で感じ取っているのです。
子どもからのメッセージを受け取り、応えることが、鏡像体験であり、
その体験が「母に愛される私」という「一人の私」を創り上げる核となるのです。
それが≪オールOKで育てる≫ことでもあるのです。

「オールOK子育て法」はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/
質問・問い合わせはシニフィアン研究所のHPへどうぞhttp://signifiant-lab.com/


2012年10月18日(Thu)▲ページの先頭へ
292)まとまりのある身体イメージを持つために
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「まとまりのある身体イメージを持つために」 について書きたいと思います。

前回の続きです。
バラバラの身体イメージをまとめあげるには『鏡像段階』と呼ばれる体験が必要だと書きました。
では、具体的にどうすればよいのか?
それについて書きたいと思います。
(ここでは、ラカンのいう『鏡像段階』の体験をするという意味で『鏡像体験』と呼びます)

鏡像体験とは、文字通り「鏡に映った姿を自分だと認める体験」のことです。
私たちは鏡に映った姿を自分だと信じていることでしょう。
そのように、鏡に映った姿だけでなく、
自分について他者が語った言葉を通して、自分のイメージを創り上げているといわれます。
例えば
「優しい人ね」
「おとなしいね」
「明るい人ね」
「早口だね」
「口うるさい人だ」
「おっちょこちょいだ」etc
様々な語らいが、鏡の役割をすると考える観点です。

そのような自分についての語らいを総合して、
自分のイメージを創り上げてゆくようです。
それらをどのように取り入れたか、
反対に取り入れなかったかは、人によってさまざまです。
それは、精神分析の中では一つの重要なものとなります。

とまれ、自分というまとまりを持ったイメージは、
他者の語らいという鏡によって創り上げられるということです。
それには一つ重要なことがあります。
それは、
≪ただ一人の人が、一貫性を持って語り続ける環境≫です。
なぜなら、複数の人が鏡となったなら
複数の語らい(自分について持つイメージ)が出てくるからです。
複数の語らいがあるということは、
自分についてのイメージが一つにまとまらないということです。

まとめあげるには、その核(中心)となるものが必要です。
その核(中心)となるのが、「ただ一つの鏡(ただ一人の人)」です。
その鏡の像が核となって、それに追加、変更をしながら創り上げてゆくのです。

このようにして、長い時間をかけて
『自分というまとまりのある身体イメージ(「肉体」ではなく、「身体」)を持つに至る』と言われています。
その最初の核(中心)をつくるのがラカンの言う≪鏡像段階≫であり、
その体験が『鏡像体験』なのです。
ここで一番重要なことは、最初の核(中心)です。
その核をつくるためには、
≪ただ一人の人が、一貫性を持って語り続ける環境が必須≫なのです。
このただ一人の人には、生母その人であることが望ましいことは言うまでもないでしょう。

鏡像段階、鏡像体験について興味を持たれた方は
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
各種教室、講座も開催しています。http://signifiant-lab.com/raise/


2012年10月17日(Wed)▲ページの先頭へ
291)自分が壊れてしまう不安や恐怖ーまとまりを持った自分の解体
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「自分が壊れてしまう恐怖」 について書きたいと思います。

日々、様々なクライアントと対話していて、気付いたことがあります。
それは『自分が壊れてしまうかもしれない不安や恐怖』です。
その不安や恐怖を安心に変えるためには、鏡像体験が必要であることを書きたいと思います。

「自分が分からない」
「自分がなくなってしまう」
「自分がバラバラになりそうだ」
「音を立てて崩れてしまいそうだ」

このように語るとき、
『まとまりを持った一人の自分』のイメージ(像)がバラバラになると感じている瞬間ではないでしょうか。
もっというと、まさしく
『自分が解体するかもしれない不安と恐怖』に直面している瞬間だと思うのです。
そして、
常にすべての人間に忍び寄っているといっても過言ではないように思えてきます。

人は、自分の思い通りに事が進まなかった時、
ふと立ち止まった時、
不安や恐怖が襲いかかってくる。
それは、自分がバラバラに壊れるかもしれない不安や恐怖と考えられないでしょうか。
そんな時、自分の姿を映してくれる鏡が欲しいとの衝動に駆られる。

