育児・子育て

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。




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2015年11月09日(Mon)▲ページの先頭へ
423)反抗&11月度関西出張
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「反抗」&「11月度関西出張」 について書きます。

反抗するのはそれまでの世界から脱皮し、新しく生まれ変わりたいとのメッセージであると考えてみます。
反抗するには様々な状況と理由があるでしょうが、何らかの違和感を感じているからでしょう。この違和感を一番感じるとされる青春期(第二反抗期)を例に考えてみます。

それまで周りから当然のこととして求められてきた道をそれなりに歩いてきた。
心身の成長と進路についての問いかけを一つの契機として浮上してくる可能性が高くなります。それまで何らかの違和感を感じていたことが一気に表面化する時期だといわれます。
その代表的な表現が「反抗」でしょう。
本人も訳わからず周りにまき散らす。
頭では分かっていてもコントロールできない。
その矛先はまず母親が多いようです。
よく聞くのが「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」
それに対して母親は「親に向かって偉そうに、一人で大きくなったつもりでいる、何様のつもり」などなど。

これは「もう保護し、一方的にコントロールする母は必要ない、脱皮の時期にきている」とのメッセージではないでしょうか。
母の束縛の世界を打ち破るための行動化でもあり、自らの頭で考え、自らの足で歩もうとする意志表示と捉えてみます。
そうすれば、反抗する子どもに対する見方も違ってくるのではないでしょうか。

ただ一つ成長と捉えるには条件があります。
それは、この反抗は言葉でなされることです。
行動が伴うことも多いですが、まずは言葉で反抗できること。
その代表が「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」です。
その言葉が出たら その言葉に従いましょう。
口を止め、その場を去ることです。
そして、見守りましょう。
静観すること、それがその時期に母ができる最大限の行動です。



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≪11月度関西出張のお知らせ≫

*10日(火)〜12日(木) 大阪市・和歌山市

面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座−象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『自分を守る』 )

*9日(月)・13日(金)埼玉県大宮市

詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。



2015年09月26日(Sat)▲ページの先頭へ
421)語り続けたように子どもは育つ
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「語り続けたように子どもは育つ」 について書きます。

「私は〇〇の性格だ」
「私は〇〇の人間だ」
このように自分のことについて様々な表現をします。
そして、そのことについて普段は疑問を持つことは少ないかもしれません。
では、そのような自分についてのイメージ(自我) をどのようにして手に入れたのでしょうか。

例えば「私は明るい性格だ」と語ったとしましょう。
では、明るい性格というのはどのようにして考えるようになったのでしょう。
自分が思っただけで「私は明るい性格だ」と語れるでしょうか。
自分以外の他者から何度もそのように言われ、「私って明るい性格なんだ」といつしか考えるようになったのではないでしょうか。

このように、自分についてのイメージは実は他者から繰り返し言われることによって、それを自分の中に取り込んだと考える視点があります。
自分についての他者の語らいを取り込んで、自分というイメージを創り上げたと考えます。
これを「自我は他者の基で構成される」といいます。

「私は明るい性格だ」と思っていた性格は、実は他者が自分について語ったことだった。
つまり、自分についての語らいは実は他者の語らいだった。
このようになります。

これを自分の子どもに置き換えてみます。
すると、将来どのような子どもに育つかの基本は、育てる人(養育者)の語らいによって決まる。このようにいえるのではないでしょうか。
優しい子どもに育てたいなら「あなたは優しいね」といつも語り続ければいい。
可愛いと思える子どもに育てたいなら「あなたは可愛いね」と語り続けましょう。
そうすればきっと語り続けたような子どもに育つことでしょう。



シニフィアン研究所 楽歩愛真 HP http://signifiant-lab.com/
Twitter  https://twitter.com/rakuhomanami


2015年07月02日(Thu)▲ページの先頭へ
416)しあわせの種を育てよう
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「しあわせの種を育てよう」 について書きます。

予測とは違ったことに直面したり、困ったことになった時、人は悩み苦しみます。
そのようなことは生きていく上で数えきれないほど多くあるでしょう。
またそれと同じく嬉しい、楽しいと感じることもあるはずです。
今ここで、自分にとって嬉しい、楽しい、好きだと感じることを「しあわせの種」とし、
自分にとって辛い、苦しい、嫌だと感じることを「不幸の種」と仮定してみます。

「あなたはどちらを育てていますか?」と質問されたらどうでしょう。
どちらを選ぶかは言うまでもないと思う人が多いかもしれません。
ところが、どうしても「不幸の種」を自ら求めている、
それも自ら好んで その種だけを選び取っているとまで言える人がいるのです。
その人が口癖のように言う言葉があります。
「どうして私だけ・・・」
「どうしてこんなに次から次へと悪いことが起こるのか」 etc

少し視点をずらしてみる(他者の視点)と「しあわせの種」 もあるのですが、それがまるで目に入らないようです。
他者がそれに気づいて言っても頑なに受け入れようとはしません。
このような時、ある一点(不幸の種)だけに焦点を合わせてしまっているといえるでしょう。
この状態は、かの有名な水に映る我が姿に恋をして死んでしまったというギリシャ神話の「ナルキッソス」を思い起こさせます。

まさしく「不幸の種」に恋をしているのです。
これを自ら好んでその種だけを選び取っているというのです。

ではどうして「しあわせの種」より「不幸の種」を選んでしまうのでしょう。
一つは「不幸の種」の方がその人にとって目に付きやすいから。
その根底には「しあわせの種」は持っていて当たり前だとの思いがあるのではないでしょうか。
それでは、こんな時はどうしたらいいのでしょうか。

自らが「不幸の種」に見入ってしまっていることに気づくしかないでしょう。
気づけば「不幸の種」を手放し、「しあわせの種」を掴み取ることも可能となります。
そして、その種を育てればいいのです。
そうすればその人はきっとしあわせになるでしょう。
なぜなら「しあわせの種」はしあわせにしか育たないのですから。

生きていく途上には「しあわせの種」も「不幸の種」も同じようにたくさんあることでしょう。
もし「不幸の種」を見つけても隠したり、捨てたりせずにそのままそっと置いておきましょう。
「しあわせの種」だけを見つけ育てましょう。
「しあわせの種」を見つけられる人は、他者の中にも「しあわせの種」を見い出し育てることができるでしょう。
それが「プラス思考」とか「人を活かす」ことにも繋がると考えます。

自分がどちらの種を見い出しているのか知りたい方、気づきたい方、精神分析がその一翼を担えると考えています。
シニフィアン研究所までお問い合わせください。  http://signifiant-lab.com/
Twitterはこちらです。 https://twitter.com/rakuhomanami


2015年05月17日(Sun)▲ページの先頭へ
414)自発性を育てる=待つ
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「自発性を育てる=待つ」 について書きます。

自発性を育てるには、まずそばに居る人が『待つこと』だと考えます。
自発性とは辞書によると、他からの教示や影響によるのでなく、内部の原因・力によって思考・行為がなされることとあります。
簡単にいうと、自ら発すること。

そのためにはどうすればよいか?
それは簡単、ただ一つ『待つこと』
その人が自ら発するその時をひたすら待つこと。
そのために必要なことは「沈黙」
つまり、その人を取り巻く人が黙って忍耐強く待つこと。
何も言わず、何もせず、ただ待つのみ。
これに徹すること。
しかし関心は向け続けていること。

この環境の中に居続けると、いつか人は何かを発せざるを得なくなる。
なぜなら沈黙は人の思考や想像を作動させるから。
眠りでさえも夢という思考を作動させる。
外から見ると、何もしていないかのように見えるかもしれない。
あるいは、寝てばかりだったり、ゲーム三昧だったりもする。
それに対して口出さず、意見せず、ただひたすら沈黙を守り続ける。
そうすると、いつか必ず何らかの言動を発する時がくる。
その時をただひたすら待ち続ける。

関心を抱きつつ、沈黙し待つこと。
これが自発性を育てる最初の環境だと考えています。

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2015年05月11日(Mon)▲ページの先頭へ
413)自信を持つために
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「自信を持つために」 について書きます。

自信を持つためにはどうしたらいいですか、と質問されることがあります。
それは「あなたが信頼する他者から肯定される体験を持つことだ」と答えます。
人は自分で自分に「これでいい」「間違ってない」とどんなに言い聞かせても一抹の不安が残るものです。
それは人間である=言語を持っていることと関係が深いといわれます。
考えることも、思うことも、感じるということさえも言語の作用だから。
言語を廃して人は何ものも意識できないといわれています。

これらのことから、自分が感じたり、考えたりしていることが確かなことであると自分だけでは確定できない。だから自分以外の他者にそれを確認してホッとする。

五官の感覚を考えてみます。
今誰かが歌を唄っているのが聞こえたとします。
それを隣の他者が同じように聞こえていると言ったら、聞こえている自分の耳を疑わないでしょう。目もそうです。自分の見ているものが他者も同じように見えていると言ったら安心します。

このように自分の五感が他者と同じだと確認できたなら安心し、自分の五感を信じることができるでしょう。逆なら、自分の五官の感覚がどこかおかしいのではないかと疑いを持ち不安になることでしょう。そして、自分と同じように感じていると言ってくれる他者を探したくなるかもしれません。
この自分の五感に自信を持つには自分と同じだと言ってくれる他者を必要とするのです。つまり、自分に自信を持つには自分を肯定してくれる体験の積み重ねが必要だといえるでしょう。そして、その他者が自分が信頼する(好きな)人であればなお自信の度合いは強くなるに違いありません。

これらのことから、自分に自信を持つには、傍に居る信頼する他者から肯定される体験を可能な限り多く持つことだと考えるのです。

もし、自分に自信がないと思ったなら信頼する人に肯定してもらいましょう。
もし、自信のある子どもに育てたいなら、肯定してあげましょう。
もし、肯定する方法が解らないとするなら学びましょう。
そうすればいつか自信を持てることでしょう。

