生き方

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。




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2014年08月04日(Mon)▲ページの先頭へ
392)自己愛の外に出る
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「自己愛の外に出る」について書きます。

「人は自己愛の傷つきを命がけで守る」
これは一つの真理です。
何よりも人は自己愛を傷つけられることを恐れます。
それを人は「心が傷ついた」「自尊心が傷つけられた」「名誉棄損で訴える」などと表現します。
自己愛を育てられた人は、自分の存在を肯定し、世界は生きる価値(意味)があり、自信を持ちます。
ですから、子育てにおいて、自己愛を育てることはとても大切なことです。
ここまでは、以前にも書いたことがあります。
今日はそれ以後のことを考えたいと思います。

自己愛を持った人のその後を考えてみたいと思います。
それは自己愛の外に出る という視点です。
このような表現が許されるとしたら、獲得した自己愛を捨てることです。
捨てるとは、持たない、つまり、自己愛という概念を持たないということです。
簡単にいうと「自己愛なんかどうでもいい」です。

自分に何らかの価値(意味)があるとかないとか、自信があるなしには一切関わらない。
ただ自分固有の楽しさと喜びと満足(=享楽)があるだけ。
それに価値も意味もその他の何ものも見い出さないこと。
あえていうなら、ただ楽しい、ただ嬉しい、ただそれだけ。

とてもシンプルです。
そんな視点を紹介してみました。

今日から7日まで関西へ出張します。
詳しくはHPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/


2014年08月03日(Sun)▲ページの先頭へ
391)素直に生きる
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「素直に生きる」について書きたいと思います。

この文章に主語と目的語を加えるとしたらどんな文章にしますか。
ここでは『私は私の気持ちに素直に生きる』を考えてみます。

実際にあった会話を紹介します。

______________________________________________________________________________________

1)子ども「今日は学校へ行かない」
母「どうして?」
子ども「だって行きたくないから」

この会話の続きを考えてみましょう。
どんな文章が浮かぶでしょうか。
その文章はあなた自身が言われてきた文章ではありませんか。

数年後の会話も紹介します。

2)子ども「そのうち電話が来るから」
母「え、どこから?」
子ども「〇〇会社から」
母「どういうこと?」
子ども「さっき面接を受けてきたから」

3)子ども「東京へ行くから」
母「え、いつ決めたの?」
子ども「今さっき」

____________________________________________________________________________

この子どもがどのように成長していったか、その母がどのように対応したかは想像できることでしょう。
子どもは、その時の自分の気持ちに素直に表現し、行動しました。
そしてその母も、想像できるであろう世間の風評を一切遮断し、子どもの素直な気持ちを受け容れ続けました。
その結果、多少の時間はかかりましたが、その子どもは自らの意志で決定し、社会の中に参入しました。
もちろん、今も自分の気持ちに素直にしつつ生きているそうです。

多くの子どもは親からの一方的な欲望を押し付けられ、自分の素直な気持ちを無視、あるいは排除されているのを知りました。
その環境の中で生きざるを得ない子どもは、自分の未来をどのように描くでしょうか。
人は自分が受けた辛苦の想いは、いつか必ずその相手に同じ想いを味わわせたいと願うことでしょう。
それを『復讐』と呼びます。
一方、自分が受けた喜びは、いつかお返ししたいと切望するでしょう。
これを『感謝』あるいは『恩に報いる』といいます。

どちらもいつか与えた人に返ってくるのです。
その悲しい最近の一例が佐世保の同級生殺害事件ではないでしょうか。

自分の気持ちに素直に生きられたらどんなに楽だろう。でもそんなことできない。そんなこと親が、社会が許してくれない。
そのように考えていませんか。
できないのではなく、やろうとしないのでは?
「できます」
あえてこう言いたいと思います。
自分の人生の主役は自分です。
いうまでもなく知っているでしょう。
知っていることと、やることは別のこと。
知っているなら、したいと思うならやりましょう。
「いつやるか?今でしょ!」
この言葉が流行語大賞(正確には今でしょ!)を獲得しました。
まず実行しましょう。
そこから新たな世界が動き始めるのではないでしょうか。

ここで紹介した子どもの例はHPでも紹介しています。
「思春期の悩み−引きこもり・暴力・摂食障害・リストカット」http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/


2013年12月16日(Mon)▲ページの先頭へ
359)認めたくない自分―抑圧
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「認めたくない自分ー抑圧」 ついて考えてみます。

フロイトは、無意識の中には意識から妨害されている何らかの力があると考え、そこから「抑圧」という概念を考えました。

ある人の話を通してこの「抑圧」について考えてみたいと思います。
あるAさんが語りました。
不思議なんですが、『米倉涼子』の名前がどうしても出てこなくて、代わりに『広末涼子』の名前が出てくるんです。
も一つあります。『富永』という名前の友達を思い出す時、なぜか『南方』と言ってしまうんです。

これを、フロイトの言う「言い間違い、度忘れ(錯誤行為)」という観点から考えてみるとどうなるでしょう。
『米倉涼子』と『広末涼子』は「涼子」つながりで『米倉』を抑圧していると考えられます。
『富永』と『南方』はひらがなにしてみます。
すると、「とみなが」と「みなかた」で「みな」が共通し、「か」と「が」が似ています。
このように考えてみると、Aさんが抑圧している言語が浮かび上がってきます。
それは「米」「倉」「富」「永」
これらを合わせて考えてみると『豊』という文字が透けて見えるようです。
つまり、Aさんは「貧しい自分」と感じている状況があり「そんな自分を認めたくない、受け入れたくないと感じていることが予測されます。
そして、確かにAさんが語った時期には、このように感じられる状況の中に居て、それを認めたくない無意識の働き(認めれば惨めな自分)があったようです。


このAさんの例のように、フロイトは、日常生活の中の何気ない言い間違いや度忘れなどの錯誤行為の中に「無意識」が現れ出ていることを発見しました。
これらの錯誤行為によって、「抑圧」された何らかの無意識が意識の隙間から顔を出していると考えたのです。

このような錯誤行為は、誰の日常生活の中にも多々見られるものです。
しかし、誰にでもあることだと気にも留めないのが通常でしょう。
でももし、自分の無意識に興味を持ったなら、これら錯誤行為に意識を向けてみることも一つの方法でしょう。
無意識の中には自らが認めたくない、知りたくないという何らかの力「抑圧」が働いていると考えたフロイトの解釈はとても興味深いのではないでしょうか。

ちなみに、Aさんはこのことに気づいた後、状況はすぐには改善しないながらも、心豊かに生きたいと決めたそうです。


自分を知りたい、無意識と言われるものに興味を持たれた方は共に学びませんか。
シニフィアン研究所のHPはこちらです。http://signifiant-lab.com/



2013年10月06日(Sun)▲ページの先頭へ
350)自分をコントロールする
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

今日は、「自分をコントロールする」 について考えてみます。

ある人が「自分をコントロールできない」と言っているのを耳にしました。
自分をコントロールするとはどういうこと?
自分の何をコントロールするのでしょうか。
たいていは、「感情」もしくは「行動」を指すのではないでしょうか。
「行動」は「感情」を元に表現されたものだとするなら、
「自分の感情をコントロールする」と考えて良いと思います。
そして、コントロールする必要性を求められるのは特に「負の感情」、例えば怒りや憎しみ、恨みなどが考えられます。

では、自分の負の感情をコントロールするとはどういうことを指すのでしょうか。
フロイトは「欲動は緊張の解放以外に帰着することはなく、逃避によっては達しされないものである」との意味合いのことを書いています。
欲動と感情とは同じではありませんが、外からの刺激に対して何らかの緊張が生じ、それがある感情を呼び起こしたと考えた時、その感情は開放することでしか、緩和されることはない、と読み替えてみます。

かといって、感情をそのまま出したら、対人関係はうまくいかないことは目に見えています。
子どもっぽい、わがまま、気ままだと受け取られてしまうことでしょう。
だから、負の感情は出してはいけない、押さえましょうと教えられがちです。
それが大人だ、できた人間だ、いい人だ、素晴らしいと褒められるかもしれません。
そうなると、益々負の感情は出せません。
いわゆるストレスと呼ばれるものが溜まり続けることとなります。
辛いです、苦しいです、爆発してしまいそうになります。
でも、我慢しなくちゃ、、、
いつか限界がやってくることでしょう。