それが例えば
人恋しくなったり、
誰かに電話やメール、話をしたくなったりする、
抱きしめてもらいたいと思う。
もし、そんな人が誰も居なかったなら
自分で自分を感じるしかない。
この観点から考えると
「自傷(リストカット)」「抜毛」「かきむしる」「暴れる」「叫ぶ」などは
自分を取り戻すための一つの表現方法だと思うのです。

あてもなく誰かにメールや電話をしないと居られない、
あてもなくさまよい歩くのも、その一つかもしれません。
誰かに、自分の姿を映してほしい。
解体してしまいそうな自分を、一つにまとめてほしい。
そんな必死の叫びのように観えてくる気がするのです。

思春期には特にそのような危機が訪れる時期だと言われています。
その時期までに、統一した自分というイメージ(鏡像)を持っているかどうか、
それを一番問われるのが、思春期なのです。
その時期を乗り切るためにも
幼少期から「まとまりを持った自分」という鏡像体験をする必要があるでしょう。

ここでは、バラバラになりそうな不安や恐怖は、誰にでもあること、
その不安や恐怖は、いつでも襲ってくる可能性があること、
そのような時には、一つにまとめあげる鏡が必要であること、
それを、フランスの精神分析医ジャック・ラカンは
『鏡像段階』と呼びました。

その鏡の役割をするのが≪精神分析家≫であり、その鏡像体験が精神分析(セラピー)なのです。

シニフィアン研究所ではそれらの理論に基づいた精神分析(対話療法)をしています。
詳しくはHPをご覧ください。
性癖、恋愛・夫婦問題の相談も受けています。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
非行、引きこもり、暴力など「思春期の悩み」のサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
「不登校の子どもの母より」のサイトhttp://signifiant-lab.com/escape/



2012年10月15日(Mon)▲ページの先頭へ
290)夢を持つことと実行すること
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「夢を持つことと実行すること」 について書きたいと思います。

前回「夢を持つこと」について書きましたが、
「子どもが夢を言うだけで、ちっともやろうとしないのですが、それでもいいのですか」
という質問がありましたので、このタイトルにしました。

なるほど、よくあることです。
子どもに限らず、「言うけど、実行しない」大人がいるのも事実のようです。
夢は語るのに、実行しようとしないのはどうしてでしょう。
一つには、単なる興味だけに留まっているから?
あるいは、ただ言ってみただけ?

特に子どもは、興味を持った場合、たいていは「やってみたい、欲しい」と言います。
そして、そんな「やってみたい、欲しい」は次々と出てきます。
ですが、なかなか続きません。
すぐに次の興味の対象に移ったりします。
親はそんな子どもの態度にイライラしてしまいます。
親からすれば当然です。

そんな子どもの興味に、まずは付き合ってあげましょう。
習い事なら、一度体験させましょう。
欲しいものなら与えてあげましょう。

ちょっと無駄なように思いますが、
その「無駄」が大切なのです。
大人でも、やってみないと解らないものがあるでしょう。
子どもはそれがとっても多いのです。
何しろ、まだ大人よりも体験が圧倒的に少ないのですから。

その無駄な経験が、徐々に、やらなくても想像できるようになってくるのです。
その無駄な体験をする機会をたくさん与えてあげることが、
必要なこと(もの)しか要求しない子どもを育てるのです。
数回するうちに、本当にしたいこと、欲しいものが限定されてきます。
せいぜい、2つか3つくらいのものに集約するでしょう。

「言うけど実行しない」のは、本当にやりたいことではないからです。
ですから、夢を語った時、
ただ「なれたないいねえ」「できたらいいねえ」とだけ答えてあげればいいのです。

本当にやりたいこと、好きなことは、自分からやりはじめます。
そして、かならず継続するようになります。
そのこと(もの)に出会うまでは、言うだけで実行しなかったり、
数回試してすぐに止めます。
それは「飽きっぽい」のではなく、
やりたいこと(もの)に出会っていないからでしょう。

これらに出会うまで、根気よく見守り、応え続ける大人側の忍耐が要求されます。
それができない場合、自らの根気と待てなさを隠すために
大人たちは、ややもすると
「言うだけで、ちっともやらない」
「根気がない」
「飽きっぽい」などと決めつけてしまうのではないでしょうか?