お問い合わせはシニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/
Twitterでもつぶやいています。 https://twitter.com/rakuhomanami


2015年04月20日(Mon)▲ページの先頭へ
411)思春期の子ども
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「思春期の子ども」 について書きます。

私たちは思春期を第二次反抗期と呼んだり、疾風怒濤の時期と呼んだりします。
この時期の子どもに一体何が起こっているのか。
ここでは、アイデンティティの確立の視点から考えます。
アイデンティティの確立とは「私はわたしである」との自我同一性を持つことを指します。
「自分は一体何者か」
「自分に一体何が起こっているのか」
「自分は何をしたいのか」
「これは本当に自分が求めていることなのか」
「生きるとは」などなど

このように、それまでは外へと向かっていた関心が自分の内面へと向かう時期でもあります。それまで周りから言われてきたことを再度自らに問いかけます。
それと共に身体生理的にも大きな変化が表れます。
いわゆる心身共に子どもから大人への移行期を思春期と呼びます。

「私はわたし」というアイデンティティを確立するには「私」を見るもうひとりの「わたし」という視点が必要です。一人の私を二人に分裂させる視点です。
これはまさしく「鏡に映った私」と「それを見るわたし」といえるでしょう。
それともう一人「他者が語る私」が加わります。
この三人の私が対話するのです。
そして「鏡に映った私」と「それを見るわたし」と「他者が語る私」を統合して一人の私であると結論づけること。
これがアイデンティティの確立(自我同一性を持つ)へと繋がります。
色々な私がいるけれど、それでも「一人の私」だと再構成できること。
これを「アイデンティティの確立(自我同一性を持つ)」といいます。
そのようにして再構成したものが自我と呼ばれるものです。
つまり自我は様々な私の寄せ集めです。
そしてその内容よりも「私はわたし、他の人とは違う一人の私」だと考えられる方が重要です。

このようなアイデンティティを獲得するためには、年単位の時間が必要だといわれます。
様々な自我と出会って、迷い、怒り、戸惑い、否認、反抗、拒否、無視、受け容れ、再認している時期です。
これら自らの内面から突き上げてくる何かに自分でも手を焼いているのです。
ですから他者に対してもその存在や言葉が邪魔に感じ、苛立ち、イライラ、暴言を吐いたりします。
周りの大人は「やりにくい、難しい、何考えているか解らない」などと語ります。
それは当然です。
当の本人が疾風怒濤の中にいて、一番自分が解らず悪戦苦闘しているのですから。
子どもから大人へと脱皮する、まさしく産みの苦しみの時期とでも呼べるでしょう。

誰もが大なり小なり一度は通過しなければならない道です。
私たち大人は心配しつつも黙って温かいまなざしで見守るしかないでしょう。
必要なときは助けを求めるだろうと信じるしかありません。
見守り方(対応の仕方)を間違えなければ、きっと自力で通り抜けることでしょう。
このような思春期の子どもからのメッセージの読み解きと対応の仕方は様々あります。
関心を持たれた方は下記を参照ください。

シニフィアン研究所 HP http://signifiant-lab.com/
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami


2015年02月23日(Mon)▲ページの先頭へ
407)やる気を持つ子に育てよう
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「やる気を持つ子に育てよう」 について書きます。

やる気はどこから湧いてくるのでしょう。
それは自己愛が育っているから。
自己愛の根底には自己肯定があり、自己肯定は大好きな人から認められることから育つといわれます。認められるためには、まず自ら発することが必要。これを自発性と呼びます。

つまり、やる気を持つ基本は自発性。
やる気を育てるためには自発性を育てることだと考えます。
では、自発性を育てるためにはどうすればよいのでしょう。

辞書によると、自発性は「他から影響・強制などではなく、自己の内部の原因によって行われること」とあります。
それは行動でも、言葉でも何でもいい。
自ら発することが大事。
何らかの刺激がきっかけとなって湧いてくるものともいえます。
例えば、感情を考えてみましょう。
喜怒哀楽に代表される感情は湧いてくるのが基本。
決して人からもらうものではありません。
その人の何かが刺激となって自分の内側から湧いてくるものです。

このように、自発性は何らかの刺激に対して内奥から湧き上がり、様々な形で出てくるものといえます。その出てきたものが他者によって認められ、受け容れられる体験が、自らもその湧き上がってきたものを認め受け容れることでしょう。
認められることで子どもは自発性を持つことができるのです。
その蓄積が自己肯定につながり、自信を持ち、自己愛が高まり、やる気を持つことにつながる。
これがやる気を持つ子どもを育てる基本だと考えます。

まずはその内容の是非や評価をする前に、子どもの自発性を認めましょう。
「あなたはそう思うのね」「そう感じるのね」と。
そうすればきっと、自発的にどんどんやる気を持ち、発揮することでしょう。


2015年02月19日(Thu)▲ページの先頭へ
406)集中力の基は「まなざしと声」
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「集中力の基はまなざしと声」 について書きます。

集中力をもつことが大事だといわれています。
集中力を持つ、あるいは高めるにはどうしたらよいかについてもノウハウ本は多々あります。
ここでは、その集中力の基は「まなざしと声」にあるとの仮説をたて考えてみます。

まず、集中力を持つとはどういうことか。
一つのこと(もの)に焦点を合わせることです。
いわゆる一点に焦点を絞ること。
焦点を絞るには二つの方法があります。
・自ら焦点を絞る何かを持っている場合
例えば目的や目標のものを持って探している場合です。
これは集中しようと意図している(集中する一点を持っている)ので、今は置いておきます。
・自ら意図したものを持っていないのに焦点を絞ってしまう場合
例えば、急に物音(声)がした時、大抵は反射的に音(声)がした方に顔(意識)を向けます。
つまり、音(声)が振り向かせた=音(声)に集中した、音(声)を出した一点からこちらに音(声)が向かってきたといえます。

これをまなざしに置き換えてみます。
誰かのまなざしが自分の方にやってくる。だからそのまなざしに顔(意識)を向ける。
この誰かからまなざしを向けられる体験が意識を向け、それに注意し集中する基ではないかと考えます。
その最初は、やはり自らを世話してくれた対象(養育者=母)からではないでしょうか。
自らが意識しない時から、ただ一人の人から継続的にまなざし(優しく暖かいまなざし)を与え続けられたなら、それと同時に優しい声で語りかけられたなら、自ずとその声とまなざしの方へと顔を向け、意識を向けることでしょう。
つまり眼差しと声に導かれてその方へと意識を向けるといえます。

ここで特に重視したいのは、「ただ一人の人から」と「継続的に」です。
特に「ただ一人の人から」というのはそのまま一点(光源)に通じると考えるからです。
また多数いると、目移りしてしまって一点に絞れないでしょう。
集中する=一点に焦点を絞ることですから。

この繰り返しが身体に刻印され、やがて集中力へと繋がってゆくのではないか。
つまり、ただ一人の人から継続的に眼差しと声を向けられ続ける体験が後の集中力の基となると考えるのです。


2015年02月18日(Wed)▲ページの先頭へ
405)社会で生きやすいためには母が必要
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「社会で生きやすいためには母が必要」 について書きます。

社会は言語が基本となって形成、運営されています。
私たちは共通言語を基盤として、互いの意志疎通を図り日々生活しています。
ですから社会の中で生きていく上で、言語は必須のものとなります。
逆にいうと、言語を使って自らの意志や考えを他者にスムーズに伝えられるなら、より生きやすいと考えられます。
そのためには母の存在が必須であり、重要だということを考えてみます。

すべての人は母から生まれる。ゆえに母が大好きだし、最初の愛の対象だと仮定します。
そして母が居るからこそ、その母を求めて声を発する。
たいていは「ママ」、自分の世話をしてくれている対象=母を呼ぶ声ではないでしょうか。
そしてその母は、それまでずーっと自分に語りかけてくれていた人です。
言葉を発する最初は、愛の対象であるわが母に対してだと考えられます。
このようにして、自分に向かって語りかけてくれている人の言葉を徐々に自分のものとしていくようです。

ここで、疑問が湧いてきます。
言葉を覚えるためには、母が居なくても言葉を語りかけてくれる環境があればいいのでは?
そうかもしれません。
環境があれば必要に迫られて覚えるものだということも事実でしょう。
ただ、複数の人から話しかけられるより、ただ一人の人との環境の方がよりその効果は大きいのではないでしょうか。
特に初めて言葉を覚える子どもにとっては。
例えば、大人が違う言語を習得する場合を考えてみてください。
多数よりもマンツーマンの方が、そして何よりもその人に対して信頼や好意をもてるなら、より効果が期待できると思うのです。

この観点から、言葉を自分のものとして自在に使えるためには、ただ一人の人が常にそばにいて世話をしてくれる環境の中で、そのただ一人の人から語りかけられること。そしてその人に対して信頼や好意をもてること。
ここでは、母から世話を通して語りかけられる環境がより好ましいと考えます。

自らの意志を他者に伝えるための言語を自在に使えることは、社会での生きやすさに繋がる重要な要因だと考えます。
この意味において、その原初において、ただ一人の人から世話をされ、語りかけられる環境がより望ましいと考えるのです。
そしてそのためには母が最適な人だといいたいのです。


2014年11月25日(Tue)▲ページの先頭へ
399)受容体験は生きるエネルギー
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「受容体験は生きるエネルギー」について書きます。

受容するとは文字通り「受けて容れる(取り込む)こと」。
今の自分のありのままを判定されることなく、改変されることなく相手の中に取り入れられることを意味します。
前回のブログ「ありのままの子どもを認める」でも書きました。
この受容体験をすることが、生きるエネルギーとなることをクライアントから教えられました。
受容されて初めて生命を与えられる。
受容されなかったならば、その先にあるのは「死」だとも教えてくれました。