他に回避する方法はないのでしょうか。
あります。
それは「言語化すること」です。
感情を、緊張をより適切な言葉に置き換えて相手に伝えること。
刺激からくる緊張を開放する=言葉に置き換えて伝えることです。
完全な解放はないかもしれませんが、少なくともある程度の負のエネルギーは開放されることでしょう。

以上から、感情をコントロールするとは、感情を抑えたり、書き換えたりすることではなく、適切な言葉に置き換えて伝えることではないでしょうか。そこから対話が生まれ、理解と解決へと繋がる可能性が開けると思うのです。

ふと耳にした言葉から「自分をコントロールする」ということを考えてみました。
ご意見などはシニフィアン研究所、迎意愛までお寄せください。
こちらです。http://signifiant-lab.com/



2013年10月05日(Sat)▲ページの先頭へ
349)時間と空間
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。

今日は、「時間と空間」 について考えてみます。

人は時間的・空間的存在だといわれます。
時間的存在であるとは、歴史的存在であること。
自分の人生という歴史がそこには存在している。
昨日までと今日、そして明日。これらが時間経過と共に繋がっていて、記憶としても連続したものだと思えること。ごく当たり前のことのように思っているかもしれないけれど、少し考えてみるとどうでしょう。

今日までの記憶が繋がって思い出せるかどうか。
昨日のことなら思い出せるかもしれないけれど、一週間前はどうだろう。一か月前は。一年前は。
このように考えてみると、どこかで繋がっていない、思い出せない記憶にぶち当たる。
歴史的、時間的に繋がっていることは、間違いないはずなのに、、、、
通常はこのようなことは、問いかけもしないし、疑いなどしないことでしょう。
時計、カレンダー、写真、DVDなどの記憶媒体によって確かめられもするから安心している。

空間に対してはどうでしょう。
私たちは自分の肉体も含め、平面的よりも立体的な世界に生きている。
だから空間的世界に生きていると思っている。
キャンバスに描かれた絵画を見ても、立体的な世界をその中に想像できる。
しかし、よく考えてみると、不思議な気もしてきます。
いつ、時間概念や空間概念を身に付け、疑うこともなく生活しているのでしょう。

マーラ―という人によると、
これらの感覚が形成されるのは、生後22か月〜36か月の間だとされています。
その時期になると、「あとでね」とか「また明日」を理解するようになるという。
生まれてから数年をかけてこれらの概念を理解できるようになってくるということになります。

当たり前のことのように考えているかもしれないけれど、
時として「心の時計が止まっている」とか「まるで昨日のことのように思える」「壁が迫ってきて窮屈に感じる」「空気に押しつぶされそうになる」などと言うことがあります。
もちろん、時計が止まっているわけでも、空間が狭くなっているわけでもありません。
その時、その人にとってはそのように感じられるということです。
このような経験は誰でも少なからずしていることでしょう。
時計が間違いなく時を刻んでいても、建物が通常動くことはないとしても、
人が感じる時間や空間は容易に変化し得るのです。
それほど危うい世界に生きているといえるのかもしれません。

今ここに居る、今この時を生きているとの意識をどれだけ持っているでしょうか。
日々の目の前の役目や役割に翻弄されているとはいえないでしょうか。
それは受身的な生き方のようにも思える。
自ら能動的にしているつもりかもしれないけれど、実は「仕方ないから」「しなければいけないから」との急き立てのようなものに追いかけられてはいるのでは?
自分がしたいことをどれだけしているでしょうか。
このように問いかけてみた時、時間的・空間的存在である自分を見失っているかもしれないことに気づくのではないでしょうか。

思い出せない記憶が多すぎるとき、それは「精神の骨粗鬆症」とでも言えるように思います。
時間的・空間的存在である人生という歴史をどれだけ充実していると思っているでしょうか。
充実しているとは、中身が詰まっていると言い換えることもできるでしょう。
それは、それまでの自分の歴史を豊かなものとして記憶していることでもあると思うのです。
消してしまいたいと思いながら生きてきた時間・空間と、忘れたくないと記憶してきた時間・空間を考えた時、内容はともかく、どちらが充実していると思えるかはいうまでもないことでしょう。

記憶と記憶の隙間は誰にでもあること。
その隙間を埋めたいと願うなら、精神分析という対話療法はおあつらえ向きだと思います。
何らかの理由によって、自分の心から追い出したり、深く埋めてしまった記憶を、自分主導で緩やかに思い起こす方法だからです。
知りたい、埋めたいとの気持ちを諦めない限り、時間的・空間的存在であることを理解し、その内容にかかわらず、きっと充実感を味わえると思います。

時間的・空間的・歴史的存在である私たち人間は、ややもすると日々の生活に追い立てられ、急き立てられ、そのことを忘れてしまっているのかもしれません。
今回はこのようなことを考えてみたかったのです。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。 http://signifiant-lab.com/



2013年02月13日(Wed)▲ページの先頭へ
325)自責・罪責感―自分を裁くのは自分
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「自責・罪責感―自分を裁くのは自分」について書きたいと思います。

自分が嫌になりました。
自分が悪いんです。
私の責任です。
自分さえ我慢すればうまくいく。

このような言葉をどれだけ語ってきたことでしょう。
すべては自分に原因がある。
時にそうかもしれません。
でもすべてではないはずです。
それでも、つい自分を悪者にしてしまう。
いつの間にか自分を責めている。
そして、自分に『ダメだ、これではいけない』と言い聞かせ、
どれほど罪責感に苛まれてきたことでしょう。

時には逆に
自分のせいではない、相手が悪いんだ。
と叫んでみても、やっぱり自分に戻ってくる。
まるでブーメランのように。
とうとう、そんな自分に愛想が尽きて座り込んでしまう。

一体、なぜこのような自責・罪責感に捕らわれてしまったのでしょう。
それは自分の中にある、もう一人の自分。
それらは、かつて親や周りの大人からの言葉だったかもしれない。
しかし、いつの間にか誰かを離れて(脱人格化という)
その言葉だけが自分の心の中に棲みついてしまった。
その言葉が、語りかける。
≪お前が悪い、すべてはお前の責任だ。≫
≪お前さえ我慢すれば、すべてうまくいく。我慢しろ。≫
≪ダメだ、ダメだ。もっと努力せよ≫
このように囁き続ける。

そんな自分の中の声は、すべて捨てましょう。
そして、自分に向かって言いましょう。
≪そうよ、これが私よ。こんな私だからこそ、私なのよ。≫
≪私はわたし、ほかの誰でもない。≫
≪こんな私かもしれないけど、こんな私でいいのよ。≫
まずは、自分の中のもう一人の自分に語りましょう。
まずは、自分で自分を許してあげましょう。

そうしたら
わがままで、自分勝手で、お調子者で、おっちょこちょいで、早とちりで、
目立ちたがりで、自己顕示欲がめちゃめちゃ強い。
だからこそ、ほかの誰でもない私。
こんな自分と和解しようと思う。
こんな自分を許してあげようと思う。
こんな自分だけど、「まあいいや」と微笑んであげよう。
こんな自分から出発しようと思う。

そう思えたら、心が軽くなった。
何だか頬が緩んできた。
笑いが込み上げてきた。
思いっきり笑った。
声あげて、お腹抱えて笑った。
涙が出てきた。
悲しくもないのに、嬉しくもないのに、なぜか涙が溢れてきた。
そして、自分に言った。
【おめでとう!ようこそ私。これからもよろしくね】

誰よりも自分を許さなかったのは自分。
誰よりも自分を裁いたのは自分。
誰よりも自分を責めたのは自分だった。
それに気づいたから、許してあげた。
もういいよ。
これからはお互い楽しもうね。
これからお互い嬉しいことを探そうね。

融けはじめた雪が、太陽に眩しく反射して、
私の心も解け始めた。

あなたは自分を責めていませんか?
自分が我慢すればよいとどこかで思っていませんか?
ふと足が止まった時があったら、一度問いかけてみませんか。

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
埼玉県を中心に全国へと発信しています。


2013年01月07日(Mon)▲ページの先頭へ
320)人の幸せを壊したくなる―呪怨(じゅおん)
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、希望が湧いてくることでしょう。

           
今日は、「人の幸せを壊したくなるー呪怨(じゅおん)」について書きたいと思います。

TVドラマの中で「ぶっ壊してやる」とか「ぶっ潰ししてやる」という言葉を聞いたことがあります。
大抵は、自分の思う通りにならなかった場合、その相手などに対して言うセリフです。
これと同じようなことが、現実の世界でもあります。
いえ、時として自分の心の中にも湧き上がるかもしれません。

「人が楽しそうにしていると、それをぶっ潰したくなる」
「誰かが幸せそうにしているのを見たら、その幸せをぶっ壊したくなるんです」
と、語った人がいました。
もちろん、実行はしていません。
そのような気持ちになるのだと言います。
そんな自分が嫌だし、ダメなことは分かっているのに、どうしても湧き上がってくるのです。
どうしてなのでしょう?