親になり、親である続けることは凄くエネルギーが要ることです。
根気が要ります。
忍耐が要ります。

そんな親であり続けるための講座・教室もあります。
シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
「オールOK子育て法」は年齢は関係ありません。http://signifiant-lab.com/raise/


2012年10月14日(Sun)▲ページの先頭へ
289)夢を持つこと=夢についての語らいを育てる
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「夢を持つ=夢についての語らいを育てる」 について書きたいと思います。
夢を持つには、
まず『夢を語れる=言語化できる』ことが大切であり、
また達成するためにも言語が必須だと言いたいと思います。

「将来の夢は何?」
「あなたはどんな夢を持っていますか?」
幼少のころから、このように聞かれてきたのではないでしょうか。
そして今、聞かれたらどのように答えるでしょうか。

夢を持っているとは、
その夢について語れることを意味します。
語れるということは、そのことに心が向いている=関心を持っていることです。
詳しい知識を持っていることは必須ではありません。
知識はそれを実行するための一つの手段として必須のものです。
ここでは、実行できるかできないかではなく、
その夢について語れるかどうかを中心に考えます。

特に、子どもに対しては注意が必要です。
子どもの語りに対して≪オールOK(肯定)すること≫です。
決して、それは無理だと否定しないことです。(たとえ現実的に無理だったとしても)
なぜなら、ほとんどの子どもは想像の世界を生きているからです。
夢についての語らいをした時は
『そう、なれたらいいねえ』
『そう、できたらいいねえ』と答えてあげましょう。
何よりもそんな語らいの中に、夢を語ることの楽しさと喜びを持つことこそが大切だと思うのです。

この『夢を語ること』こそ、夢を実現させるエネルギーとなるのではないでしょうか。
年齢を重ねる中で、実現可能な夢へと変化してゆくものです。
子どもの夢をつぶさないこと。
繰り返しになりますが、
夢について語ることこそが一番大切なのです。
もっと言うと
『言語こそが夢を実現へと導く羅針盤』だと言いたいと思います。

人は関心があることに対しては、努力を惜しまないでしょう。
時間も労力もお金も惜しまずに注ぐことができるのです。
実現可能かどうかよりも、実現するとの強い意志力が必須です。
それは
『私は〇〇する』と言い切れることです。
その言語に導かれて努力するのではないでしょうか。
夢の実現に向かって努力するとは、夢を語る言語に導かれてゆくことを意味する。
このように考えられるのではないでしょうか。

遠回りをしましたが、
夢を持つことは、夢についての語らいをそだてることだと思います。
幼少期から子どもの夢を育ててあげましょう。
夢についての語らいを聴いて、オールOKしてあげましょう。
そうすればきっと、その言葉に導かれて顔を輝かせて努力することでしょう。
それも心を育てる大切な一つであり、
思春期を乗り切るエネルギーだとも思うのです。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
「オールOK子育て法」はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/
「不登校の子どもの母より」のサイトhttp://signifiant-lab.com/escape/
「思春期の悩み」のサイトもあります。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/


2012年10月12日(Fri)▲ページの先頭へ
288)「オールOK」と座禅
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「オールOKと座禅」 について書きたいと思います。

「オールOK」で子どもや人を育てることは、『座らない坐禅』をしているのと同じではないだろうか。
このようなことを考えてみたいと思います。

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*坐禅(ざぜん)とは、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修行法。
*日本での坐禅は、宗教・宗派とは無関係に精神鍛錬として認識され、寺などで僧が監視している中で坐禅を行う形をとる修行体験を、一般の人々向けに行っている。 黙想・瞑想するのではなく、自我を極力排除して、自我以外の存在を全感覚で受動的に感じ取る事によって、自我以外の存在に縁取られた自我自体の認識へと立ち戻る、という精神性を持っている。仏教の空・無の境地、日本の神道の精神ともつながりがある。(wikipediaより一部引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%90%E7%A6%85)