一方、この受容体験は自発性や自主性を育て、主体性を持つことにも繋がります。
人は幼少期から自発性を持ちます。
例えば、乳児が母の持つスプーンに手を伸ばします。
それを自分で掴もうとする自発性だといいます。
そしてその自発性を受け容れられたら、次第に自ら意図して掴もうとする自主性が出て、その繰り返しが主体性を持つことに繋がるとされます。
失敗することも許容し、受け容れられる体験が成長を促すともいわれます。

失敗するとそれを許容されず、すぐさま修正され、改変されてしまうと 自発性を潰し、自主性も主体性も学ぶ機会を奪われることになります。
これが続くと、やがて主体性を根こそぎ奪われてしまうことになります。
その結果、何もやる気も湧かなくなることでしょう。
それを、あるクライアントは「その先には死しかない」と表現しました。
このように受容体験がないと「生きる意味がない」「死んでしまいたい」「消えてしまいたい」と考えるようになると教えてくれました。

逆に、受容体験は人に生きるエネルギーと生きる意味を生み出すエネルゲンだと教わりました。

ただあるがままを受け容れられる体験、これが人を活かし、生きるエネルギーへと導く。もし、違っていたり、不都合なことがあるとしたら、気づいた時点で自ら修正、改変していくことでしょう。その知を誰もが持っている。その知が動き出すのを見守り続けることが、人を育てる方法でもあると 考えています。

地球におけるマグマのように、人の精神の内奥にもマグマに相当するエネルギーがあると考えたのがフロイトです。
そのエネルギーを「リビドー」、その貯蔵庫を「エス」と名付けました。
全ての人の精神の内奥にあるエネルギーを存分に活かす体験、それが受容体験だと考えます。

対人関係をスムーズするために、このエスからのリビドーを過剰に抑え込んでいませんか?
誰よりも自分が悪いものであると決めてしまっていませんか?
大切なことは抑え込むことより、うまくコントロールして活用することだと言いたいのです。
その一つの方法がここでいう「受容体験は生きるエネルギー」です。

シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
Twitter https://twitter.com/rakuhomanamiも参照ください。


2014年11月17日(Mon)▲ページの先頭へ
398)ありのままの子どもを認める
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「ありのままの子どもを認める」について書きます。

子どもの言動を認め、受け入れる(肯定する)ためには親の心の中にある理想像を捨てることです。
そうすれば、子どもは今の未熟な自分を認め、もっと成長したいと願い、努力することを学ぶことでしょう。

親は自らの経験を基にして、子どものために良かれと思って様々なことを教えようとします。
そして、子どもは親のその期待に応えようと思っています。
それは親が喜ぶことであり、自分の存在が肯定されることにも繋がるからです。
一方、子どもも未熟ではあるものの、成長と共に自分の意志と欲望を持ち、主張するようになります。
それが、親子間に葛藤をもたらし、軋轢やバトルを生じさせます。

親は子どものためを思ってと言い、子どもは親は解ってないと言います。
兄弟姉妹や同級生、近所や親戚縁者の子どもと比較して言うかもしれません。

では、なぜ親はあるがままの今の子どもを認めようとしないのでしょうか。

一番大きな要因は、何よりも親の中にある理想の子ども像との比較ではないでしょうか。
我が子はこうあって欲しいと思い描く理想の子ども像と、今の現実の子どもとを比べている。
だから親は決して現実の子どもに満足することができない。
理想はあくまでも想像、空想のイメージですから、現実とはかけ離れているのが通常です。
ですから、現実の子どもはどんなに努力しても届くことは不可能に近いでしょう。
このような理想のイメージと子どもは日々闘っていることになります。

このような状況では、子どもはいつか疲れ切ってしまいます。
子どもだけではありません。
理想を追い続ける親の方も疲弊してしまうでしょう。
親子は理想のイメージに翻弄され、やがて本来の目標(例えば子どもの仕合わせ)さえも解らなくなってしまう危険性があります。
これでは悲劇です。

ここから逃れる方法は簡単、まず親が理想を捨てることです。
ここでいう理想を捨てるとは、理想を持ちつつもそれを子どもに押しつけることを止めることを意味します。
親が抱いている理想の子ども像を捨てると、きっと今ある生の子どもの姿がみえてくる。
子どもの長所も短所もみえ、短所を換えることよりも長所を活かす方を選択する希望が湧いてくる。
ここまでくれば、子どももありのままの自分を受け入れられたと実感することでしょう。

「ありのままの自分でいいのだ」
「自分は何をしたいのか、何ができるかを考えよう」

このように子ども自ら考えるようになるでしょう。
これを自発性といいます。
自発性は自主性を育て、主体性を持つ基盤ともいわれています。
『アナと雪の女王』が大ヒットしたのもうなずける気がします。
未熟で欠点だらけでもいい、ありのままの自分で生きていていいんだと思える。
それが子どもを認める、受容することだと考えています。

理想の子ども像を押し付けるのをストップしませんか。
そうすれば親子が共にあるがままを受け入れ、笑顔になることでしょう。

Twitterで日々つぶやいています。
アカウントはシニフィアン研究所楽歩愛真 https://twitter.com/rakuhomanami


2014年09月09日(Tue)▲ページの先頭へ
394)オールOKは母も子も活かす
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOKは母も子も活かす」について書きます。

あるクライアント(以下Tさんと称す)から是非伝えて欲しいと依頼がありましたので、紹介します。
それはタイトルにも書いたように、≪オールOK子育て法は育てる母も育てられる子どもも共に活かす方法である≫ということです。

Tさんが語った娘さんとの保育所入所をめぐるエピソードを紹介します。

娘さん(当時5歳)を保育所に入所させようとしたとき、普段無口な娘さんが大粒の涙を流したそうです。
それを見たTさんは「そんなに保育所に行くの嫌か?」と聞くと娘さんは小さな頭を下げてコクンとうなずいたとのこと。
それでTさんは保育所に入所させるのを断念し、家で娘さんと一緒に過ごすことにしたのです。
当時を振り返ってTさんは次のようなことを語りました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・内職をしていたので娘が保育所に行ってくれると助かると考えた
・娘の涙を見て、それほど嫌なら無理強いはやめようと決めた
・小学校へは行くだろうかとずいぶん心配した
・小学校入学すると、一転して毎日喜んで登校した
・それまでに心配は一気に吹き飛んだ

Tさんはこれらの体験から、
・幼稚園や保育所を嫌がっても無理に行かせようとしなくても大丈夫。
・毎日子どもの言う通りに過ごしていたら、必ず自分から積極的に行動するようになる。
・学校へも行かないのではないかなどの心配も一切無用。
・共に日々を楽しく過ごす方が、イライラすることも少なく 逆にどんどん成長していく姿を間近に見られて嬉しいと感じる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上からTさんは、もし自分と同じように子育てで迷っていたり、心配している人がいたら、心配は無用。子どもの心に、言うことに寄り添っていけば必ず親も子も共に活き活き生きられる。 オールOK子育ては母も子も共に活かす方法だ。このことを是非伝えて欲しいと依頼しました。

ちなみに、そのTさんの娘さんは高校卒業後、専門学校を経て競争率の高いと言われていた大手企業に就職し、現在も勤務しています。 専門学校も自らの意志で親に行かせてほしいと頭を下げたとのことです。あの無口で病弱で意志が弱かった娘が 、今のようになるとは当時は想像できなかったそうです。

これはほんの一例ですが、Tさんの強い意志のもと、≪オールOK子育て法は母も子も活かす≫ということを紹介しました。

少しでも共感できることがありましたら、今から実践してみませんか。
行動すれば何らかの結果がでます。それを基に次の行動がきっと見えてくることでしょう。

シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
サブサイト「精神分析的子育て法オールOK」http://signifiant-lab.com/raise/
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2014年06月19日(Thu)▲ページの先頭へ
385)子どものしあわせ―安全と安心
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「子どものしあわせ―安全と安心」について考えます。

子どものしあわせって何か?
それは、何よりも安全と安心の環境だといいたいと思います。

ここでいう環境とは、家庭内の環境を、子どもは、小学校入学以前の子ども、しあわせは、子どもが嬉しい、楽しいと感じることと限定して考えてみます。
そうすると、子どものしあわせとは、家庭内で嬉しい楽しいと感じる環境であり、それが安全で安心の環境となります。
では、子どもが嬉しい楽しいと感じるとはどういうことでしょう。
したい時にしたいことができ、したくないことはしないことが許されること。
つまり、その時その時のあるがままを認められ、受け容れられることではないでしょうか。
しつけという名のもとに、親の都合のよい子どもに仕立てあげられないことです。
あるがままを認められ、受け容れられるとはこのようなことではないかと思うのです。

こういうと、「それでは社会では生きていけない」「後で困るのは子どもだ」「わがまま気ままになる」「親として責任がある」などの意見が出てくることでしょう。
それらを承知の上で、あえて言いたいと思います。
なぜなら、後に安全と安心の場所を求めて彷徨っている多くの人たちに出会うからです。
お決まりの意見なんか聞きたくない、それくらい分かっている。
そんなことを聞きたいのではない、この気持ちを苦しさを理解して欲しいだけなんだ。
意見されず、操作されず、求められず、ただホッとできる場所、そんな居場所が欲しい。
このように心の奥底から叫んでいる人たちの声を聴きます。
そして、そんな人たちの幼少期の家庭内には、安全安心と思える環境が無かったことを知りました。

一方、様々な違いはあるものの共通していう言葉があることに気づきました。
「寂しかった」「分かって欲しかった」です。
そばに家族が居る、居ないに関わらずです。
「物質的環境は満たされていたが、心は寂しく満たされなかった」と語った人がいます。