嫉妬心、それは誰にもあるでしょう。
攻撃心、それも持っているでしょう。
そんな生易しいものでは済まされません。
それを『呪怨(ジュオン)』と名づけました。
それほど凄いエネルギーなのです。

では、なぜそのような『呪怨』のエネルギーが溜まったのでしょうか。
それは≪排除された人≫だったからです。
幸せな場、楽しい場所から、何らかの事情で排除されてしまった人でした。
常に、幸せや楽しみを外から眺めているしかなかった人。
だから、人が楽しそうにしていたり、幸せそうな姿を見たら、
ぶっ壊したくなるのです。
それを実行しないために、その場から立ち去り、一人の世界に戻るしかなかった。
そして、超マイナス思考となり、引きこもるか、明るく振る舞うか、冬眠するしかなかったと語りました。
これらのことが明らかになった時、
その人は『呪怨』をある言語に書き換えました。
その時、その人には希望の光が見えたそうです。

このように自己に気づけば、書き換えることができます。
書き換えれば、それまでと違った何かが見えるのです。
世界が変わったと感じると表現した人もいます。
人生は何度でも書き換え可能だと思います。
年齢、性別、環境、生い立ちに関係なく、気付けば書き換え可能となる。
まずは自己に気づくこと。
そして認めること、受け入れること。
その先には、実行した人だけが味わえる世界が広がっていることでしょう。

あなたなら「人の幸せをぶっ壊したくなる―呪怨」をどのように書き換えますか?

興味を持たれた方は、シニフィアンア研究所のHPも参照ください。
http://signifiant-lab.com/

*明日8日〜10日まで関西出張です。
フリートークでもこのような対話をしています。
近隣の方、参加してみませんか。
携帯にご連絡ください。http://signifiant-lab.com/#8


2012年12月28日(Fri)▲ページの先頭へ
317)超マイナス思考からの転換―過去から未来へ
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「超マイナス思考からの転換―過去から未来へ」について書きたいと思います。

≪いつも過去の話から始まり、今で終わり、そこから先が無いね。≫
この言葉に衝撃を受けました。
そして、『超マイナス思考なのは、未来に背を向けて後ろ向きに歩いているからだ。』と理解しました。
だとしたら、プラス思考に切り替えるには、
『過去に背を向けて、未来に向かって歩けばいい。』と思い至ったのです。

肉体は生まれてから死に至るまで、時間と共に成長変化していきます。
ですから、未来に向かって前を向いて歩いていると考えていることでしょう。
ところが、心の中の身体イメージは必ずしもそうではないのです。
「どうして超マイナス思考になるのだろう。プラス思考、プラス思考と言っているのになぜ?」と不思議に思っていました。
そんなある日、
≪いつも過去の話から始まり、今で終わり、そこから先が無いね。≫
の言葉に出会い、納得しました。

未来はまだ何も書き込まれていない白紙の世界だと考えてみます。
そこには、ある種の緊張感はあるかもしれませんが、
希望とあらゆる可能性が広がって見える世界のはずです。
一方過去は、書き換え不可能な事柄で詰まっています。
もし「余白」があっても、そこは「余白」であり書き込みはできません。
そんな過去には「書き換えたい後悔」がいっぱいあるでしょう。
「あの時、あんなことがなかったなら・・・・・」
「あの時、違う選択をしていたら・・・・・」etc
逆に、数少ない喜びに必死でしがみついているかもしれません。

そんな過去を見ながら後ろ向きに歩いていたら、
未来という白紙に対して、今見ている過ぎ去った過去の後悔の絵図を投影してしまい
希望よりは不安が、可能性よりも心配が勝ってしまいかねません。
そして、そんな過去から目や耳を逸らしたり、閉じてしまったりしたくなります。
見たくない、聞きたくないと心が叫び、
その心が「どうせ・・・」という言葉に代表される「マイナス思考」を生み出し、
不安や心配が増幅してしまって、いつしか超マイナス思考となってしまうのではないでしょうか。
このように考えたら、
「プラス思考、プラス思考」と言い聞かせたとしても
書き換え不可能の過去を見ている限り、
希望や可能性を持ち続けることは至難の業だといるでしょう。

ではどうしたらいいのでしょうか。
簡単です。
過去を向いている体を、未来の方へと向き変えればいいのです。
そして一歩を踏み出せば、前向きに歩いていることになるのです。

するとどうでしょう。
白紙の世界が見えるではありませんか。
まだ何も書き込んでいない自分の世界です。
好きなように、自由自在に創造できる世界が広がって観えます。
この時、人は今という場に立ち、過去のすべては確定したものとして今を裏側から支えています。
過去は後悔ではなく、反省と未来への貴重な宝庫となり、経験に裏打ちされた人生という歴史となるのです。
それが未来へのエネルゲンとなるのではないでしょうか。
振り返るのは「過去」です。
決して「未来」ではありません。
私たちが見つめているのはいつも「未来」です。

2013年という新しい年を、前向きに歩いていきましょう。
2012年までのすべてを裏打ちした、新しい白紙のキャンバスです。
白紙の未来に何を描きますか?
そう考えるだけでわくわくし、身体の中からエネルギーが湧いてくることでしょう。

精神分析という対話療法により、自分の無意識に気づき、
自らの意志で自由に書き換えることが可能です。
詳しくはこちらを参照ください。シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
自分に気付くための講座や教室もあります。http://signifiant-lab.com/#11


2012年11月26日(Mon)▲ページの先頭へ
310)木村荘八―大震災と下町の風景
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「木村荘八―大震災と下町の風景―生きる意味」 について書きたいと思います。

11月20日放送の「開運なんでも鑑定団」で木村荘八21歳の油絵が紹介され、
その時の鑑定士永井龍之介氏が木村荘八について語ったことが耳に止まりました。
それは
「木村荘八は1923年の関東大震災後、二度と戻らない下町の風景を描くようになった」
という内容です。
木村荘八(以下荘八と呼ぶ)と下町の風景の関係を通して、『生きる意味』を考えてみたいと思います。

荘八にとって東京の下町の風景は、生まれ育った馴染みの風景であり、
関東大震災により失われ、二度と戻らない風景となってしまった。
それまでは、特別な思い入れがあったとの認識はなかったかもしれない風景。
それが完全に失われ、二度と見ることができないものとなってしまった。
どんなに復興しても、元の下町は二度と見られない。
それゆえ、絵や文字で表現するしかない風景となってしまった。
つまり
『失ってしまったがゆえに、欲望する対象となった』
荘八は絵や文字を描くという行為によって、再現する対象となった。
それが荘八にとって絵や随筆を描く意味=洋画家、随筆家、版画家として生きる意味となった

荘八にとって生きる意味とは、失われた下町の風景の再現であり、
それは元の下町ではないがゆえに、永遠に尽きることのない欲望の対象となった。

この荘八のように、『永遠に失ってしまったもの』があるからこそ
それをもう一度取り戻したいと欲望する。
その欲望を持つことが、その人にとっての生きる意味となるのではないでしょうか。

生きる意味がないと思っている人、
見つからないと考えている人、
生き方に迷っている人、
誰にも必ず『永遠に失ってしまったもの』があるはずです。
それを探しませんか。
そこにあなたの生きる意味を見い出せるかもしれません。

興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
精神分析という対話療法で『永遠に失ったもの』を知ることが可能です。
「私と精神分析」もご覧ください。http://agency-inc.com/analysis6/


2012年11月12日(Mon)▲ページの先頭へ
305)透明人間−幽霊(ファントム)になる
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「透明人間−幽霊(ファントム)になる」 について書きたいと思います。

「あなたにとって私って何?」
「私が存在している意味はあるの?」
このような問いかけをしたことはありませんか。

これらの問いかけに対して、他者から
「私にはあなたが必要だ」→「あの人には私が必要だ」
「あなたに居て欲しい」→「私はここに居て良い」
と言われた(思えた)なら、
自分の存在を肯定し、存在している意味を見い出すことができるでしょう。