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オールOKの基本は
≪要求が出たら、敏速に的確に行動で応える≫です。
つまり、自分の考えや思いは捨てて(無にする)相手の要求通りに行動することを意味します。
これは、日常生活の中でする『座らない坐禅』だと言えないでしょうか。
・もっと言うことを聞いて欲しい
・勉強してほしい
・良い子になってほしい
・ゲームばかりしないでほしい
・手伝いをしてほしい
・早く手が離れてほしいetc

相手の要求にオールOKで応えることは、
これら自分の思い(自我)をすべて捨てて、相手の言いなりに動くことでもあります。
これは、まさしく上記の『自我を極力排除して、自我以外の存在を全感覚で受動的に感じ取る事』
と同じではないでしょうか。

つまり、オールOKで子どもに向き合うことは
日常生活の中でする『座らない坐禅修行』と同じだと思えるのです。
子どもは、親にとって
『自我以外の存在に縁取られた自我自体の認識へと立ち戻る、という精神性』
に気づくようにと、鍛えてくれている貴重な存在ではないでしょうか。

「オールOK」していると
子どもに与えるばかりで、自分はしんどいだけで、何も与えてもらえない。
との想いを持つかもしれません。
そんな時、
『座らない坐禅をしている』と考えてみたら
ひょっとしたら、また違って感じられるかもしれません。

今回は、このような観点から考えてみました。
いかがでしょうか?
ご意見、ご感想はシニフィアン研究所までお寄せください。http://signifiant-lab.com/
「オールOK子育て法」はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/


2012年10月11日(Thu)▲ページの先頭へ
287)言葉を話す―対人関係―社会参入への第一歩
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「言葉を話す―対人関係―社会参入への第一歩」 について書きたいと思います。

前回「人間は、象徴的な世界に生きる存在」だと書きました。
今回は、象徴的な世界への参入について考えたいと思います。
言葉を話すことは社会へ参入するための第一歩であり、
そのためには、
すでに社会参入している大人によって語りかけられることが大切だと言いたいと思います。

まず、私たちは自分について語っているであろう言語世界の中に生れ落ちます。
これは、
まだ言語をまったく理解できない時代から、言語によって語られているということです。
そして、その言語によって話しかけられ、覚えさせられます。
例えば
固有名詞を与えられ、その名前で呼びかけられます。
このように、まずは受身の状態から始まります。

それに対し、私たちはまず、笑顔や声で応えたことでしょう。
この時代は、泣いたり、手を伸ばしたら、すぐにそれが目の前に与えられます。
やがて、同じことをしたのに
≪「ちょうだい」って言おうね≫と言われ、同じように言葉の真似をするように要求されます。
公園で誰かのおもちゃを手にしたら
≪「〇〇ちゃん、貸してねって言おうね」≫と言われます。

このように、自分の欲求を言葉に置き換えて言うことを求められます。(受動から能動への転換)
当たり前にように思いますが、
ここで、誰からも語りかけられなかったとしたらどうなるでしょう。
言葉を覚えることができるでしょうか。
たぶん、難しいことでしょう。
つまり
言葉を覚えるには、まず誰かから語りかけられることが必須です。
その動作に応じた、適切な言語で語りかけられること。
そして、それを真似て使ってみる。
このような日々の繰り返しの中て、言語の世界(象徴的な世界)へと参入してゆく。
つまり、言葉を覚え、話すことが対人関係をスムーズにし、
社会参入するための重要な第一歩だと言えるでしょう。

この観点から考えると、
社会参入において、何らかの抵抗や葛藤がある場合
自分の内側にあるもの(感情、想い、思考など)を
適切な言語に置き換えることがスムーズにできない可能性が考えられるのではないでしょうか。