成長して社会参入すると、あるがままを認められる機会は少なくなるのは必定。
それならせめて幼少期だからと許される時期に、たっぷり味わえる環境が必要です。
そして、大人になった時、その環境の再現を目指して自らの新しい家庭を持ちたいと欲望する。
まさしく安心と安全と感じられる環境である「家庭」を目指すことでしょう。
「家へ帰ってきたらホッとするなあ」
そんな言葉が漏れ出る環境、それが安全安心の環境であり、仕合せと感じる環境ではないでしょうか。

最初、小学校入学以前の子どもと限定して考えるといいましたが、幼少期の環境を再現する可能性が高いという意味において、年齢は関係ないと思います。ではなぜ、幼少期の環境を再現するのかとの問いには、人は知っていることしかできないと答えておきたいと思います。

子どものしあわせを考える時、まずは子ども自身が嬉しい楽しいと思える環境、あるがままを認められる環境を整えることだと言いたいと思います。

ご意見、ご質問はシニフィアン研究所 真道満喜までメール、電話 http://signifiant-lab.com/ 
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2014年06月17日(Tue)▲ページの先頭へ
384)万能感からの脱却
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「万能感からの脱却 」について書きます。
万能感からの脱却をすることは、成長の階段を歩む一歩でもあるといいたいと思います。

幼少期の子どもは、「大人は何でもできる」と感じているといわれます。
だから、「早く自分も大きくなりたい。」
「大人になって好きなことをしたい。」
この時、子どもは万能感を持ち、大人に同一化しているといいます。
それと同時に、同一化した自分も同じように万能感を持っています。
つまり、≪大人になったら自分は何でもできる≫と思っているのです。
だから子どもは、あれもしたい、これもしたいとの夢を抱くのでしょう。

このような「何でもできる」=万能感を抱くことは心の発達の観点からも大切なことです。
ところが、万能感はやがて打ち砕かれる時がやってきます。
親も決して万能ではないことを知るのです。
やがて、万能である大人に同一化していた自分も万能でないことに気づき始めます。
つまり、万能感からの脱却への一歩です。
それがやがて、万能でない自分=欠点のある自分を知ることにもつながっている 。

この観点からいうと、万能感を持ち続けているということは、自分の欠点を認めない。
自分に厳しい、欠点のある自分を許せない傾向にある。
それを他者に投影すると、相手の欠点を許せない、間違いを許せない、理想通りでない部分を認めようとしない、などなど。

ここから、自分も万能ではないと知り、受け入れることは、他者も万能でないことを認め許せることにつながる。
成長する過程の中で、万能感からの脱却は必要であると共に、多大なエネルギーを消費することでもあるでしょう。それは、一つの危機の時でもあるかもしれません。
が、それを受け容れた時、また一つ成長したといえるのではないでしょうか。
そしてそのようなことは、幾度となく直面することかもしれません。
ですが、成長という観点からみたとき、その都度向き合うことの大切さと成長の喜びもあると考えます。
精神分析はその一助を担っています。

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2014年06月11日(Wed)▲ページの先頭へ
383)オールOKの実践に必要なこと=「一貫性」
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOKの実践に必要なこと=「一貫性」 」について書きます。

オールOKの対応を実践する側に必要なことの一つ「一貫性」について考えたいと思います。
ここでいう「一貫性」とは、対応する側の一貫性を指します。
具体的にいうと、オールOKの態度で子どもに接する時の親の側の対応の一貫性です。
例えば、「ゲームしていい?」との子どもの問いかけに対して「いいよ」と対応すると決めた時、
今も、明日も明後日も「いいよ」と対応する一貫性のことです。
つまり、宿題よりも、食事よりも、睡眠よりもゲームを優先したとしても「いいよ」と対応し続けられる覚悟をもつことの「一貫性」です。

このように言うと、様々な疑問や反論が湧き上がってくることでしょう。
当然のことだと思います。
そして、オールOKの対応をすることの、親の側の膨大なエネルギー消費に圧倒されるかもしれません。確かにオールOKの対応をすることはエネルギーが必要だと感じるかもしれません。
ところが、実は反対なのです。

親も子も互いに省エネで、かつ満足できる方法なのです。

つまり「一貫性」を持つことは、至極省エネなことなのです。
なぜなら、子どもから要求が出たら何も頭を使わず、ただ「いいよ」と対応するだけでいいのですから。

もし「一貫性」を持って対応することが非常にエネルギーがいると感じるなら、それは頭を使って色々考えているからではないでしょうか。普段どれだけ頭を使って考えているか見えてくる気がします。
オールOKの対応は、頭を使って考えることではなく実践することです。
子どもから要求が出たら、敏速に的確に行動で応えること=実践です。
このように、一貫性を持ってオールOKの対応をすることは、親も子も共に疲れにくく、喜べる方法だと思うのです。

さあ、一度頭を空っぽにして、子どもの要求のままに実践してみてはいかがでしょう?
そして、味わってみてください。
ちなみに、味わうことも頭を使うことではないことはご存じだと思います。

実践に疑問がある方、質問のある方、共に学ぶ場も用意しています。
シニフィアン研究所のHP、講座を参照ください。
Twitterもどうぞ https://twitter.com/sindoumaki
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2014年05月26日(Mon)▲ページの先頭へ
380)基本的信頼感と愛着
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「基本的信頼感と愛着」 について考えてみます。

辞書によると以下のように書かれています。
「信頼」とは信じて頼ること。
「頼る」とは1.縁をもとめる。2.よりすがる。たのみとする。3.てづるとする4.心がひかれる。つられる。5.言い寄る。
精神発達論の観点からは、「基本的信頼感」が思い浮かびます。
基本的信頼感の形成には、オールOKで育てられる体験(環境)が基本であり必須です。
「愛着」とは、乳幼児期に長期にわたって適切な世話を受けることにより形成される母子関係を中心とした情緒的な結びつきを指します。

ここから、「愛着」と「基本的信頼感」の形成にはどちらもオールOKの環境が必須であることが分かります。
つまり、「愛着」がなければ「基本的信頼感」も育たないし、「基本的信頼感」がなければ「愛着」もないといえるでしょう。
ここで、ある人のエピソードを例に紹介します(本人の了承済)。

分析の場で、ある女性が語った言葉です。(要約)
・「人にできて自分にできないことはない」と、つい頑張ってしまいます。
・人に負けるのが大嫌いです。
・なんでも自分で解決しようとします。
・器用貧乏なんです。
・思い切りがいいと言われます。
・思ったらすぐに実行しないと気が済みません。
・整理整頓が好きです。

これらの語らいから、彼女自身が「基本的信頼感」や「愛着」を学習できていない可能性に気づきました。
何でも自分でやろうとするのは、意欲があるからではなく人に依頼できないから。
人に依頼できないのは、人を信頼していないからだし、その結果負けず嫌いで器用貧乏となった。
思い切りがよく、整理整頓が好きなのは、その対象に対して愛着がないから、平気で捨てられる。
つまり、自分は「基本的信頼感」や「愛着」を学習していない、体験していない可能性が高い。
このことに気づきました。

彼女の語らいが事実かどうかは分かりませんが、今の彼女には大した問題ではありません。
彼女にとって大切なことは、事実かどうかではなく、これらの気付きが彼女にある納得をもたらしたことです。
ある納得とは、彼女の言葉を借りると、「それまでの自分がストンと腑に落ちた」です。
つまり、過去の自分の言動に彼女なりの意味づけができたことが彼女を納得へと導いたいうのです。
彼女はそれまでの自分を知ったことで納得し、これからどうしていくかを自ら決定していくことでしょう。

「基本的信頼感」や「愛着」が学べる環境だったかどうかの是非よりも、今の自分の言動に自分自身の納得と理解(自分なりの意味づけ)を持つことが、これからの自分の人生を自分の意志で決定してゆくことへとつながることを彼女は教えてくれました。

そして、何よりもこれから子育てをする、あるいは現在している養育者の人たちに、「基本的信頼感」と「愛着」を育てることの大切さをより理解し、実践してもらいたいと願っています。

質問ご意見はシニフィアン研究所HPまでhttp://signifiant-lab.com/
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2014年05月15日(Thu)▲ページの先頭へ
379)オールOKは社会参入への第一歩
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOKは社会参入への第一歩」 について考えてみます。

前回、「母が子どもを欲望することが後に他者、社会へとその関心を向けていく基礎となる。」書きました。今回は、このことをもう少し考えたいと思います。
≪母が子どもを欲望する=子供も母を欲望する≫
これは母が自分に対して関心を持ってくれるから、自分も母に関心を向けるということです。
この逆は、ほぼ成立しないと考えてよいと思います。
つまり、子どもがどんなに母に関心を向けていても、母が子どもに関心を持たなければ、子どもはやがて母に関心を持たなくなるということです。

では、母が子どもに関心をもつのはなぜでしょう。
それは個人的な理由はさておき、その根底には子どもを通して自分の果たせなかった欲望(夢)を実現しようとしているからではないでしょうか。
例えば、「自分と同じ苦労を子どもにはさせたくない」
「自分がしたくてもできなかったから、子どもにはさせてやりたい」
などの表現がそのことを物語っていると思います。

この母の欲望が子どもに「何とか母の期待に応えたい。母の喜ぶ顔が見たい。」との欲望をもたらします。つまり、子どもは母の欲望に導かれ、母の欲望をわが欲望とし、社会で実現しようとする。
こう言ってよければ、≪子どもは愛着の対象である母の向こう側に社会をみている≫のです。

なぜなら母は、社会の中であらゆる希望や時には不満を持って生きていまるからです。
母は社会の中での果たせない夢を持っているからこそ、子どもを欲望する。
そしてその母の欲望が子どもを社会へと導く基礎となる。

以上から、母が子どもを欲望し(=関心を持つ)ことは、子どもが社会へと参入するための第一歩となると言いたいのです。
そして、子どもの関心を母に向けさせる基本がオールOKの姿勢なのです。