ところが、話しかけたのに無視されたり、否定されたり、拒否されたり、途中で遮られたら、
自分の存在を否定されたように感じたり、
存在している意味がないと思ってしまう可能性があります。
少なくとも、語りかけた相手にとって、自分という存在は必要ない。
つまり、存在している意味はない。
このように感じてしまう。
そうすると
一気に自分の存在が透明になり、その場から消えたくなってしまう。
これが、ここでいう≪透明人間≫であり、幽霊(ファントム)です。

悩みを抱えた人たちの話を聞いていると
「消えたい(逃げたい)」「消えてしまいたい」「居場所がない」という言葉をよく聞きます。
それは
体はその場にあるけれど、その場に居る意味がない。
=透明人間=ファントム(幽霊)と等価であるといえるのではないでしょうか。

このように、「無視」「否定」「拒否」「切断」は、人を
透明人間=幽霊(ファントム)=人間でないものにしてしまう可能性があります。
そうならないためには
「肯定」「承認」「受容」が必要であり、
その前提として『よく聴くこと=傾聴』が大切だと言いたいと思います。

聴いてくれる場所がありますか。
聴いてくれる人がいますか。
透明人間になっていませんか。
幽霊(ファントム)になりつつありませんか。

シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
要請があれば、全国どこへでも出張します。
詳しくはこちまでお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/#8



2012年10月24日(Wed)▲ページの先頭へ
296)バラバラになる不安と恐怖
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「バラバラになる不安と恐怖」 について書きたいと思います。

何かが一つにまとまらない状態を「バラバラ」と言います。
辞書の中にも
『一体であるべきものが離れ離れになったり、統一されていなかったりするさま』
とあります。
この中の『一体であるべきもの』というフレーズに注目したいと思います。
何を言いたいかというと
『一体』の前提として『バラバラ』があるということです。

これを『私』に置き換えて考えてみましょう。
ここで、ラカンの『鏡像段階論』を思い浮かべてください。
私というまとまりを持った存在は、
「他者」という鏡(像&語り)によって構成されることを思い出していただけたでしょうか。

ここから考えると逆に
『私』という存在は『バラバラ』を前提としているという視点です。
つまり
『私』というまとまりは、常に『バラバラ』になるかもしれない不安や恐れを持っている、
そのように考えられるということです。
『私』は間違いなく、一人の存在であることを確認せずにはいられない。
それがなくなると『バラバラ』になるかもしれない。
そんな不安や恐れから
人は鏡に自分の姿を映さずにはいられない。

それが、例えば
常に鏡を携帯し、取り出して眺める
歩きながらショーウィンドーに映った自分の姿をチェックする
誰かに自分のことを注目してもらいたがる
自分のことを聞きたがる
人の目が気になるetc
このような行為へと人を駆り立てるのではないでしょうか。

この観点から、バラバラ殺人なども
自分がバラバラであることの行為化では?
とも考えられると思うのです。

長くなりましたが、
人は自分がバラバラになるかもしれない不安と恐れを抱いている、
だからこそ、自分を確認せずにはいられない、
その不安と恐怖から逃れるために鏡を必要とする、
『バラバラ』は『一体』とまさしく表裏一体であるとの観点から考えてみました。

ご意見、ご質問はシニフィアン研究所までどうぞ
http://signifiant-lab.com/
精神世界を「精神分析理論」で知る講座もあります。
要請があればどこへでも出張しています。


2012年10月17日(Wed)▲ページの先頭へ
291)自分が壊れてしまう不安や恐怖ーまとまりを持った自分の解体
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「自分が壊れてしまう恐怖」 について書きたいと思います。

日々、様々なクライアントと対話していて、気付いたことがあります。
それは『自分が壊れてしまうかもしれない不安や恐怖』です。
その不安や恐怖を安心に変えるためには、鏡像体験が必要であることを書きたいと思います。

「自分が分からない」
「自分がなくなってしまう」
「自分がバラバラになりそうだ」
「音を立てて崩れてしまいそうだ」

このように語るとき、
『まとまりを持った一人の自分』のイメージ(像)がバラバラになると感じている瞬間ではないでしょうか。
もっというと、まさしく
『自分が解体するかもしれない不安と恐怖』に直面している瞬間だと思うのです。
そして、
常にすべての人間に忍び寄っているといっても過言ではないように思えてきます。

人は、自分の思い通りに事が進まなかった時、
ふと立ち止まった時、
不安や恐怖が襲いかかってくる。
それは、自分がバラバラに壊れるかもしれない不安や恐怖と考えられないでしょうか。
そんな時、自分の姿を映してくれる鏡が欲しいとの衝動に駆られる。

それが例えば
人恋しくなったり、
誰かに電話やメール、話をしたくなったりする、
抱きしめてもらいたいと思う。
もし、そんな人が誰も居なかったなら
自分で自分を感じるしかない。
この観点から考えると
「自傷(リストカット)」「抜毛」「かきむしる」「暴れる」「叫ぶ」などは
自分を取り戻すための一つの表現方法だと思うのです。

あてもなく誰かにメールや電話をしないと居られない、
あてもなくさまよい歩くのも、その一つかもしれません。
誰かに、自分の姿を映してほしい。
解体してしまいそうな自分を、一つにまとめてほしい。
そんな必死の叫びのように観えてくる気がするのです。

思春期には特にそのような危機が訪れる時期だと言われています。
その時期までに、統一した自分というイメージ(鏡像)を持っているかどうか、
それを一番問われるのが、思春期なのです。
その時期を乗り切るためにも
幼少期から「まとまりを持った自分」という鏡像体験をする必要があるでしょう。

ここでは、バラバラになりそうな不安や恐怖は、誰にでもあること、
その不安や恐怖は、いつでも襲ってくる可能性があること、
そのような時には、一つにまとめあげる鏡が必要であること、
それを、フランスの精神分析医ジャック・ラカンは
『鏡像段階』と呼びました。

その鏡の役割をするのが≪精神分析家≫であり、その鏡像体験が精神分析(セラピー)なのです。

シニフィアン研究所ではそれらの理論に基づいた精神分析(対話療法)をしています。
詳しくはHPをご覧ください。
性癖、恋愛・夫婦問題の相談も受けています。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
非行、引きこもり、暴力など「思春期の悩み」のサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
「不登校の子どもの母より」のサイトhttp://signifiant-lab.com/escape/



2012年10月09日(Tue)▲ページの先頭へ
286)人間になるとは
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「人間になるとは」 について書きたいと思います。

精神分析的観点から、人間になるとはどういうことかについて考えてみたいと思います。
人間と動物の一番の違いは「言語を話すこと」だとよく言われます。
この「言語(言葉)を話す」ことについて考えてみましょう。

ラカンは、言語の世界を「象徴の秩序の世界(象徴界)」と呼び、
この言語の世界へ参入することを『象徴的去勢』を被ると言いました。
ちょっと難しいと感じますが、
私たち人間の世界では、この象徴的なものが優位を占めているともいえるでしょう。
例えば「紙幣」はその代表です。
(紙に「10000」と書かれていると、それは一万円の価値を持っていることになります)
そして、それが流通(通用)しているのは
その価値(意味付け)をその世界内の人が承認しているからです。

このように、言語も紙幣と同じように、象徴的なものだとする観点です。
ここから、
人間になるとは象徴界と呼ばれる「言語の世界」に参入することだと言いたいのです。
言い換えると、
人間であるとは、言語に代表される象徴秩序の世界に生きてゆくことを意味します。
また一方では、人は自らも象徴するように求められているとも言えるでしょう。
例えば
「何をしたいのか」
「何のためにそれをするのか」
「なぜ?」
「どうして?」etc
このように、これらの問いかけに答えるように求められているのです。

そして、これらの問いかけの前で立ち止まった時
人は悩み、迷い、とまどい、苦しみ、時には応えきれずに叫び、病にもなるのではないでしょうか。
人が生きるとは、
人間であるとは、
これらの問いかけに常にさらされ、答えなければならない
そんな世界の中に住んでいるといえるのではないでしょうか。

この観点から考えると
人間であるがゆえに
言語を話すがゆえに
悩み、苦しみ、病むのだといえるのではないでしょうか。

では、そもそも私たちは、どのようにして象徴界に参入してゆくのでしょうか。
このことについては、次回に書きたいと思います。

シニフィアン研究所では
勉強会や講座を通じて、人間について考えています。
興味を持たれた方は、お気軽いお問い合わせください。
シニフィアン研究所のHPhttp://signifiant-lab.com/
「私と精神分析」も参照くださいhttp://agency-inc.com/analysis6/


2012年09月15日(Sat)▲ページの先頭へ
274)自己を知る方法
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「自分を知る方法」 について書きたいと思います。

「自分とは」
「生きる意味とは」
「何をしたいのか」
「なぜ」
これらの問いかけを持った時
『精神分析』はおあつらえ向きだと思います。

求めるものは、もうすでに手にしている。
あるいは、自らのうちにある。
そのように言われます。
きっとそうなのでしょう。

では、それらを知るにはどうしたらよいのでしょう。
自分(のうちにあるもの)を知る方法とは?