以上から、
言葉を話すようになるためには
まず、言葉を話す大人から語りかけられ続けることが必須です。
重ねて言うと、
ただ一人の人から一貫性を持って語られ続ける体験(環境)が望まれます。
ただ一人の人が、常に子どもの傍に居て、臨機応変に適切な言語で語りかける環境
これが象徴的な世界に生きることを余儀なくされている人間にとって、
非常に大切で必須な最初期の環境といえると思うのです。

このような環境の中で、私たちは人間として、
言語という象徴的な世界の中の住人として生きているのです。
私たち大人は、子どもたちにこの象徴の世界へと導く使命とでもいうべき役目があるのではないでしょうか?
何だか、難しくなってきました。
要するに、
私たち大人が、まず子どもたちに語りかけることが必須である、と言いたかったのです。

*症例
「言葉が他の子に比べて遅い」と心配されていたお母さんに、
 子どもさんと一緒に遊び、子どもさんと目を合わすようにして語りかけ続けてください、
 と、アドバイスしたところ、見る見るうちに言葉を話すようになった。

対人関係、社会参入をスムーズにするための教室
そのために基礎である「オールOK子育て法」http://signifiant-lab.com/raise/
など、ご希望に応じた相談をしています。
シニフィアン研究所までご連絡ください。http://signifiant-lab.com/


2012年10月09日(Tue)▲ページの先頭へ
286)人間になるとは
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「人間になるとは」 について書きたいと思います。

精神分析的観点から、人間になるとはどういうことかについて考えてみたいと思います。
人間と動物の一番の違いは「言語を話すこと」だとよく言われます。
この「言語(言葉)を話す」ことについて考えてみましょう。

ラカンは、言語の世界を「象徴の秩序の世界(象徴界)」と呼び、
この言語の世界へ参入することを『象徴的去勢』を被ると言いました。
ちょっと難しいと感じますが、
私たち人間の世界では、この象徴的なものが優位を占めているともいえるでしょう。
例えば「紙幣」はその代表です。
(紙に「10000」と書かれていると、それは一万円の価値を持っていることになります)
そして、それが流通(通用)しているのは
その価値(意味付け)をその世界内の人が承認しているからです。

このように、言語も紙幣と同じように、象徴的なものだとする観点です。
ここから、
人間になるとは象徴界と呼ばれる「言語の世界」に参入することだと言いたいのです。
言い換えると、
人間であるとは、言語に代表される象徴秩序の世界に生きてゆくことを意味します。
また一方では、人は自らも象徴するように求められているとも言えるでしょう。
例えば
「何をしたいのか」
「何のためにそれをするのか」
「なぜ?」
「どうして?」etc
このように、これらの問いかけに答えるように求められているのです。

そして、これらの問いかけの前で立ち止まった時
人は悩み、迷い、とまどい、苦しみ、時には応えきれずに叫び、病にもなるのではないでしょうか。
人が生きるとは、
人間であるとは、
これらの問いかけに常にさらされ、答えなければならない
そんな世界の中に住んでいるといえるのではないでしょうか。

この観点から考えると
人間であるがゆえに
言語を話すがゆえに
悩み、苦しみ、病むのだといえるのではないでしょうか。

では、そもそも私たちは、どのようにして象徴界に参入してゆくのでしょうか。
このことについては、次回に書きたいと思います。

シニフィアン研究所では
勉強会や講座を通じて、人間について考えています。
興味を持たれた方は、お気軽いお問い合わせください。
シニフィアン研究所のHPhttp://signifiant-lab.com/
「私と精神分析」も参照くださいhttp://agency-inc.com/analysis6/


2012年10月02日(Tue)▲ページの先頭へ
285)明日から関西出張
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「明日から関西出張」 のお知らせです。

17号台風も過ぎ、19号を横目に見ながらの出張となりそうです。
明日から、大阪・和歌山を中心に関西出張します。

3日から5日は和歌山市の「シニフィアン研究所、和歌山出張所」にて
面談、養成講座、フリートークなどをします。
6日は和歌山県紀の川市におります。
7日は終日(8:00〜22:00)大阪市難波周辺におります。