オールOKは子育てだけでなく、すべての年齢の人の心を成長させる基本です。
私たちは皆、子ども時代を経て大人になります。
その途上でオールOKの体験をどれだけしているでしょうか。
何かをきっかけとして、再度その体験をしたいと切望する時があるようです。
その時は、体は大人でも心は子ども時代に戻りたいと叫んでいるのです。
ですから、その人の年齢に応じたオールOKをすれば必ずまた社会の中へと出ていくことでしょう。


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2014年05月11日(Sun)▲ページの先頭へ
378)オールOK―母の欲望で子は育つ
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOK−母の欲望で子は育つ」 について考えてみます。

ここでは、≪母が子を欲望してこそ子どもの精神は成長する≫と言いたいと思います。

ここでいう「母が子どもを欲望する」とは、子どもに期待するという意味です。
胎教を含め、子どもに語りかけることです。
「〇〇ちゃん、将来このような子どもになってね」と言葉で伝えることです。
そうすれば、子どもは母の期待する子ども像になろうとするでしょう。
このことが大切なのです。
もちろん、ここには過剰な期待や過干渉、強制は含みません。

いつも書いているように、子どもにとって母は世界で一番の最初の愛着の対象です。
ですから、母の望み通りの子どもになろうと子どもなりに一所懸命なのです。
母の笑顔が見たいのです。
母の期待に応えようとする意志が、子どもを成長に導きます。
この母の思いに導かれ、後押しされて母へと関心を向けます。
そして、母のまなざしの中に自分への愛を見い出そうとするのです。
それが自分以外の対象へと関心を向ける基礎となります。

後に母へのその一途な思いは禁止され、その禁止によって母以外の他者へと関心を向け換えることになるといわれます。
このことが、ナルシシズムを乗り越えてゆくエネルゲンとなり、また母との間で結んだ絆を結べる他者を模索するエネルゲンともなると考えられます。

このような観点から、母が子どもを欲望することが後に他者、社会へとその関心を向けていく基礎となる。逆に言うと、社会への関心の度合いは、幼少期の子どもから母への関心と、母からの子どもへの関心の度合いを示唆するのではないでしょうか。

オールOKは、≪母が子どもを愛し、子どもが母に愛されていることの相互確認作業≫といえるでしょう。これなくして、子どもの心の成長はないと言いたいのです。

これから結婚し、子どもを持ちたいと考えている方、あるいはオールOK子育て、オールOK心育てについて関心を持たれている方は共に学びませんか。

詳しくは下記までお問い合わせください。
HPはhttp://signifiant-lab.com/
勉強会はhttp://signifiant-lab.com/#10
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2014年05月05日(Mon)▲ページの先頭へ
377)オールOK−思春期以前
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOK−思春期以前」 について考えてみます。

オールOKの基本は『要求が出たら、敏速に的確に行動で応える』です。
これは年齢は一切関係なく共通している対応方法です。
ただ、年齢によってその要求する目的の違いがあります。
かなり大雑把ですが、思春期以前と以降に分けて考えます。
今回は、思春期以前の子どもに対するオールOKの基本を書きます。

幼少期から思春期以前(小学校低学年)の子どもが求めているその対象は「母なる人(以下ママ)」です。そして、その子どもの主な要求は「世話して欲しい(ママに甘えたい)」です。
ここでいう世話とは、適切な眼差しとスキンシップと関心を常に持っていることを指します。
幼少期は当然、大人からの世話は必須です。
ですが、小学校にあがる頃には手が離れてくるので、親の心も離れがちです。
子どもは幼稚園、保育園、小学校という社会の中で、まだまだ分離不安を抱えながら通っています。
日々分離不安と闘いながら頑張っているのです。
逆に考えると、社会に触れた時、それまでの分離不安が一気に刺激されるのです。
そして、それに耐えられないと感じた時、その不安を解消したくなります。
それが様々な要求だったり、問題行動だったり、病気やけがです。

これが≪ママに甘えたい≫です。
「ママ見て」
「ママ聞いて」
「ママ抱っこして」
これらをストレートに表現できる年齢はせいぜい思春期まででしょう。
それ以後になると、子どもも親も抵抗を感じます。

このような理由から、思春期以前の子どもは要求の表現は分かりやすいといえます。
ですから、親の方も子どもの言う通りに対応すればよいのです。
子どもは様々な表現方法を使って親に訴えます。
親はそれらの事柄に振り回されないで対応することが大切です。
その要求や行動は、子どもがその時に考え得る最高の手段なのです。
それらを使って世話(甘え)を求めているのです。
子どもの言葉や行動に惑わされずに、少し距離を置いてみましょう。
そうすれば、それまでとは違った何かが見えてくるのではないでしょうか?
子どもはまず誰よりもママを見ています。
そして誰よりもママが大好きだということを忘れないでいたいですね。


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2014年05月04日(Sun)▲ページの先頭へ
376)オールOKは自己愛を育てる
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOKは自己愛を育てる」 について考えてみます。

ゴールデンウィーク後半真っ最中です。
この機会に夫婦で子育てについて語りあってみてはいかがでしょう。
夫婦の心が調和の和音を奏でていたら、子どもは心地よい音楽を聴いているようなものです。
それに子どもも加わって素晴らしいハーモニーを醸し出すことでしょう。
このような環境の中で自己愛は育ち、その環境をつくる方法が「オールOK子育て法」だと再確認したいと思います。

自己愛については以前にもブログで書きました。
自己愛の基本は三つ。
「自己肯定感」「自己価値観」「自信」です。
簡単にいうと「私にとってこの世界は生きている意味がある。」と言えることです。

オールOK子育て法は、まさしく世界を生きる意味があると言える環境を与えること です。
具体的には子どもの言うこと、すること、考えることすべてをまず聴く方法です。
この様に言うと、ほとんどの方は次のようにいいます。
「それってわがままになりませんか」
「将来子どもが困るでしょう」
「聞けることと聞けないことがあります」etc

否定しません。
ただ違いを説明します。
聴くとは、ただ耳を傾けるだけです。
その内容に正誤や判断、評価をせず、文字通り耳を傾けるだけを指します。
そうすると、出てくる言葉がたいてい決まります。
「そう、〇〇〇なの」
否定もせず、肯定もしていません。
これを聴くといいます。

相手からこのような応答がいつも返ってきたらどうでしょう。
自分の言葉が否定も肯定もされず、ありのままに相手に伝わった。
つまり、聴いてもらえた。
このように感じられるのではないでしょうか。
これを「受容」といいます。
受容された体験が後に、生きるって楽しい、嬉しいことがいっぱい、もっと楽しみたい、もっと嬉しいことをしたいとの好奇心を持たせ、行動へとつながっていくことでしょう。
そして、やがてこの世界は生きる意味があると感じ、思い、言えるようになるのです。
このように「オールOKは自己愛を育てる方法だ」と言いいたいのです。

ここでは子育てに絞って書きましたが、この方法は子育てや年齢に限らず、すべての人の心を育てる方法でもあります。
まず、夫婦で心を合わせて実践してみましょう。
そうすれば必ず結果がみえるでしょう。
反面、なかなか実践し続けることの大変さも感じることでしょう。
その時はこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/
共に学ぶ方法もあります。 http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11



2014年04月29日(Tue)▲ページの先頭へ
374)オールOK子育て法は自発性を育てる
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「オールOK子育て法は自発性を育てる」 について考えてみます。

子育てについてたくさんのクライアントから相談や問い合わせがあります。
その中で、オールOKすることの大切さや必要性がなかなか理解できなかったり、理解できても実践することが難しい、続かないとの声があります。
当然のことです。
なぜなら、ほとんどの人は自らの親からオールOKなどしてもらった体験がないからです。
逆に、親にオールOKすることが良い子だとさえ教えられてきた人も多いのではないでしょうか。
そこで、この「オールOK子育て法」について様々な角度から考えたいと思います。
まず今回は「自発性を育てる」について書きます。

自発性とは他からの教示や影響によるのでなく、内部の原因・力によって思考・行為がなされること。
このように辞書には書かれています。
特に子どもは未知のものに対して興味津々で、目を向け、手を出して触れたり掴もうとします。
それに対して周りの大人が可能な限り(命に係わること以外)その機会を奪わないなら、どんどん未知の世界への好奇心を育ててゆくことでしょう。
それが自発性を育てる環境だと思います。

身を持って体験したことはすべてその子どもの心身に貴重な記憶となって蓄積されます。
それらの記憶は後に類似の体験をした時に比較参照項とし、より的確な考えや判断を促す基礎となります。失敗も成功もすべて後の体験に活かされることでしょう。
一方、時には痛かったり、辛かったり、苦しかったり、怖かったりするかもしれません。
それらはいつか他の誰かと共に分かち合える事(共生・共感)にも繋がるでしょう。
このように、自発性は好奇心と相まって探究心へ、他者との共生・共感をも育てることになるのです。
そのことが社会とどのように関わっていくかの基礎にもなることでしょう。

思春期の子どもに直面した時、オールOKの対応は親の側に多大なエネルギーを必要とします。
なぜなら、対応する親は子どもの身体年齢と精神年齢のギャップについていけないからです。
つまり、身体は大人なのに心は幼児であることを受け入れようとしないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうしてこの大きくなった子どもに今更このようなことまでしなければいけないのか。
自分は親からこんなことまでしてもらったことなどない。
益々わがままにしてしまうのではないか。
こんなことで社会で通用しないのではないか。
よその親はこんなことしてなくても問題はないのに。
色々湧き上がってきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

オールOKは、まず自発性の学習をするための環境を整える方法なのです。
口出さず、見守り続けるなら、必ず自発性を学び、自ら判断行動するようになるでしょう。
その間表面的には見えなくても、内部では熟成しているのです。
そのためには時間が必要です。
親の側に必要なことはただ一つ『待つこと』それだけです。
一人では不安かもしれませんが、共に学び実践する場をもちましょう。
そのための講座もあります。

シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
精神分析的子育て法オールOK!http://signifiant-lab.com/raise/
不登校の子どもの母よりも参照ください。http://signifiant-lab.com/escape/


2014年01月30日(Thu)▲ページの先頭へ
365)自分を変えるために環境を変える
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「自分を変えるために環境を変える」 について考えてみます。

今までの自分とは違う自分に変わりたい時、環境を変えることで実現することを考えたいと思います。

今までとは違う新しい自分になりたいと考え、努力したけれど変えられなかった。
なぜ変えられなかった、変わらなかったのでしょう。
(自分の努力や技量や能力などは不問にします)

人は三つの自分(視点)を持っているといわれます。

「他者を見る自分」「他者から見られている自分=自分を見る他者」「それらを知っている自分」
これらを、
a)「他者を見る自分」=今の自分
b)「他者から見られている自分」=自分のことを知っている他者=他者が持っている自分のイメージ
c)「それらを知っている自分」=他者が持っている自分のイメージを想像する自分
このように置き換えてみます。

すると、今までの自分を変えるということは、これら3つのの自分を変えることになります。
つまり、自分を変えるためには3つの自分を変える必要があるということになります。

a)は書き換え可能です。
b)は、他者が持っている自分のイメージなので、自分では書き換えが難しいものです。
c)は、想像している自分なので、書き換え可能です。

このように考えてみると、一番難しいのはb)だとなります。
b)さえ書き換えることができたなら、自分を書き換えることはより可能となるでしょう。
相手の中の自分のイメージを書き換えるのは、難しいし、もしできるとしても多大なエネルギーを必要とすることでしょう。
逆に、自分を知らない相手と会った時はどうでしょう。
相手の中には、会った時からの自分のイメージが書き込まれます。
自分を知らない人の中に行けば、どんな自分からでもスタートできる。
つまり、環境を変えることで自分を変えることが可能となるのです。


「孟母三遷の教え」ということわざがあります。
故事ことわざ辞典によると、以下のように書かれています。
意味=子どものために、できうる限りよい環境を選ぶこと。
注釈=孟子の母子ははじめ墓地の近くに住んでいたが、幼い孟子は葬式のまねをして遊ぶのを憂え、市中に移り住んだが、今度は孟子が商売のまねごとをして遊ぶので学校の近くに転居した。すると今度は孟子は学習のまねを始めたので、孟子の母は安心してここに定住することにしたという故事から。「孟母三遷」とも言う。
また、「朱に交われば赤くなる」との慣用句もあるように、人は環境の影響を強く受けます。

このように、環境を変えることで自分を変えられるのなら、思い切って自分を取り巻く環境を変えてみるのも有用な方法の一つではないでしょうか。

自分を変えたいと考えている方、努力しているのに変えられないと悩んでいる方は、一度環境を変えてみてはいかがでしょう。
環境を変えるための決意があれば、可能となるのではないでしょうか。

シニフィアン研究所では、そのような方の相談もしています。
ご希望があれば、出張もします。
詳しくはHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/




2014年01月25日(Sat)▲ページの先頭へ
364)愛―母の笑顔が無上の喜び
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「愛―母の笑顔が無上の喜び」 について考えてみます。

子どもは母の笑顔が見たい。そのためにはどんな我慢だってする。
母の喜びは自分の喜び、母の仕合せは自分の仕合せと思う。
母がいつも笑顔で、自分の傍にいてくれたなら、、、、、
それは無上の喜びである。
それがすべての子どもの願いであり、仕合せである。
このようなことを考えてみたいと思います。

「あなたの喜びはわたしの喜び」
「あなたの仕合せはわたしの仕合せ」
このような表現を聞いたことがあると思います。
例えば、相思相愛の二人もそうでしょう。
愛し合う関係です。
これを鏡の関係といいます。

母が仕合せだったら、甘えられたのに、わがまま言えたのに。
母の笑顔が見たくて、冗談を言っておどけて見せた。
母が少しでも喜ぶように頑張ってきた。
母が仕合せじゃないのに、自分が仕合せになることはできない。
このように語った人達がいます。
これらは絶えることのない願いであり、子どもの心から片時も離れることのない想いです。
禁止されてもなお、心の深奥にくすぶり続けるやっかいなものでもあるようです。

母は何かを求めながら、未だ手にしていないと思ったから、
その何かを自分が与えたいと願う。
その母への想いが後に、他の人やものに置き換わっていかざるを得ないとしても、
心の根底では決して消え去ることはないといわれます。
この母への絶えることのない熱い想いを「愛」と呼ぶにふさわしい気がします。
もし、子どもが母にとって都合の悪い子だったとしても、
もし、子どもが反抗し、無理難題を突きつけたとしても、
もしかしたら、母への想いが届いていない、理解してくれていないとのメッセージかもしれません。
この想いが少しでも母に届いたなら、
そして、少しでも母が理解しようとしてくれたなら、
わたしはどんなに仕合せになることだろう。

母へのこの想いが、やがては他者への想いへと広がっていくなら、何て素晴らしいことでしょう。
あなたの喜びは、私の喜びであり、
あなたの仕合せは、私の仕合せとなる。
そして人はそれを「愛」と呼ぶでしょう。

あなたには愛する人が居ますか。
あなたを愛してくれる人がいますか。

最後にシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』の中のブルータスの言葉を引用したいと思います。

『シーザーが私を愛したので、彼のために涙を流す。
彼が仕合せだったので私はうれしい。
彼が勇敢だったので、彼を尊敬する。
しかし支配欲が強かったので、彼を殺した。』

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/


2014年01月21日(Tue)▲ページの先頭へ
363)自分のものになって初めて分かる
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「自分のものになって初めて分かる」 について考えてみます。

ある人から聞いた話から始めたいと思います。

========================================

先日、かねてより念願のWii U を買い、うきうきしながらあるゲームをしたのですが、ちっとも面白くなかった。そのゲームソフトはWii Uでしか楽しめないゲームソフトで、尚且つ遠い昔の二つのソフトを同時に楽しめるソフトだそうです。それが発売されてからずーっと欲しいと思い続けていた。ところが、いざ自分のものになって始めてみたところ、昔の感動が蘇ってこなかった。
そして、あの感動したかつての自分は今はもうないことに気づいたと言いました。

========================================

この彼の言葉を聞いて、フロイトのあるフレーズを思い起こしました。
それは「子ども時代はそのものとしてはもうない」です。

ここからは、私の想像です。

・そのゲームソフトは子ども時代にクリスマスプレゼントとしてもらった初めてのものだったこと。
・それらがコラボしWii Uでしかできない限定のソフトであること。
・発売されてから、何度も買いたいと欲望し続けていたソフトであること。

これらのことが、彼の想像の世界でどんどん膨らみ、やがてどうしても手に入れたい対象となったのでしょう。そして、何よりも親から自分のためにプレゼントされたということが、それらの想像を加速させたのではないかと考えてみました。
すると、そのソフトは彼にとって、子ども時代の喜び(親との楽しい思い出)の一つの象徴となった。
なぜなら、彼はそのソフトのことを『夢のようなソフトだ』と語ったからです。
長年の夢がやっと叶うとワクワクしていた彼の気持ちを想像してみましょう。
それはまた、幼少期の喜びの再現となるはずでした。
ところが、いざ自分のものになったとたん、どう感じたか。
かつての喜びの再現はそこにはなかった。
その語らいの表現が『あの感動したかつての自分は今はもうない』です。

このように考えてみると、
そのソフトが彼の熱い想いを引き寄せ続け、その実現にまで導いたのではないでしょうか。
第三者にとっては、彼ほどの価値をもたない「ただのソフト」かもしれません。
しかし、彼にとっては「何よりも手に入れたい夢のようなソフト」となり、10年以上も彼の心を虜にしたのです。つまり、そのソフトが彼を導いたことになります。
少し大げさかもしれませんが、ソフトが彼の欲望の原因であり、目標となったといえるのではないでしょうか。そして彼は知ったのです。そのソフトが自分にとってどのようなものであったのかを。また過去の自分と今の自分の違いを知ったのです。

想像の中の「ソフト」と現実に自分のものとなった「ソフト」の違い。
彼はそのソフトを我がものとするまでは、想像の世界に中を生きていた。
自分のものになってやっとそのソフトは『ただのソフト』になったと考えてみました。
だとしたら、きっと彼はそのソフトを手放すことでしょう。
ひょっとしたら、Wii U自体をも手放すかもしれません。
その後どうなったか知りたいものです。

以上のようなことを考えてみました。

どうしても手に入れたいものがありますか?
子どもが欲しがっているものはありますか?
もしあるなら、それを手に入れてみてはいかがでしょう。
子どもに与えてみませんか。
それが自分にとってどういうものであるかが分かるかもしれません。
二度と欲しがらなくなるかもしれません。
そして、それがある行動に駆り立てる原因だと考えられるかもしれません。

シニフィアン研究所の真道満喜(しんどうまき)のHPも参照ください。
やさしい精神分析講座はじめ、講座での出張の機会も増えてきました。
共に考えてみませんか。
http://signifiant-lab.com/


2013年12月13日(Fri)▲ページの先頭へ
358)プラス思考のために
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「プラス思考のために」 ついて考えてみます。

「プラス思考をするにはどうしたら良いのでしょうか?」
「どうすればプラス思考ができるのでしょうか?」
「前向きに考えるにはどうしたらいいですか?」
このような疑問に対してある人が次のように教えてくれました。

≪名詞の前にプラスの形容詞をつければいいんだよ≫

なるほど!
プラスの形容詞を思いつく限り、書き出してみることにしましょう。
嬉しい、楽しい、きれいな、温かい、柔らかい、優しい、さわやかな、可愛い、美しい、豊かな、気持ちいい、健やかな、落ち着いた、のどかな、晴れやかな、静かな、明るい、しっとりとした、優雅な、華やかな、緩やかなetc

これらの形容詞を前につけて会話をしたり、考えたりしたらどうなるでしょう。

例えば、プラスの形容詞しか使わずに会話する(考える)としたら。
相手や自分の欠点や嫌いなところは言えなくなります。
なぜなら、それらはマイナスの言語になるから。
必然的に長所や好きなところを見つけて会話する(考える)しかなくなることでしょう。
つまり、プラスの形容詞を前につけるということは、
結果的に相手や自分の欠点よりも長所を、嫌いなところよりも好きなところを意識するようになります。
このように考えていくと、確かにプラス思考になっていく気がします。
つまり、プラス思考しようと思うなら、
会話や考える時に、可能な限りプラスの形容詞をつければよいということになります。

まずは実行。
慣れていなければ、ついそれまで使っていたマイナスの言葉が出てきます。
それでもいいんだと、自分に言ってみます。
そして、プラスの言葉に置き換えて、声を出して言い換えます。
それを何度も何度も繰り返します。
そうすれば、いつかきっと書き換わり、
気づけば、「プラス思考」になっていることでしょう。

まずプラスの形容詞を書き出し、次に声を出して、自分の声を聞いて、
そうだそうだったと再度自分に言い聞かせる。
この繰り返しを体験してみませんか?