人は自らの顔を知りたいときは、「鏡」に自らを映して見ることでしょう。
自らの心、考え、志向を知りたいときは
誰か(心を映す鏡)に語ることで知る方法があります。

自分の心のままに、口をついて出るがままに任せることで知ることでしょう。
フロイトは「自由連想」と言いました。
「自分はこのように思っていると思っていること」と、
それを「言葉にして語ったこと」が違う場合があります。
そんな時、人は
『こんなこと言うつもりじゃなかったのに』
『私、何言ってるんだろう』
『えーっと、忘れちゃった』
『あ・・・』と、思わず言葉を呑み込んでしまう。
突然、涙が流れてくる。
怒りが込み上げてくる。
このようにして、思ってもみなかった自分に出会う瞬間があります。

その時が、もう一人の自分に出会える瞬間ではないでしょうか?
それらは「無意識」と呼ばれるものです。
地下水のように流れ続け、通常は知ることはできないとされています。
そして、人はそれに翻弄されているとも言われます。
自分を知りたいと思うことは、
この得体のしれない無意識と呼ばれるもう一人の自分に向かい合うことだと言えるでしょう。
これを「無意識を意識化する」と言います。

意識化することで、それをコントロールすることができます。
無意識を自在に書き換えることができるのです。
操られている状態から、操る状態へ、
つまり、受身から能動へ
もっと言うと、
自分の人生を思うとおりに実現できるのです。

無意識はどれほどのものかは解りません。
でも、一つ知れば、また一つ知りたくなる。
まるで、解けなかった問題が解けた時のように、
長年の謎が解けた時のように、
永遠に尽きることのない喜びだと思うのです。

このように「自分を知ること」は例えようもない喜びだと思うのです。
そして、精神分析はその道標なのです。
自分を知ることの喜びに触れてみませんか。
自分という謎解きをしてみませんか。

シニフィアン研究所のHPはhttp://signifiant-lab.com/
交通費を負担していただければ出張もしています。
各種教室、養成講座もあります。
http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11
お問い合わせください。



2012年08月19日(Sun)▲ページの先頭へ
263)吉田沙保里・伊調千春の言葉
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「吉田沙保里・伊調千春の言葉」 について書きたいと思います。

レスリング女子55キロ級でオリンピック三連覇を果たした吉田沙保里が
テレビで何気なく言った言葉です。
『吉田には勝てないだろうな、と思った瞬間からもう負けている』(TVでの言葉だったことしか覚えていません)
これは、そのまま、すべての人に当てはまることだと思いました。

「気後れ」という言葉があります。
辞書には「相手の勢いやその場の雰囲気などに押されて、心がひるむこと。気おじ。」(大辞泉)と書いてあります。
まさしく、
吉田選手が言った言葉は、このことだと思います。
気後れすると、その時点で相手から後れている。
その気持ちが、もうすでに負ける方向へと向かっている。

相撲の世界でも、「引いたら負け」と言われます。
勝つ力士は、やっぱり前へ前へと攻めてゆくとのことです。

つまり、『勝つ』と決めること=言語化すること
「勝つ」と決めたとき(宣言したとき)から、勝利する道が拓けるのだと思います。
そして、
わが人生に勝利すること=自分に勝つこと
それはまず、決めること=言語化すること
次に、
それに向かって前へ前へと歩み続けることでしょう。
周りからの承認や賞賛のためにではなく
自らが決めたことに向かって前進し続けること。
このように考えた時、
まったく人生そのもの(生きるということ)だと感じたのです。

オリンピックを見て、感動するのは
メダルを獲ったからだけでなく、
選手たちの常に目標に向かって前進する姿に共感するからではないでしょうか?
「自分もこのような生き方をしたい」と、感じるからではないでしょうか?

伊調千春さんも語っています。
『「銀でもうれしくないです」とアテネのときに言って、そのことでバッシングも受けたんですけど、でも、あそこで「銀でよかった」と言っていれば、今、自分はここにいないと思うんですよ。だから、「負けて悔しい」という思いがあるときは、それ以上、また次へ行けるんですんね。「それでよかった」と満足してしまえば、もうそれ以上は行けないんですよ。自分たちの夢はやはり金メダルだし、格闘技というのは…ほかのスポーツもそうですけど、銀メダルは負けて取るメダルなんですよ。例えば陸上とか長距離だったら、銀メダルもうれしいかもしれないですけど、格闘技の銀メダルは負けて取るメダルだし、うれしくないんですね。だから、叶えたいです。オリンピックは、その夢を叶える場所だと思っています。』
(http://www.oaj.jp/interview/11_wrestling4/005.html より引用)

まず目標を決めること。
決めるためには、自分の欲望を知ることが大切になります。
精神分析に出会って、自分が何を求めているのかを知った人がたくさんいます。
興味を持たれた方は、シニフィアン研究所のHP
http://signifiant-lab.com/を参照ください。
思春期には特に大きな関心事となります。
思春期の悩みはこちらです。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/


2012年07月31日(Tue)▲ページの先頭へ
253)生きる意味を創り出す=私は、あなたのために生まれてきた
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「あなたのために生まれてきた」について書きたいと思います。

「何のために生まれてきたのか?」→「私は、この人のために生まれてきた」
このように断言し、まったくブレない人に会ったことがあります。
ここまで断言でき、それを実行し続けられるのはなぜなのだろうか?
その理由を知りたいと思いました。
彼女を知ってゆく過程で、その理由が理解でき、学びました。

人は、自分の姿を映し出せる人に出会った時、それを、自分の生きる意味として書き換えられる。

当時、その人(50代女性)が語った言葉を紹介します。
≪出会った時に、「私は、この人のために生まれてきたんだ」と思いました。
そして、今も、これからも、私はこの人のために生きていきます。≫

お互いが育った環境はまったく違ったようですが、
ただ一点、同じものがあると言いました。
それは
『親から見捨てられた存在だった』です。
詳細は避けますが、
共に親から忘れ去られ、必要とされなかったとのことでした。

その彼の姿に接した瞬間
彼女は「私はこの人のために生まれてきたんだ」と確信したと言いました。
それから心身両面において支えました。
まさしく、自分のすべてを投げ出し、彼のために捧げる献身そのものです。
言葉を変えて言うと
彼女は、彼の母に徹することを決意したのです。
ここが、彼女の素晴らしいところです。
単なる同情ではなく、
自らが求めていた
「母から世話されたい欲望」に気付き、「自らが母になり世話する欲望」へと書き換えたのです。
それが、自暴自棄になっていた彼女の、「生きる意味」となったのです。

そして、数十年後
彼は、彼女のその献身に感謝して、家をプレゼントしました。
彼は、彼女と出会って初めて「家庭」を作ったのです。
お互いがお互いの中に、自分を見出し
相手を喜ばせることで、自分も喜ぶ。
まさしく母子関係です。
もっと言うと、鏡の関係です。

このようにして、彼と彼女は互いに「生きる意味」を共有し合ったのです。
彼女の側からみれば、
親に見捨てられ、自暴自棄になっていた自らの姿を映す鏡(=彼)に出会ったことで、
生きる意味を創り出し、それまでの人生を書き換えた
と言えるでしょう。

いじめや、ストーカー、自殺、殺人など、
生きる意味を見出せず、暴力でしか表現することしか知らないニュースを見聞きし、
数十年昔に出会った彼女のことを思い出しました。
生きる意味を見出すには
自らの欲望を知ることから始まります。
それを知ったとき、初めて彼女のように生きる意味を持てるのだと思います。