周辺の方は、当日でもOKですので、是非ご参加ください。
なお、連絡、お問い合わせは携帯の方へお願いします。
詳しくは、シニフィアン研究所のHPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/#8



2012年10月01日(Mon)▲ページの先頭へ
284)オールOKの向こう側に観ているもの
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「オールOKの向こう側に観ているもの」 について書きたいと思います。

子育ての基本として『オールOK』を推奨しています。
オールOKをしてもらった子どもは、
主体性を持ち、自己主張ができ、
自分の人生を自ら切り開いてゆく人間に成長することでしょう。

その第一歩として、
「子どもの要求が出たら、敏速に的確に行動で応える」ことに徹することからスタートです。
ところが、最初はほとんどの親(直接的に母が対応するのがベストなので以下母とします)
子どもの要求は際限がなく、エスカレートするばかりのように感じます。
そして
『まだやらなきゃいけないんですか?』
『こんなことまで言う通りにしないとダメなんですか?』
『お金が続きません。こんなことがいつまで続くんですか』etc
と、質問や非難の声が挙がります。
与える母の側からすれば、当然のことでしょう。

子どもの側から考えてみましょう。
子どもは、なぜ際限がないと思える要求をするのでしょう。
一体何を求めようとしているのでしょう。

欲しいと言うから買っても、すぐに飽きて大切にしない場合が大半です。
そして、次から次へと求めます。
そのようなことが、ある一定の期間続きます。(後に、必ず止まる時がきます)
それは、まるで「永遠に尽きない母のおっぱい」を求めている貪欲な乳児の姿そのものです。
それこそ、すべての人間が求めて止まないものなのかもしれません。
そして、それは、永遠に手に入らないものの代表です。

与える母の側も、求める子どもの側も、永遠に尽きることはないように思います。
それでも与え続けよう(オールOKしよう)とする母の姿に、子どもは何を読み取るでしょう。
それは≪母の愛(覚悟)≫ではないでしょうか。
『こんな僕(私)でも母は絶対見捨てない』
『どこまでもオールOKしようとしてくれている』
『これから先、どんなことがあろうと、きっと母だけはオールOKしてくれるに違いない』
このように、オールOKしようとする母の姿の向こう側に、
子どもは
永遠に尽きない母の愛(何があってもすべて引き受ける覚悟)を心に描いているのではないでしょうか。
このような母の愛のイメージを心の中に持つことを『内在化』といいます。

母の愛を内在化した子どもは、
現実の母その人を求めるのではなく、
今度は、その愛を必要としている人に与えようとすることでしょう。
それも、オールOKの方法で。
(要求が出たら、敏速に的確に行動で応える)

以上から、オールOKの向こう側に観ているもの、
それは≪母の愛(覚悟)≫だと言えるのではないでしょうか。

オールOK子育て法の教室を開いています。
詳しくはシニフィアン研究所のHPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/#10
「オールOK子育て法」のサイトはこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/
全国どこへでも出張しています。(要交通費)お問い合わせください。http://signifiant-lab.com/#8




   


「精神分析」は、薬物や催眠、暗示など一切使わず、相談者(クライアント)と分析家(インテグレーター)との1対1の対話や夢分析により、自分の無意識に気付き、コンプレックスを解消する信頼に基づいた方法です。
クライアントの自我は、様々な理由によって未成熟であったり、歪んでいたり、傷ついていたり、欠損していたり、不完全な状態で浮遊しています。それに確かな形と安定を与えることが精神分析(セラピー)です。その過程で、ありのままの自分でいい、自分は生きる価値があると自信を持ち、自己愛や自己決定力が高まっていくのです。
このように精神分析は、自己を知ることの喜びと成長をもたらします。インテグレーターはクライアントの援助者であり、伴走者です。また、クライアントの意志を大切にしますので、強制したり無理強いすることはありません。
自分の人生は、自分が書き換えてゆくんだ、との勇気と根気を持って歩むならば、必ず自己探求の喜びと幸せを自覚し、自らの意志で未来を切り開いていくことでしょう。




カレンダ
2012年10月
 
     

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