シニフィアン研究所では、このようなことも提案しています。
シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/



2013年11月25日(Mon)▲ページの先頭へ
356)自分だけの部屋の必要性
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

今日は、「自分だけの部屋の必要性」 について考えてみます。

思春期になると、大抵の子どもは「自分だけの部屋=個室」を欲しがります。
そして、それが個の確立の観点からも必須であるといいたいいと思います。

近年は核家族化、二世帯住宅などにより個室が多くなりましたが、まだ部屋をシェアする可能性があるかもしれません。同性の子どもの場合は特にその傾向があるでしょう。
あるいは、個室があっても鍵を付けない場合もあると聞きます。
「自分の部屋にこもってゲームばかりしている」
「何をしているか分からないから心配」など、個室の弊害を心配する家族も多いようです。
それは、誰のどのような心配でしょうか。
子どものことを本当に心配してのことでしょうか。
もしかしたら、親自身の心配ではないでしょうか。

特に思春期の子どもは、子どもから大人への過渡期だといわれ、
心身両面から言葉では表現しづらい何かが突き上げてくる時期です。
子ども自身にも訳が分からない時期だとされています。
いわゆる「疾風怒濤の時期」と呼ばれる時期なのです。
自分の中で一体何が起こっているのか、起ころうとしているのか、
心も体もざわつく時期です。

そんな時期には、周りの雑音に邪魔されず引きこもり、自分を見つめ、問いかけるようとする。
そして、それらのことは自分の胸に秘めておく。
また限られた人(親友など)にしか打ち明けない。
それらが「秘密を持つこと」になり、その秘密を持つことが自分と他者の間に境界線を引くことに繋がります。
そう、思春期は心身共に変化が一番大きく、秘密を持ちやすい時期なのです。
そして「秘密を持つこと」が必要な時期でもあるのです。
そのためには「安心して自分一人になれる空間と時間」が必要です。
それが「自分だけの部屋=個室」なのです。

それには条件があります。
・鍵がかかること
・声や気配が隣の部屋に漏れないこと
・広すぎず、狭すぎないこと(6畳くらいが理想)
以上の条件が整って初めて「個室」といいます。

ここで、「個の確立」とは何かと考えてみましょう。
私は私であり、他の誰でもないただ一人の存在である。
私と私以外の境界を明確に持っていることではないでしょうか。
つまり、自分と他者は違っていて当たり前だと思えること。
違いを肯定する観点から物事や他者を見ることができるようになることではないでしょうか。

それを部屋に置き換えたのが「自分だけの部屋=個室」です。
個室の壁は自分と他者を分ける境界線だと考えてみましょう。
すると、
個室がない=自他の境界線がない
自分がこう思う=相手もこう思っているに違いない
このように考えるのは飛躍しすぎでしょうか。

大人も時には誰にも邪魔されず、一人きりになれる空間や時間を必要だと痛感したことがあることでしょう。
子どもから大人への過渡期には、それが頻繁に起こる時期です。
その時間と空間をたっぷり与え、決して邪魔しないこと。
それが思春期の子どもに対する周りの大人の理解と配慮だと思うのです。

一方、リビングは家族や来客との交流を持つ場所となります。
個室は裸の自分とするなら、リビングは薄着の自分であり、家の外は上着を来た自分に例えられるのではないでしょうか。ここから着替えること、脱ぐことを学ぶことにもなるでしょう。
家族間であっても、互いの個室には無断で入らない、必ず声をかけるか、ノックをする。
このような家庭環境の中で育つならば、個の確立は必然的に学習するもののように思います。親、子、兄弟姉妹は家族であっても、それぞれ違った個の集合体であり、それぞれに境界があることを忘れないことが大切ではないでしょうか。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
思春期の悩みについてはこちらをどうぞ。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/


2013年10月26日(Sat)▲ページの先頭へ
354)好きなことの向こう側にあるもの
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

今日は、「好きなことの向こう側にあるもの」 について考えてみます。

好きなことの向こう側にあるもの、それは「私の喜び・仕合せ」ではないでしょうか。

「好きこそ物の上手なれ」とのことわざがあります。
故事ことわざ辞典によると、その意味は『どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ。』
注釈として『誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。
芸事は、無理して嫌だと思いながらやっても、成長はないということ。』とあります。(故事ことわざ辞典http://kotowaza-allguide.com/su/sukikosomononojyouzu.htmlより一部引用)

好きなことに対しては言うまでもなく、時間もエネルギーも惜しみなく費やします。
時には寝食忘れて没頭します。
そこには、努力も探究心も向上心も研究心も芽生えるでしょう。
それが結果的に充実した時間と感覚をもたらすことになります。
そして、嬉しい、楽しい、好きだ、仕合せだとの実感に繋がってゆくことになることでしょう。
その気持ちがより一層の努力と探究心、向上心、研究心を刺激する。
この正のスパイラルがどこまでも喜びと仕合せを生み出し続けるのだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

例えば、子どもに関する相談の中に「ゲームに夢中になって勉強をしなくて困る」というのがあります。
そのような場合にはまず、「それは素晴らしい」と言います。
なぜならその子どもには、夢中になれるエネルギーがあるのですから。
そのエネルギーの向かう先が、今は「ゲーム」だということです。
その先が勉強、スポーツ、習い事だと問題視しないでしょう。
だとしたら、問題とすべきことはエネルギーの向かう先ではないでしょうか?
あるいは、このように考えてみるのはどうでしょうか。
ゲームをするにも知識や知恵や技術が必要です。
ゲームを突き詰めればその先には際限のない未来が広がっているかもしれない。
だとしたら、しばらくはゲームに夢中になっている子どもを長い目で見守ってみるのも一つの方法かもしれない。
子ども自らがゲームの先に未来を見い出さなかったならば止めるだろう。
もし、何らかの未来を予感したなら、それを生かす何かを引き寄せるに違いない。
このような観点に立って子どもを見守れたなら、それまでとは違った見方ができるのではないでしょうか。

実例として、ゲームに夢中になるあまり、ゲームのキャラクター制作の道に進んだ人もいます。
またゲームクリエイターになった人、アニメ制作のスタッフになった人もいます。
彼らは「ゲーム」を通してその向こう側に、自分の喜びと仕合せを掴んだと言いました。

「生徒や学生にとって、勉学は優先すべきことである」との観点からは問題視されるかもしれません。
ゲームばかりしている姿を見ていたら、不安に思うことでしょう。
しかし、彼らの生き方も一つの社会参入の在り方だし、何よりも本人が喜びと仕合せを味わっていることが素晴らしいと思えるのです。
何をしているかよりも、どのように生きて(感じて)いるかが重要ではないでしょうか。
人は何よりも自分が好きなことをしている時が、一番イキイキ生きていると実感でき、喜びと仕合せを手にしている時だと思うのです。
その時、自ら自発的、積極的に必要なことを求め、学び、吸収し、活用することでしょう。
もし違っている所があるとしたら、それはある時期他の人と同じ道を歩まなかったということでしょうか。

これらのことから、夢中になれるものがあること、好きなことがあることは素晴らしい。
好きなことの向こう側にあるもの、それは「私の喜び、仕合せ」である。
そのように思うのです。

あなたには好きなこと、夢中になれることがありますか。
これだけは譲れないと思えるものがありますか。
それは誰の喜びですか。
あなたの喜び・仕合せですか。

シニフィアン研究所 迎意愛のつぶやきです。
ご意見ご感想、お問い合わせはこちらまでお寄せください。http://signifiant-lab.com/


2013年10月04日(Fri)▲ページの先頭へ
348)まなざしの意味
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。

今日は、「まなざしの意味」 について考えてみます。

視覚とまなざしは違います。
視覚は「光の刺激を受けて生じる感覚」と辞書にもある通り、一つの感覚です。
それに対し、まなざしは「目つき、目の表情、視線」とあり、相手のまなざしの中に、「意味」を読み取るといえるでしょう。

例えば、自分が何かを言ったとき、相手が
・笑顔になった=喜んでいる=私は好かれている
・無視した=怒った=私は嫌われている
・反応がなかった=どうしたんだろう=不安になる

このように、相手の態度や反応によって、そこに何らかの意味を読み取る。
読み取りの基準は、過去のデータ(経験値)との照合です。
そして、その始原はやはり養育者(母)との交流からだといわれています。
母が子どもの言動をどのように受け止め、語ったか?
いつもニコニコ顔の母が目の前にいたら、子どももニコニコ顔になる。
そして母が「〇〇ちゃん可愛いね、嬉しいね、楽しいね」と共に味わえたなら、きっと母と子はしあわせな気持ちに包まれることでしょう。
一方、いつもプリプリ顔の母が目の前にいたら、自分もプリプリ顔になりがち。
そして、母が「〇〇は言うこと聞かない悪い子だ、うるさい、あっちへ行け」と怒鳴りつけたなら、子どもは悔しさと悲しさのあまり泣きだし、暴れるかもしれません。
まるで母と子は、互いを映す鏡のようです。