精神分析は、自分の欲望を知る方法です。
興味をもたれた方はシニフィアン研究所までお問い合わせください。
http://signifiant-lab.com/



2012年07月21日(Sat)▲ページの先頭へ
245)女性のエネルギー
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は、「女性のエネルギー」 について考えていることを書いてみます。

「元始、女性は太陽であった」とは、有名な平塚らいてうの自伝の題名です。
著者と内容について詳しくありませんが、
この「元始、女性は太陽であった」のフレーズだけを拝借して
思うところを書いてみたいと思います。
これはまったくの私見であり、
今感じていることを書き連ねたもの(妄想)となるであろうことをお断りしておきたいと思います。

女性は男性と比べて体格的にも筋力的にも差があり
数値的に小さいとされるのが一般的です。
ですから、圧倒的に男性の方がエネルギーも大きいと思いがちです。
ところが、時折
まったく逆ではないかと感じるのです。
仕事柄、男性よりも女性と接する機会が多く
様々な問題や悩みを聴き続けていると
「女性のエネルギー」の方が強大ではないかと感じるのです。
そして、そのことに先人は気付いていたのではないだろうか。
だからこそ、それを制御する様々な掟やルールを作って
コントルールし、気付かせないようにしたのでは?
(ひょっとすると気付いていないのは私だけかもしれません)

そのように考えを進めていくと
女性が子をなすのは、そのエネルギーの爆発を制御する
自然界というか、神というか、宇宙というか
そのようなものの摂理ではないのだろうかと思えてくるのです。
そして、女性が子をなす方法を取らなくなったとき
その強大で、膨大なエネルギーはどうなるのだろうか?

女性のそのエネルギーは
「太陽」や「マグマ」のエネルギーに匹敵するのではないだろうか?
そのようなエネルギーを女性は秘めている。
それをいち早く察知し、危険を感じたのは
女性ではなく、男性だった?
だからこそ、女性を家庭に留め、
そのエネルギーを子を産み、育てる方へと向けたのではないだろうか?
掟や法を作り、制御するのは
男性よりも女性のこのエネルギーを制御せんがためではなかったのでは?

この視点から見た時
太陽=マグマ=原子炉
このような式が浮かんできたのです。
専門的なことは全くの無知です。
原子炉の制御が効かなくなった時どうなるか?
それは東日本大震災を考えれば予測できるでしょう。
原子炉は、そのまま女性の姿ではないでしょうか?

もし、女性が子どもを産むことを敢えて選択しなかった時
そのエネルギーの放出方法を持たなかったら
そのエネルギーの制御方法を知らなかったら
どのようなことが起こるのだろう?
日本の女性が様々な分野で注目されるようになってきているのは
その一つの現れではないだろうか?
このような妄想が駆け巡ってしまいます。

私も含め、女性の皆さん
私たちの裡に秘められたエネルギーに気付いているでしょうか?
コントロールできているでしょうか?
気付くのが得策かどうか、
ブログでこのようなことを書くこともどうかさえ解りません。
ただ、
逆にもし、このようなエネルギーがあるのなら
女性こそそれに気付き、それを制御し、活用することこそが必要ではないでしょうか?

これらは、私の頭の中に浮かんできたことです。
ご意見などありましたら、こちらまでどうぞ
シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
メール signifiant1@gmail.com



2012年05月27日(Sun)▲ページの先頭へ
208)竹内洋岳さんが日本人初の8千メートル峰14座完全登頂を達成
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
今日はニュースで知った以下の話題について書いてみます。

日本人初のヒマラヤ8000メートル峰14座完全制覇を目指していた登山家の竹内洋岳さん(41)が26日、最後の一座、ネパール北西部のダウラギリ(8167メートル)の登頂に成功した。竹内さんの健康状態は良好。1995年のマカルー(8463メートル)登頂から17年かけて、14座すべての頂上に足跡を残した。 14座完登。日本人で初めて竹内さんが達成した。26日午前0時45分(現地時間)に最終キャンプのC3(7400メートル付近)を出発。例年よりも雪が深い中、無酸素単独での約17時間ぶっ続けの登山で、午後5時45分、頂上に立った。強風が吹く頂上は、視界がきかない厳しい状況だったという。(中略)
竹内さんは、14座成功を区切りとしてスポーツとしての登山再興に尽くしていきたいと言う。「ここまでやって来られたのは登山が楽しいから。それを知ってもらうために私はまだ登り続けると思います」。14座を制覇し、竹内さんの挑戦はまだまだ続いていく。(2012年5月27日06時03分 スポーツ報知)

日本人としての偉業達成!
これまで挑戦した人もたくさんいた中、なかなか達成できなかったとのこと。
素晴らしいの一言に尽きますよね。

このニュースに刺激され、
「なぜ、人はこれほどまでに山に魅せられるのだろう?」
と、少し精神分析的観点から考えてみました。

母親に支配された人は、征服欲求を強くもつと言われます。
つまり、支配されたから今度は自分が支配したいとの欲求を持つことになるのです。
その行動化の一つが、山を征服するとなると考えられます。
征服したくても征服できなかった代償行為として、山の征服を目指し、登山が好きになる。
頂上に立った時、山を征服した満足と自然(=母)と一体になった恍惚感に浸ることができます。
その表現が「やっと達成した」「自然の懐に抱かれる」などです。
ところが、それは所詮「山」であって「母」ではないことに気付き、母への幻想としての征服であったと知ります。
そこで、さらなる征服を目指して次の山へと挑戦することになります。
これが飽くなき探究心といわれるものでしょう。

かつて、
「あなたはどうしてそこまでして山に登るのですか?」との質問に
ある有名な登山家(名前を忘れました)が「そこに山があるから」
と答えたのを思い出しました。
このように
冒険家は、そうした母への想いを意識に上らないように抑え込み(抑圧)、
その反対の行動をする方法(反動形成)を過剰に使う人といえるのではないでしょうか。
このような視点から見た時、
竹内洋岳さんはどうだったのだろう?知りたいと思えてきました。

なお、竹内洋岳さんの偉業に対して敬意を表すると共に、決してそれを誹謗中傷する意図は一切ないことを書き添えたいと思います。

シニフィアン研究所では精神発達論などの講座も開催しています。
興味をもたれた方はこちらのサイトを参照ください。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/#11




2012年05月16日(Wed)▲ページの先頭へ
118)自分が求めているもの
人は皆、自分が求めているものを知っている
ただ、
それが何なのかを知らない
だからそれを求めている

具体的な何かではない
お金や家、土地、名誉などのことではない
それらを通して求めているもの
それらの向こう側にあるもの

ひょっとしたら、
永遠に気付かないままなのかもしれない
だけど「知っている」
そうとしか表現できないもの
それを知っているからこそ
自分の身体を使って表現している

例えば
行動や病気、怪我などで
あるいは作品と呼ばれるものを創ることで

すべての人は知っている

ただ二種類の人がいるようだ
知りたいと探求し続ける人
そんなものは無いと否認、あるいは諦めている人

そんな観点から自分を見つめてみるのはどうだろう?
きっと、違った世界が観えてくるだろう
先人はこのことを
『難あって有難し』と言ったのではないだろうか?
自分に気付くチャンスだと
それを掴め!
そのように聴こえる

自分の求めているものに関心のある方、知りたい方

ご意見・ご質問・お問い合わせはシニフィアン研究所 むかい あいまで
http://signifiant-lab.com/


120)捨てること
全てを捨てることは、全てを手にすること
そして、全てを手にしていないことでもある

「捨てる」には、その前提として
「手にしている(持っている)」自覚が必要
言葉を換えて言うと
こだわりを持っていることに気付くこと

何らかの形あるものを持っているだけではない
これだけは譲れない、こだわっていること
これらに気付くこと

これが案外大変なエネルギーがいる
こだわりを持っていないつもりでも
実はたくさんのこだわりを持っている

それらに気付く一つの方法

すべてに「いいよ」「はい」と言えるだろうか?
言えないとするなら、それはこだわりをもっていると言える
こだわりとは
自分なりの意味づけを持っているということでもある
その意味付けが、他者と違っているとき
「いいよ」「はい」と言えなくなる

それらを一度、すべて捨ててみる
こだわりを持つことの是非をいっているのではない
自分がどのようなこだわりをもっているのかに気付く
その一つの方法をいっている
そして
気付いたなら
一度手放してみる
つまり、相手の意味づけに沿ってみる

そうした時
何を感じるだろうか?
何が見えてくるだろうか?
自分なりの意味づけが見えてこないだろうか?

捨てるとは、そのものと自分との間に距離(時空)を持つこと
すべてに距離を持つことは
すべてを選択できることでもある
全てを捨てられたなら、全てを手にすることができる
つまり
何ものをも選択できる自由を持つことでもある

一度捨ててみませんか?


シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/


2012年05月15日(Tue)▲ページの先頭へ
126)消えてしまいたい
「失踪したい」
「消えてしまいたい」

このように語る人達がいる

人はどのような時に、このように思うのだろう?
その場に居たら、恥ずかしい想いをする
相手に否定される
居ても居なくても同じと感じるetc

どうして、そのように思うのだろう?
共通しているのは
「居ても居なくても同じ」
と語る言葉を聞く

消えてしまいたい
失踪する
のは
自分という存在が
その場に居ても居なくても同じ
つまり
「その場に居る意味がない」
と思うから

自分がその場に居ることの意味を見出せないから
「居ても居なくても同じ」
「消えたくなる」
「失踪する」
となってしまう

客観的に意味があるとか、ないとかは関係ない
自分が、その場に居る事の意味を見出せるかどうか
それが重要となる

人は、意味付けることで生きている
何らかの意味づけができなくなった時
「消えたくなる」
「失踪したくなる」

あなたは消えてしまいたいと思ったことはありませんか?
存在する意味を見出せていますか?
意味づけをもっていますか?

共に考えてみませんか?
語り合ってみませんか?

興味のある方は
シニフィアン研究所 むかい あいまでどうぞ
http://signifiant-lab.com/


2012年05月14日(Mon)▲ページの先頭へ
202)19年清掃続けコロンビア大学を卒業
アメリカの名門大学、コロンビア大学で、19年間構内の清掃員をしながら授業料の免除制度を利用して勉強を続けた男性(ガッツ・フィリーパイさん52歳)が、13日、学士号を取得して卒業し、全米で話題となっています。
旧ユーゴスラビアで生まれ、32歳のとき、戦渦を逃れてアメリカに渡りました。
当時、英語が全く話せなかったフィリーパイさんは、コロンビア大学で清掃員の仕事を得たあと、授業料免除制度を利用して英語を勉強し、午前中は授業に出席、午後は11時まで掃除やゴミ捨ての仕事という生活を19年間続けた結果、このたび古典学の学士号を取得し、13日、卒業しました。
自給22ドルの中から故郷の家族にも仕送りもしているとか。
インタビューの中で「当たり前の事を当たり前にしただけです」と語り、                                           モットーは【幸せはポケットの中ではなく、心の中に】。次は修士号を狙いたいとして、このまま清掃員として大学に残り、勉強を続けるということです。 

NHKでこのようなニュースが紹介されていました。
みなさんはどのように感じますか?
素晴らしい!の一言ですよね。
名前を聞いた時
「ガッツ」さんの名前そのものだと思ったのは、きっと私だけではないでしょうね!


日本に居ると、「内戦」や「紛争」などと聞いても、身近な事だとなかなか思えないのではないでしょうか?
大変な状況であるからこそ、なお一層その意欲が湧いてきたのかもしれないとも思いました。
そして、あの有名なスティーブ・ジョブズの名言を思い出しました。
『Stay Hungry.Stay foolish.(ハングリーであれ、愚か者であれ)』
ハングリーだからこそ、それをエネルゲンとして突き進む。
例えば「なにくそ、負けてたまるか!」
そのようにしてハングリー精神が推進力となって、前進するパワーを生み出すのでしょう。

満たされている時は、欲望も湧きにくいと言えるでしょう。
自分には「不足している」「ない」と思うからこそ、「欲しい」と思う。
これを「欲望」と呼ぶ。
つまり、「ハングリー」の度合いが大きければ大きいほど
その求める欲望は大きくなる。
もし、欲望が持てないなら
もし、欲望が湧かないのなら
自分の中にきっとあるであろう「ハングリー」を探し出せば良いのではないでしょうか?
誰しも、すべてに満足している人はいないでしょうから。

日々の面談の中で、
したいことが見つからない
何をしたいのか分からない
と語るクライアントと共に「ハングリー」な部分を探しています。

シニフィアン研究所のHPも参照ください
http://signifiant-lab.com/
摂食障害・リストカットのサイトもあります
http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
トラウマのサイトはこちらです
http://signifiant-lab.com/trauma/


2012年05月12日(Sat)▲ページの先頭へ
136)扇風機おばさん
先日TVで「扇風機おばさん」と呼ばれている
韓国の女性の紹介を見た

詳細は省略して
彼女曰く
「整形依存症」になった結果
「扇風機おばさん」と呼ばれることになった

【キレイになりたい】
ただその一念で
ひたすら「シリコン」を打ち続け
果ては「サラダ油」まで全身に注射した
それほどまでして
【キレイになりたい】と考え、実行したという

彼女の『欲望』とは一体なんだろうか?
整形依存、変身願望、
歌手になりたいとも語っていた

芸能界で生きる人の中には
スポットライトを浴びたい欲望
眼差しを一身に浴びたい欲望
それは
【注目されること】

「扇風機おばさん」も同じではないだろうか?
【キレイになりたい欲望】
は達成されなかったかもしれないけれど
【注目される】
という意味では、彼女はすでに手に入れている

つまり
彼女の無意識の欲望は
【注目されること】

だとしたら
人は、自らの身体を傷つけてまでも
自分の欲望は必ず達成するものだと言える
(彼女は数え切れないくらいの手術をしている)

そして
彼女はまた日本のメディアに登場して
【注目される】欲望を実現したのである

ご意見・ご質問は
シニフィアン研究所<むかい あい>まで
http://signifiant-lab.com/


138)信じること
人を信じるとは?
文字通り、その人の言うことを信じること

行動を見て、言う事とすることが一致しているから信じる
一致していないから信じられない
というかもしれない

それは
人の言うことを信じたけれど、裏切られたことがあるからだろう
裏切られたことがなければ
その人の行動を見なくても、言ったことを信じるだろう
つまり
言行一致を見ないと信じられないという人は
かつて、誰かに裏切られたことがあったのではないだろうか?

人を信じることとは
その人の言うことを信じること
つまり
言葉(言語)を信じることでもある

言語を信じるからこそ
自分もその言語を使って、人と対峙する
そして
その人が語った言語を信じる
その人を信じるのだ

言語を信じられない人は
人に裏切られ、傷つき
『もう二度と人の言うことを信じない』
と心に決めた人だろう
それほど
裏切られ続けてきたのだろう

だから
人を信じない、言語を信じようとしない

「金は人を裏切らない」
「ペットは裏切らない」
と言うのだろう

人は言語を使って騙すこともある
言語一つのために「命」を賭けることもある
言語一つのために、人は死ねる
だけど
言語一つで、生き返ることもある
言語一つで、元気が湧いてくることがある
言語一つのために、立ち上がれる
言語一つで、どのような苦難をも乗り越えられるのだ

それほどの力を持っている
ならば
その言語の力を生かそう!
言語を疑うよりも、信じて生きよう!!人を信じよう!!

シニフィアン研究所はこちら http://signifiant-lab.com/
トラウマのサイトhttp://signifiant-lab.com/trauma/もあります


2012年05月11日(Fri)▲ページの先頭へ
139)否定は全てを無化する
「ダメ!」
と否定することは
否定したそのものが無くなる(=無化する)

例えば
「悪いことする手はダメ!」
と言えば、その手は無いものとなる
「悪い足ね、そんな足はいらない」
と言えば、その足は無くなる
「ウルサイ口だな、黙れ!」
と言ったなら、しゃべれなくなる
「あんたなんか要らない」
と冗談にでも言ったなら、その人は存在しないことになる

ましてや、影響力の大きい人から言われたなら、なおさらである
あっても無いに等しい
居ても居ないに等しい
否定することは無化することと等価となる

冗談のつもりで否定していないだろうか?
しつけと言う名の下に、否定していないだろうか?

お金が無いから手にできないのではなく
掴む手が無化されているから、手に入れられないのである
語る口がないから、欲しいと言えないのだ

それらは
否定されたから、あっても機能しない

あっても機能しないのなら
肯定すれば良い
褒めれば良い
承認・賞賛すれば、必ず動き出す

無化されて機能していないものはありませんか?
再度機能するようにしませんか?
お問い合わせは
シニフィアン研究所<むかい あい>までどうぞ
http://signifiant-lab.com/


143)不安を安心に変える
悩み苦しみの根源には「不安」が渦巻いている
それはどのような不安だろうか?