お互いのまなざしの中に互いの笑顔や怒りを映し出す。
笑顔は二人に喜びとしあわせをもたらし、それが安心と安らぎへと繋がる。
怒った顔は二人に怒りや憎しみの感情を引き出し、恨みへと繋がるかもしれません。
このように、母と子はお互いを映す鏡の関係となります。
相手のまなざしの中に映った自分の姿を見つめ合っているのです。
これを「まなざしの交換」と呼びます。
仲睦まじい恋人同士の姿を想像すると理解できるでしょう。

この体験を基礎にして、その後の経験値を積み重ねてゆく。
そして、その膨大なデータをもとに、常に相手のまなざしの中に意味を読み取ろうとする。
同じ表情でも、人それぞれ読み取る意味は違っていることでしょう。
その読み取った意味は、誰の意味?
鏡の関係から考えると、、、
このように考えてみると、まなざしが怖いという人はそこにどんな意味を見い出しているのかが見えてくる気がします。
その人はそれまでどのような姿を映し出されてきたのかも想像できることでしょう。

笑顔は相手の中に喜びとしあわせ、安らぎをもたらし、それが鏡の像として反射して自分にも跳ね返ってくる。その結果、自分も喜びとしあわせと安らぎを感じる。
そんなまなざしの交換が互いの喜びを増幅させることとなる。
これが相思相愛の姿なのでしょう。

♪目と目で見つめ合い〜♪
「目は口ほどにものを言う」「目は心の鏡」「目は心の窓」
こんな歌詞と故事ことわざを思い出しました。

今回は「まなざしの意味」について考えてみました。
無意識に読み取っているまなざしの意味に注意を向けてみることも、新たな自分発見に繋がる方法だと思います。
ご意見、ご感想はシニフィアン研究所、迎意愛までお寄せください。
シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/



2013年05月19日(Sun)▲ページの先頭へ
339)「好き」を育てよう
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「好きを育てよう」について書きたいと思います。
ここでは、
≪好きなことがある≫ということがどれほど大切であるかを考えたいと思います。

ほとんどの人は少なくとも一度は
「自分は一体何をしたいのか?」との問いかけをしたことがあることでしょう。
これが、いわゆる≪アイデンティティー(自己同一性)への問いかけ≫です。
「自分とは何か?」
「何のために生きているのか?(生きる意味は何か?」
これらの問いかけは、主に進学や職業選択をする時(思春期)に発生します。

それらが明確に決まっている場合は、問題なく進んでゆくでしょう。
ところが、明確でない場合、立ち止まってしまう可能性が出てきます。
そして、その問いかけに何らかの答えが見いだせなかったとき
<アイデンティティー拡散>などと言われる事態が起こります。
ちょうど、身体的変化も伴って、イライラが募り、
様々な問題行動や心身の不調が起こりやすい時期であり、
統合失調症など精神病が発症する可能性が一番高い時期だともされます。
『疾風怒濤の時期』ともいわれます。
逆にいえば、
だれもが一度は通り抜けなければならない時期だともいえます。
この時期をうまく乗り越えてゆくために、
「好きなこと(もの)がある」ことが大きな助けになるであろうと思います。

例えば、テレビや雑誌などで、インタビューされた人が
「どうしてここまで続けてこられたのですか?」
「どうしてそこまでやるんですか?」
などの質問に対し、
「やっぱり〇〇が好きなんですよね」と答えている場面によく出くわします。

このように、好きなことに対しては
どのような艱難辛苦が待ち受けていようとも、決して引き下がらない。
立ち止まることはあっても、常に前進し続けることでしょう。
その根底で支えるものは、ただ「好き」これだけです。
まして、周りの評価や損得や将来性など関係ありません。
ただただ夢中で寝食忘れて没頭することでしょう。
その集中力には凄いものがあります。

では、その基礎には何があるのでしょうか。
ひとことでいえば、環境ではないでしょうか。
ここでいう環境とは、集中して没頭できる環境を指します。
どういうことかというと、
誰にも邪魔されず、中断されないということです。
その始まりは、幼少期だといいたいのです。
子どもはあらゆる物事に興味を示します。
それを大人の視点からの判断で邪魔しないことです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あるお母さんが、
「子どもがゲームに夢中になって勉強をしなくて困る。
ひどいときは、一日10時間もしている。
何度注意してもききません。これでは、先がおもいやられる。どうしたらいいのでしょうか?」
と相談に来られました。
お母さんの言うことに共感できる大人は多いかもしれません。
ですが、その時、そのお母さんに言いました。
「素晴らしい、それほどまでの集中力、意志力がある子どもさんなんですね」と。

今は、その好きな(興味がある)対象が「ゲーム」かもしれません。
それが他の好きな(興味がある)対象に移行した時のことを考えたらどうでしょうか。
その集中力、最後までやり通す意志力は、凄いものがあるのではないでしょうか。

私たち大人は、ややもすると目先の対象(こと、もの)に捕らわれすぎていないでしょうか?
対象に目を向けることも大切な一つですが、
一つのことに集中している「集中力」、
最後までやり抜こうとする「意志力」に目を向けることも大切だと思うのです。

一時期没頭していても、それが本当に興味の対象でないならば、
いつか必ず止める時が来るでしょう。
それを自らが身を持って体験することが、自分で判断し、決定する能力を育てることにも繋がると思います。
そのためには、「好き」を見守り、育てる環境が大切ではないでしょうか。
その代表的な養育方法が≪オールOK子育て法≫なのです。

オールOK子育て法についてはこちらを参照ください。
「精神分析的子育て法、オールOK」http://signifiant-lab.com/raise/
オールOK子育て教室、養成講座もあります。
シニフィアン研究所HPhttp://signifiant-lab.com/ 


2013年05月05日(Sun)▲ページの先頭へ
338)寄り添う心
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「寄り添う心」について書きたいと思います。

以前にも同じようなタイトルで書きましたが[175)寄り添うとは?を参照ください]
問い合わせの頻度が高いので、改めてテーマとして取り上げます。
ここでは、精神的に寄り添うことを中心に考えてみたいと思います。

誰かが傍に居ても、話をしていても、聞いてくれていても、
必ずしも寄り添ってくれていると感じられない場合があります。
一所懸命に話を聞こうとしているにも関わらず、
「寄り添ってくれない」と言う。
寄り添っているつもりなのに、寄り添ってくれないと言う。
どうして寄り添いたいとう気持ちが伝わらないのだろうと歯がゆく思う。
そんな体験はありませんか。

そんな時は、お互いが同じ気持ちでしょう。
≪どうして解ってくれないの!≫
このように叫んでいることでしょう。

街中で、ふと耳にした母と娘の会話を紹介しましょう。

娘「これ可愛いねえ」
母「じゃあ買ってあげるわ」
娘「そんなこと言ってないよ、ただ可愛いって言っただけよ」
母「可愛いと言うから、買ってあげようと思って言ってるのに、何よその言い方は。」
娘「ママはいつもそう。私は物が欲しいんじゃないわ。」
母「何が不満なの?買ってあげるって言ってるのに」
・・・・・・・この後の展開は想像してください。

どうしてこのような展開になったのでしょうか。
娘は何を言おうとしているのでしょう?
母は娘の何を理解できないのでしょうか?
娘の視点から考えてみましょう。

・≪言うことを聞いて≫
「可愛いねえ」と言ったのです。
買ってほしいとは言ったのではありません。

・≪共感して欲しい≫
「可愛いねえ」と言ったら、「ほんと、可愛いわね」と答える。
これを共感するといいます。
母が共感したなら、娘は「ママも自分と同じ想いなんだ」と思えたことでしょう。

・≪共有したい=一体感を味わいたい≫
母が共感することで、想いと時間を共有していると感じられる。
これは、母との一体感を味わうことと等価です。
他者との一体感を味わうことは、融合体験に繋がります。
融合体験は、至福の時や満足感、幸福感をもたらすことでしょう。

このように考えていくと、この娘さんの要求していることが見えてきます。
母との一体感を味わいたい、
母と満足、幸せな気持ちを共有したい。
物が欲しいのではない。
欲しいのは寄り添ってくれる母の心(喜びの共感、共有)であると見えてきたのです。

母の視点から考えてみると、また違ったものが見えてくるでしょう。
双方からの視点で見ていくと、それぞれの想い(心)が読み取れます。
このような視点からの勉強会もしています。
共に学び、考えてみませんか?

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
埼玉、和歌山でも順次講座を開催しています。http://signifiant-lab.com/#13


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「精神分析」は、薬物や催眠、暗示など一切使わず、相談者(クライアント)と分析家(インテグレーター)との1対1の対話や夢分析により、自分の無意識に気付き、コンプレックスを解消する信頼に基づいた方法です。
クライアントの自我は、様々な理由によって未成熟であったり、歪んでいたり、傷ついていたり、欠損していたり、不完全な状態で浮遊しています。それに確かな形と安定を与えることが精神分析(セラピー)です。その過程で、ありのままの自分でいい、自分は生きる価値があると自信を持ち、自己愛や自己決定力が高まっていくのです。
このように精神分析は、自己を知ることの喜びと成長をもたらします。インテグレーターはクライアントの援助者であり、伴走者です。また、クライアントの意志を大切にしますので、強制したり無理強いすることはありません。
自分の人生は、自分が書き換えてゆくんだ、との勇気と根気を持って歩むならば、必ず自己探求の喜びと幸せを自覚し、自らの意志で未来を切り開いていくことでしょう。




カレンダ
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