すぐに解決できないから?
困った事柄だから?
誰にも相談できないから?
助けてもらえないから?
どうにもできないことだから?
それも一因でしょう

しかし、実は
「不安の原因が何であるかはっきりしないこと」
「その不安の解消の道筋が見えないこと」
ではないだろうか?

例えば
近くで突然「ガサガサ ゴソゴソ」と妙な音がする
誰もが一瞬「ギョッ」とするだろう
「何だ?!暴漢か?獰猛な何かか?」etc
緊張のあまり、体は戦闘態勢になることだろう
しかし、その原因が「猫」だったら?
「なーんだ、猫か!脅かせやがって!」
と、ホッとするだろう

つまり
「ガサガサ ゴソゴソ」の原因が「猫」であり
それは自分に危害を加えない動物であり
万が一、飛び掛ってきたとしても
とりあえず、何とかなるだろう
と、原因と対処の道筋が見える
だから「不安」は「安心」へと変わる

このように
すぐに解決できなかったとしても
助けてもらえなかったとしても
相談できない状況だったとしても
原因が解り、それを解決するための道筋が見えたなら
きっと、不安は軽減する
あとは
その道筋に従って、努力するだけだから

言葉を変えて言うなら
「不安」を言語で名づけられたら
とりあえず「安心」に変わる


不安があるなら
まず「名づけ」ましょう
その方法の一つが
【精神分析】です

シニフィアン研究所<むかい あい>
までお問い合わせください
http://signifiant-lab.com/


147)女性化する男たち
男性がどんどん女性化している
そんな気がするのはメディアの影響?
否、それだけではない
周りを見回しても、日常茶飯事に目にする

そもそも「性」は身体的性別とは別に、後天的に獲得するもの
それをジェンダーとも呼ぶ
その是非はともかく
どうしてこんなにも女性化する傾向にあるのだろう?

そもそも「女性性」とは?
一口で定義するのは難しい
「女性は存在しない」
「性関係はない」
との言説もあるくらいだから

とりあえず
外見的にも、精神的にも「女性っぽい」と多数が見なす
と考えてみることにしよう
どうしてそのようになるのだろうか?

それは
多くの女性も男性も共に【優しい人=母なるイメージ(母性)で包み込んでくれる人】
【甘えられる人】
そんな人を求めているからではないだろうか?
「甘えさせてくれる」
「優しく包み込んでくれる」
「何でも許してくれる」
「自分の思うとおりにしてくれる」
これは「母性」

「父性」ではない
父性は何よりも【言語化できること】が必須
そして、統率力、指導力なども持っていること
それらによって導き守ることが「父の優しさ」だろう
マッチョなど、見かけはさほど重要ではない

こうして考えてみると
多くの女性が男性に求めているのは
【母性の優しさ】だと考えられる
どこにも【父性の優しさ】など見られない
だから男性は父性を求められないことになる
そこにあるのは、収入と子ども

ゆえに
男性はどんどん女性化の方向に向かって進むのではないだろうか?
女性たちよ、もっと父性を持った男性を求めよう!!
そして
女性たちよ、もっと賢明であれ!!
そのように叫びたくなる

シニフィアン研究所の『女たちよ賢明であれ(随時更新中)』も参照ください


148)男性化する女たち
前回は「女性化する男たち」のタイトルでアップした
今回は「男性化する女たち」を考えてみたい

最近の女性の活躍は言うまでもないことだろう
「なでしこジャパン」始め、様々な分野で女性が活躍している
男女共生は当然のようになっている
女性も社会での生きがいを求めるのは
至極当然の成り行きなのかもしれない

遠い昔は男女の役割は歴然としていた
つまり
男はその腕力を活用し、外に働きに出かけ、家族を養う
体格や力に基づいた役割分担だった
一方
それらに劣る女は「出産と育児」=子孫繁栄を担っていた
それが最重要な役目だと考えられてきた

女性は「子ども」を産み出せる
それができない男性は
社会の中で物や金を産み出してきた
このような観点から考えてみると
社会は「子ども」を産み出せない男たちの一つの場と考えられる

その場に、女たちが参入してきた
「家事育児だけが女の生きがいではない」
「女だって社会で生きがいを見出す権利がある」
そして、いつの間にか
家庭だけではなく、社会も女たちに乗っ取られそうになっている
男女平等が職場も社会も平板化してしまった
差異が不鮮明になってきた

かつて
「家庭という場は、妻主導が平穏にゆく。社会はまだまだ男社会だ」
と言って、安心していた男性が
今やその社会の場も女たちに侵食されつつある
家庭での主導権を譲り渡したことが
社会の中でもその主導権を奪われそうになっている
その事の是非はとまれ
女たちは言う
「あなたがしっかりしないから、仕方なく私が前に出てるのよ」と!
必ずしも腕力を求められる社会構造ではなくなっていることも
その一役を担っているだろう

この差異の平板化が
精神の平板化や身体の平板化に関連している
例えば
性差の平板化は性倒錯や子どもの性差の平板化傾向へ
身体の平板化は女性器(乳房、子宮、卵巣)の平板化(=削除=男性化)へ
と繋がるだろう

女性の社会参入に異議を唱えているのではない
参入の仕方に一考を要すると言いたいのである

興味を持たれた方はこちらを参照ください
「女たちよ賢明であれ」


150)就職活動―職業選択
円高や世界的な経済不安など
就職活動をする人たちだけでなく
転職や再就職をする人たちにとっても
将来に対する不安が蔓延している昨今

就職にあたり
「有名企業」への希望者が増えているとのこと
職業選択は
誰にとっても重要な問題

その選択にあたって何を基準に決めるだろうか?
一番のオススメは「自分が好きなことをする」
企業の将来性や営業利益、福利厚生など要素は様々ある
しかし
何よりも「好き」を優先することをオススメしたい

かのジョブスも言っている
「大好きなことを見つけて欲しい」と!
大好きなことに対しては
だれに言われるでもなく、
自発的に、前向きに、集中的に取り組む
『寝食忘れて』取り組むだろう

これが結果的に【喜び】に繋がり、良い結果を生む
そして、収入や待遇が望まなくても後から付いてくる

心配は要らない
好きなことを最優先に選択し、それに向けて突き進んでゆくこと
未来という時は誰にも平等にある
それをどのように掴むかの違いがあるだけ

自分を信じよう!
今、大好きだと思えることを続けよう
それが自らの未来を開く

シニフィアン研究所のHPもどうぞ http://signifiant-lab.com/


2012年04月01日(Sun)▲ページの先頭へ
182)新年度のスタート
新年度のスタートの日
公私共に、そのスタートを切る日
新たに「自己規定」して前進する日

時に乗ること
新たにスタートするには、区切ることが必須
古い自分に区切りをつけて
新しい自分を規定する

周りに合わせていると遅くなる
日付に合わせること
今日考えていたら、一日遅れている
明日のことは、今日の終わりに決めて、明日からスタート
今日の自分の姿を見て、明日の自分を描く
その繰り返し
今に立ち、明日に向かって歩む
常に「前へ、前へ!」
そんなスタートをしましたか?

シニフィアン研究所では
精神分析という鏡があります。
今の姿を映してみませんか?
詳しくは
http://signifiant-lab.com/までどうぞ



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「精神分析」は、薬物や催眠、暗示など一切使わず、相談者(クライアント)と分析家(インテグレーター)との1対1の対話や夢分析により、自分の無意識に気付き、コンプレックスを解消する信頼に基づいた方法です。
クライアントの自我は、様々な理由によって未成熟であったり、歪んでいたり、傷ついていたり、欠損していたり、不完全な状態で浮遊しています。それに確かな形と安定を与えることが精神分析(セラピー)です。その過程で、ありのままの自分でいい、自分は生きる価値があると自信を持ち、自己愛や自己決定力が高まっていくのです。
このように精神分析は、自己を知ることの喜びと成長をもたらします。インテグレーターはクライアントの援助者であり、伴走者です。また、クライアントの意志を大切にしますので、強制したり無理強いすることはありません。
自分の人生は、自分が書き換えてゆくんだ、との勇気と根気を持って歩むならば、必ず自己探求の喜びと幸せを自覚し、自らの意志で未来を切り開いていくことでしょう。




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